牧野ヴァイオリン教室発表会
今年は日曜日ではなく土曜日の本番です。
13:30から21時まで途中休憩を除き、ずっと弾きます(爆)
ヘビーな曲目白押しです。
でもライフワークになりました。
いつもは朝から夕方までなので、とちゅう、一時間の昼食休憩がありますが、今回はその休みも30分しかありません。
桜木町の紅葉坂の途中にある神奈川県立音楽堂で弾いてます。
あいにくの雨になってしまいましたね。
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お世話になりました
お疲れ様でした
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★10月に幕を開ける


しかしながら、自分としては一流の演奏家との共演と同じくらい大事な一日と胸を張って言える仕事だし、先生と、お母さん、お父さんたちとともに、小さい子どもたちから社会人になったすべての出演者たちに僕もこの20年間は成長させてもらいました。
ほとんどの生徒が大人になって専門のコースに進むことを前提とはしていない教室の「発表会」というと、当日お聴きになっていない方々からすると、確かに長時間弾くのは疲れるだろうなと単純にイメージされるかもしれませんが、なかなかどうして、年齢にかかわらず、心を動かす演奏、そしてそれに技術的な説得力を伴っている上級生たちのものは僕の方だって全部エンジン全開じゃないと相手ができません。
二日前にも自主公演のとても濃い演奏会をして、リハーサルから通じて結構長時間弾いていた結果(泥酔し、入浴して緩めず寝たのがいけないと思われます)、実は金曜日からは、非常に左手の手首が悲鳴を上げていて、その日は全く弾くのをやめて休ませていましたが、当日の朝はかなりよろしくない状況になっていました。
「気合いだけでは今日は持たないかもしれない」と今までになく弱気になりながらリハーサル室にいてウォーミングアップしていましたが、自分でも不思議なことに、最初の曲を弾き出したとたん、痛みがどっかに飛んでいってしまいました。
当日関わったすべての人の気合いが僕の精神に乗り移ったのだと思います。
自称怪人二十面相の僕としては、プロの共演者といるときの僕、そして作曲家としての僕、そして、この二つの場面での共演者やそこでであう聴衆の方たちもご存じない別の僕がこの発表会を最初から最後まで聴いていただいた聴衆そして、共演者と先生とスタッフの方々の前にいます。
この二十年で得たもの。
この間沖縄で演奏した折、聴衆のお一人がどこか別のページに僕の演奏する姿を見て「省エネ奏法」と評されていたのを見ましたが、まさに、この発表会に関わった一年目に自分がすべての子どもたちと対等に戦うためには必然的に会得せざるを得なかったことでしょう。
そのおかげで、最近は他の声楽の教室でも数十人の相手をさせてもらったり、コンクールの公式伴奏者で50回近く同じ協奏曲を演奏したりする折に、「そんなの体力的に無理だろう」とは思わなくなってしまった自分の麻痺加減にあきれています(爆)
その二
確かに器用な子と不器用な子がいます。
器用な子も努力しているからすばらしい演奏をできるのですが、毎年つきあうからあまり器用でなかったり、あるいはモチベーションがなかなか上がりにくかったり極度の緊張で普段持っている力をなかなか出せない子が、数年目(先生にとっては十数年目にしてということもあるでしょう)で大化けして光を放つ瞬間を共有することがおもしろいです。
それは一過性の共演ではわからないことです。
プロフェッショナルの共演者だって努力を続けている人は会うたびにその成長を実感することは良くあります。
でも、こういう子どもたちのそれは世界観そのものが変わったドラスティックな変化みたいなことがあって、人生には何回かそういう瞬間がある場合があり、それを共有できると僕の人生も瞬間的にスパークします。
それが楽しいのでやめられないしたしかに翌日名古屋(今もそうですが)の仕事場に行って僕が関わらない時間帯の練習(人形劇のリハーサルでした)中には気絶していました(爆)
休みだったらきっと一日十気絶していた可能性がありますが、こっちはこっちですごく熱いリハーサルが進行中で、今日も「集団」のなかで音楽に埋もれてきます。
こういうアマチュアの中にいるとなかにはアマチュアを超えているなあと感じることも多いし、反面、気のあったプロフェッショナルが「仕事を超えた精神状態」で演奏しているのを共有すると、究極のプロフェッショナルはその瞬間アマチュアというか最高の「趣味に生きる人」状態になっていると思うのです。