東京の井の頭線旧駒場駅の残骸 - 2012.12.13 Thu,10:30
そしてまた仕事が終わって渋谷のNHKまで歩いて、翌日も沢山歩いたら、情けないことに足を痛めた(爆)のですが。
その時、駒場東大前駅と池の上駅の間の線路際で、真っ赤な樹を撮りましたが、なんでその手前で渡った踏切なんか撮ろうと思ったかというと、もちろん、健康のために池の上のピアノ屋さんまで歩くという事もあったのだけど、子供の頃、この踏切のところが「駒場駅」で、今の「駒場東大前駅」は、「東大前駅」だったことを、ここを通る度に、この噴飯百科の項目の一つに追加したい思いにかられていたからなんです。


じゃあ、近づいてみましょう。
これを撮ったカメラはzoomが出来ないから文字通り歩いて近づくのです。
だから、車が通っている踏切を斜め横断して撮って居ます(爆)
今じゃ箱状の装置がじゃましているから全体像を俯瞰できないし、土台しか残っていないことに加えて、雑草が生い茂っていて単なる壁に見える。
まさかここが駅のホームだとはきっと若い人は誰も気づかない。
ここは、かつて確か日本近代農学発祥の地である、駒場農学校があったところだね。
だから、隣の東大とこっちでは降りる目的地が違ってたぶんそれぞれに乗降客も多かったから、それぞれに駅があったのです。
学校が無くなった後、駅が必要なくなり廃止され、名前だけ隣の駅に統合されたのです。

こんなに隣の、現「駒場東大前」、昔の「東大前」駅が近く見える。
もう10数年前や20年前くらいだったかは、まだホームの残骸が線路の左側にもあった記憶があります。
この建物は今何なのか判らないけど、かつては駅舎だったはず。
たぶん、向こうに見える駅とは100mを切っている距離。
たしか、昔は次の駅までの距離が駅名の看板に書いてあって、「0.9百米」と書いてあった記憶があり、小数点を習ったばかりで、理解したのと、mを米と書くことを覚えたのもこの表示で(爆)、90mと書けば良いのにといつも思っていた記憶が鮮明にあるから覚えているのです。
子供心に、旧東大前からこっちに向かっては下り坂になっているから東大前の駅方面で乗り遅れそうと思った人が吉祥寺方面にどうしてもその電車に乗って行きたかったら、東大前で乗り降りしていている停車中に走り始めれば(自転車なら絶対に楽勝)、駒場駅で乗れるのではないかと思ったくらいだ。
バスの停留所間隔だね。
たしかに隣の駅が見えてしまう位近いのが井の頭線の特徴だけど、そのなかでもこの駅間が一番近かった。

一枚目の写真で電車が通過した後、先に見えるのが、下の写真。(すぐ油断するとピンぼけになるのがこのカメラだ。)
今は公園の入口だけど、公園の入口にしてはずいぶん立派な門でしょう。
これは、最初に書いた駒場農学校という大学の正門の名残です。
今は、右側の所に、「東京都目黒区立駒場野公園」と書いてある。
「駒場」ではなく、「駒場野」というのは初めて知った。
駅名の変遷も、もう一つ思い出がある。
この先、下北沢の一つ吉祥寺寄りの駅も、僕が物心つくまで住んでいた「代田二丁目」という地名そのものだった。
たぶん、横に環状七号線が走っていて立体交差になったころなのか、今の「新代田」に変わっていった。
まさに昭和中盤時代の思い出だ。

そこから、また隣の池の上駅まで歩く途中で、この一個前の記事の花の写真を撮ったんだ。
そして、渋谷にまた戻った後、今度は本当に帰るときは渋谷の道玄坂の登り口でパチンコの写真と、そして、Xmasの広告を見たんだ。
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● COMMENT ●
ばれりーさんお久しぶりです
学生時代にアルバイトに駒場東大前まで通っていたので、
井の頭線には私も少しだけ思い出があります。でも、たった2駅ですからね。
当時はたしか電車は緑色ではなかったけれど、
オールステンレスでもなく、半分だけ色が塗ってあったかな。
池の上駅との間に、もう一つ駅があったとは知りませんでした。
ホント、隣の駅が見えるんですね!
0.9米だからかw
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だって、井の頭線は、渋谷から吉祥寺まで全線乗っても鈍行で25分くらいで行きますからね。
あ、鈍行って禁止用語かな、各駅停車と言わないといけないのかな、、どうなんだろう。
なんか、ここに駅があった思い出も、なんかカラーで思い出せないくらいの昔です(爆)
思い出の中でもモノクロかセピアな感じです。
この踏切の左側の奥に、日本文学館(近代が着いていたか)という西洋館の建物のある場所があります。
http://lince.jp/lince/members/
を撮った場所です。
今度そこに行って建物の写真を撮りたいなと思っています。
駒場東大前のどこにアルバイトに行っていたのだろうなあ、ばれりーさん。
僕は、門仲天井ホールなどでやっていた独奏や、Duoのコンサートの出発点は、駒場にある、アンサンブルという喫茶店でした。
だから、この駅は僕にとっても思い出のある駅です。