今日15日は七五三の日だから書くけど、しめ縄って漢字でどう書くかご存じですか?@高千穂発探訪4 - 2012.11.15 Thu,23:59

古事記編纂1300年の今年、それとは全く関係ないが(爆)、高千穂でconcertの話が来るともおもえないし、ついでに行った方が交通費のことを考えても、行くなら今しか無い、と直感的に思って一人で高千穂まで足を伸ばしたのです。
そして、とてもリーズナブルに泊まれた民宿の天和(てんほう)のご主人、佐藤さん(写真の右側に立っていらっしゃる方)が泊まった夜に質問を投げかけたのが、titleの文章の後半部分でした。
その答えを聞いてびっくり、、
七五三縄と書くのだそうです。
他には、注連縄、標縄とも書くらしいが、たぶん、〆縄とか、閉め縄、締め縄の類は、年末の浅草を始めとする縁日で「装飾品」として正月に飾る「商品」を差すのだと思います。
語源由来辞典にも僕が挙げた三種類だけ書いてある。
Wikipediaでは、注連縄という表記で書いてあるね。
で、僕が足を踏み入れたのが、天孫降臨の地、そして天岩戸伝説の地、高千穂だ。
僕が民宿の佐藤さんから聞いた話は、このページに簡潔にまとめてあるから、是非とも参照して頂きたい。
そのページに強調して在るとおり、高千穂では、七五三縄と言うのがふさわしい形状をしていました。
上の写真をもう一度見てください。
神社では無く、民宿の扉の上ですが、正月でも無いのに、七五三縄(これ以降この表記にする。)がかかってますね。
高千穂では、やはり邪気が入ってこないようにという本来の言い伝えを忠実に守り、正月のみならず一年中飾ってあるそうです。
もう一度良く観てください。
ちょっと風でよれちゃったり実は、紙垂(しで、と読む。七五三縄から稲妻形に垂れ下がっている紙の事)の位置も右側のがずれているようにも見えるのですが、東京近辺で見る紙垂の色とはちがいますね。
赤と緑なのです。
しかも七五三縄から下に垂れている同じ材質の部分が実は、15個になっています。
本当は、15と言う数字を先に出したくはなかったのですが、前述のとおり、紙垂の位置が神社で見たものとはずれている様な気がしたからそうなっちゃって文章がおかしくなった(爆)
というのも、次の写真も民家だけど、同じように七五三縄がある。
こっちで説明しよう。
どうですか、垂れ下がっている部分を数えると、右からグループ分けされたというか、微妙に間が開いているところが境目とすると、数が、7,5,3本に見えませんか?
これも、一番右の7つの所の真ん中辺に紙垂があるな。
そうか、7という数字の4番目に付ければ釣り合いが良いと言うことなのかな。
これは家庭用のレイアウトということなのでしょうか。

この記事が言いたかったのは、七五三と七五三縄の事でした。
しかしネットで調べても、その関連性については、今一わからない。
子供の成長を祝う行事の七五三と、神様の数を表した、高千穂の七五三縄、高千穂以外の地域でもそういう七五三縄があるところがあるのかも知らないが、大体の七五三縄は、注連縄と書いた方が良いように、べつに、七五三にグループ分けされているわけではない。
ただ、漢字が三つなのに、「しめ」と読むのが不思議だね。
そういう知識を仕込まれたものだから、さあ、民宿をでて、高千穂神社や天岩戸神社に向かった先では、七五三縄の形状にまず眼が行ってしまった(爆)
(ついでにいえば、それ以降東京方面に戻って神社を見かけると、つい、七五三縄に眼が行くが、七五三縄という縄は見てない、こっちではやっぱり注連縄と書いた方が良いのかも知れぬ。)
これ以降は、時間の無い中、高千穂神社と天岩戸神社の、西本宮と東本宮の中でみた七五三縄の写真を列挙しておきます。
まずは、高千穂神社のもの。
ちょっと遠いかな。
ちょっと寄ってみた。先ほどの住居に掛かってたものとは違い、はっきりと、グループ分けされている数の間に赤と緑の紙垂がある。
次は、天岩戸神社。
下の写真の社(天岩戸神社の西本宮の遙拝所)もやはり忠実にそのルールどおり。
ちなみに、ここは遙拝所であるからにして、天照大神は居ないそうです。
ここは、天岩戸があったとされる場所で拝むところ。
天照大神はこの建物があるところの奥に川が流れているのだけど、その向こう岸にある東本宮にいらっしゃるそうですが、ほとんどの観光客はここと、奥の天安河原に行ってすぐに帰るらしい。
天安河原の写真の記事にも書いたけど、あそこを「天岩戸」だと思っている人も多いらしく民宿の佐藤さんはそう勘違いされるのは残念なので、ぜひとも、東本宮にも行くことを薦められました。
西本宮の鳥居の七五三縄も様式に沿ってました。
では、なぜ天安河原の鳥居には七五三縄がなかったのだろう、という疑問がでてくるが、とりあえず、川を渡って東本宮に行こう。
こっちが東本宮の鳥居。
西本宮の方は、観光客も多いし鳥居から境内まではフラットな土地だったが、こっちは、人も居ないし、階段をそこそこ登っていくから、より神聖な空気が漂ってくる。次は、天岩戸神社の東本宮の中で見かけた、社ではなくたとえば、御神木とかの周りのこういう「結界」を表す単純なものまで、その七五三縄と言うにふさわしい様式であったのにはびっくりだ。
これは白いね。
その場所から左を向くと、やっぱり七五三縄は、もう高千穂様式と勝手に名付けてしまおう(爆)
この先に天照大神がいらっしゃるのだ。
でも誰も居ないでしょ(爆)
これが、鏡、つまり天照大神だ。
その周りにも高千穂様式の七五三縄だ。
ちょっと記憶があいまいになったけど、同じ境内の別の、たぶん、この左側だったか、の建物(神楽とかする場所なのだろうか。)ももちろん、このスタイルの七五三縄。
鏡のある建物の裏に回ると、御神水への案内があったから、先に進んでみた。

やはり、御神水の所にも鏡と七五三縄。
もちろん飲みましたが、連れがいないので、手にはカメラが一杯(爆)だし、少ししか飲めませんでした。
これで髪が刈れるでしょうか。
じゃなくて、(爆)、神がかれるでしょうか、と書きたかったのだが、面白いからもう直さない。
東本宮にお別れをして、外に出てきました。
神社の前にある、木工のお店がありましたが、看板がこうなっていました。

たぶん、アマノウズメノミコトとタジカラオがあしらわれている(自信ないけど、女性の方の前者は天照大神をおびきだすために、八百万の神の前で踊った神で芸能の神になってて、男性の方は、天岩戸を開けてその岩戸を恐ろしく遠くまで投げ飛ばした神。どこまで投げ飛ばしかということについては、また別記事で(爆))よく見ると、上に沢山出した七五三縄の様式にはなってませんね。
もういちど、一般家庭のそれと比べても違うね。

実は、この日の早朝、有名な「雲海」を見ようと、国見ヶ丘というところに日の出の頃行ったのだが、雨で見られなかった。
そして、三脚を丘の上に置きっぱなしで降りてきた事がわかって、偶然東本宮の入口で僕を見たという人に出会い、その人が警察まで届けておいてくれたらしい。
そして訪れた高千穂警察にも、ちゃんと様式通りの七五三縄が。
やっぱり高千穂は七五三縄だらけで、かつ、この七本、五本、三本という様式を守っている地域なのですね。
翌日、どうしても他の地域の七五三縄が見たくなって、ミュージカルの時に支給されたが使わなかった新幹線のチケットが締め切り間近だったので、三島まで行った時に、三嶋大社に行ってみた。
そうしたら、たしかに高千穂の神社よりは、勇壮な七五三縄だったけど、明らかに注連縄って感じで高千穂の様式はこれっぽっちも反映されてなかった。
でも、これは、本当にお金をかけて、芸術の域までいっちゃった注連縄だね。
これにくらべたら、高千穂の七五三縄は、より、原初的な感じがしました。
どっちが正しいとかどっちが美しいというのではなく、今回は七五三縄のルーツに近い本家本元の事を知る事ができて、知識欲というか、好奇心を満足させるには純分過ぎるほどの旅になりました。
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