東京都板橋区にある「板橋」という橋 - 2012.11.06 Tue,01:19
(その紹介はまた別記事で)
前にも、銭湯に入った記事を出しましたが、練習場所は基本的に板橋区内の施設。
昨日と今日最終rehearsalをしているのだが、
(もう日付が変わったから実際の時系列にしたが、寝る前なので、「今日と明日」って感覚時の投稿だけどな。
本文に関係ないが、数ヶ月前映画で観て面白いと思ったテルマエ・ロマエに引っかけて「寝る前の前」という駄洒落が浮かんだ(爆))
前回この街に来た時(一ヶ月も前だったのだか)、銭湯に入った後(湯冷めする気がしなかったが、今日は湯冷めすると思って入らなかった(爆))、下町風の美味しい洋食屋さんに入って、舌鼓を打った後、もう一件銭湯がある、と店の人から聞いて、そこの前まで言ってみるかと商店街をずっと歩いて行ったら、橋があったのです。
で、結局もう一件の銭湯を見つけることはできなかったので、そこで引き返したのです。
で、その時撮った写真が、この日と同じく、黄昏時だったので、ピンぼけていて、使い物にならなかったので、この日、リヴェンジも兼ねて、練習後、もういちど、橋を撮るためだけにちょっと距離はあるのですが、歩いて行きました。
橋のたもとに、なにやら、日本橋からの距離の指標があります。
そうです、ここは、かつて宿場町だったようです。

橋の右側に、教育委員会に依る、「橋と、『板橋区』の名称の由来」が書いてありましたが、それもピンぼけ写真しか撮れなかったので、追記に、テキストを転記して表示しようと思います。
(著作権関係に抵触するとしたら、どなたか指摘してください。、そうしたら削除しますが、、)
僕は東京生まれだけど、あまり板橋には縁が無いのです。
かつて知り合いが大山に住んでいたから来たこともあったし、上板橋駅付近で、“セロ弾きのゴーシュ”をやったこともあるけど、、。
ここは、もちろんライブハウス類はあちこちにあるのでしょうが、僕にとっては良く仕事をする演奏会場があるという地域でも無く、僕は子供の頃もうちょっと南西側、西側で育ったし、活動は、また南側、南東側に集中しているので、東京じゃ無い所に「旅」に来た感覚と同じものがあり、実に新鮮に感じます。

これは、一枚目の撮影位置から、橋を渡って逆側を向いて撮ったものです。
本当に、「板橋」という名前の橋が現存するとは思わなかったです。
地名や名字の由来を聞くと興味深いものが多いですが、なんかこれは「どんぴしゃ」な感じで二度撮りに来た甲斐がありました。
(昼間撮れば良かったとは言えるが、今日の練習場所はまた板橋区内の別の場所だから昨日が最後のチャンスだった。)
コンクリートの橋だけど、なんか、板とか木の橋っぽく細工してありました。
写ってないが、橋の周りの岸には桜の樹が密集しているので、きっと四月頃は実に美しい景観になるのでしょう。
では、この由緒ある橋についての記述を追記に。
この橋は板橋と称し、板橋という地名はこの板橋に由来するといわれています。
板橋の名称は、すでに鎌倉から室町時代にかけて書かれた古書の中に見えますが、江戸時代になると宿場の名となり、明治22年に市政町村制が施行されると町名になりました。
そして昭和7年に東京市が拡大して板橋区が誕生したときも板橋の名称が採用されました。
板橋宿は、南野滝野川村境から北の前野村境まで20町9間(約2.2km)の長さがあり、この橋から京よりを上宿と称し、江戸よりを中宿、平尾宿と称し、三宿を総称して板橋宿と呼びました。
板橋宿の中心は本陣や問屋場、旅籠が軒を並べる中宿でしたが、江戸時代の地誌「江戸名所図会」の挿絵から、この橋周辺も非常に賑やかだったことがうかがえます。
江戸時代の板橋は、太鼓状の木製の橋で、長さは9間(16.2m)、幅3間(5.4m)ありました。
少なくとも寛政10年(1798)と天保年間の二度修復が行われたことがわかっています。
近代に入ると、大正9年に新しい橋に架けかえられましたが、自動車の普及に対応するため、昭和7年に早くもコンクリートの橋に架けかえられました。
現在の橋は、昭和47年に石神井川の改修工事の際、新しく架けかえられたものです。
板橋区教育委員会
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