山猫合奏団FMトーク番組のお知らせ - 2014.01.06 Mon,23:57
来たる2014/01/7(火)(1/14には再放送があります。聞き漏らしそうな方はそちらでどうぞ)の夜21:30より、岡山県の津山市周辺の方は、FMつやまでon airされている、
“山猫合奏団東京ニャイト倶楽部”
の放送があります。
津山地方以外の方は、
http://www.fm-tsuyama.jp/onair/
で、21:30より、リアルタイム(のみだけど22時まで。)で聴く事ができます。
毎月予定通りだとすると、基本的には月に一回の放送です。
第一週の火曜日の夜、そして再放送が第二週にあるようです。
今回の「雑談」は今年の山猫合奏団の意気込み(爆)を語って居ます。
そして、演奏コーナーは、白石准がかつて、佐渡裕ちゃん率いるシエナ・ウィンドオーケストラと共演したレナード・バーンスタインのジャズバンドの名曲“Prelude,Fugue & Riffs”の演奏がOn Airされますのでどうぞお聴き下さい。(僕が出てくるのは三曲目のRiffsからです。)
その演奏の録音については、CD,DVDが出た時の記事をご参照下さい。
なお、この写真は記事の内容には全く関係ありません(爆)
スクエアピアノと言って、19世紀の間に家庭用として流行ったフォルムのものです。
なお、この記事は毎回使い回しで、写真と内容だけ更新して行きますので、もしコメントを付けてくださる方がいらっしゃいましたら、冒頭に、何時の放送で、内容はなんだったかを記して頂けたら幸いです。
ここをclickするとこの様にふざけたヴァーチャル広告のページ(最近サボり気味)に飛びます。
- 関連記事
-
- 2015/6/21に千葉県船橋市の小さいサロンでPianoの独奏します (2015/06/19)
- 秦野萌さんと連弾のコンサートが2014/6/15(日)14:30からあります (2014/06/13)
- 2/15に予定されていた“幻冬の詩”初演は大雪のため3/28(金)に延期されました (2014/02/18)
- 山猫合奏団FMトーク番組のお知らせ (2014/01/06)
- 12/21他流試合をします(#^.^#) (2013/12/08)
- 2013/09/15にフランス人の名トランペット奏者、アンドレ・アンリ氏と共演します (2013/09/12)
- 2013/09/05に再び千葉の船橋のサロンでピアノを弾きます (2013/08/19)
● COMMENT ●
2013/06月放送分「山之口貘」特集
初演 おめでとうございます
改めて、初演 おめでとうございます。
では、ラジオの感想を書きたいと思います。
(ただ、私は視覚も大事な要素と考えていますので、初演を聴きに行かれた方とは、違う感想かもしれませんね)
音楽が言葉の説明ではなく、白石さんの言葉として、朗読?と対話しているように感じました。
〈たぬき〉
たぬきと油揚げが踊っているような ユーモラスな曲でした
リズムが面白く、途中音階のようなパッセージ(音階ではないのですが)が出てきて、
次の編に進む感じがあり、面白いと思いました。
最初のメロディーがまた出てきて、2回めに音階が出てきた時は、やったーと思いました。
〈利根川〉
濁流の波が、押し寄せる感じがとても良かったです。
言葉も迫る勢いがありました。これ好きです。
次は「結婚」にまつわる 組曲風
この山之口の詩は、男性から見た 女性観とか結婚観なので、
ちょっと理解しがたいところもありました(笑)
で、タイトルとは想像もつかない内容だったりで、
音楽がその辺のギャップを埋めていたりするようなところもあったように思います。
〈現金〉(現金な人という意味だそうです)
おどけたリズムが出てきて、面白おかしく?音楽が面白かったです。
(これって最後にプロポーズしたんだっけ?詩としては、照れ隠しの要素もある?)
〈音楽〉(ジェラシーの曲らしいです)
‘あんたなんか嫌い・・・見るほどに聞こえてくる音・・・愛なんだと聞こえる‘
音楽が文字通り 詩に命を与えていました
〈友引の日〉
朗読の二人の掛け合い やユニゾンが絶妙と思いました。
この曲くらいから、詩の意味がよくわからなくなってきました(笑)
〈結婚〉
最初にでてくる 「し」ってなんだろう?
私の聞き間違いかしら?
と思いつつ、(調べればいいのだろうけど)音楽を聴いていました
何度か歌われる ♪けっこん
いろいろな含みをもって聴こえました。唯一?歌になっていましたし
とても不思議な音楽と詩でした
また、聴いてみたいです。
〈ミミ子〉(娘さんのことだそうです)
かわいい ユーモラスな音楽と詩
〈深夜〉
聴いてたまげました(笑)
山之口さんのユーモラスな世界
音楽もしっかり演出していたようです。
〈猫〉
組曲が終わって、気分も変わり、
猫がひょうひょうとして歩いているような感じでした。
わらべうたのような部分もあり、楽しく聴けました。
いろんな音楽の引き出しがあり、楽しかったです。
またの演奏 期待しています。
異界の扉
タイトルにあるように、津山放送自体が、私(関東圏の人間)にとって異界!
夜9時半 異界の扉を開けると、
まず、沖縄の三線奏者 登川誠仁さんのお話
沖縄は行ったことはないのですが、流れてくる民謡のメロディー いいなあ と思いました。
エピソードなど楽しく聞かせていただきました。
そして、白石さんの 注文の多い料理店 のエピローグ
この曲を単独で聴くのは初めてでした。
まさに、異界の前に立っているような 深淵を見ているような気持ちになりました。
エピローグですから、お話をもう一度思い起こすところだろうけど、
今回は、今から引きずり込まれようとしているみたいでした。
どんどん 闇が広がって・・・音が混ざりあい立ち昇って消えていく
美しくもあり、妖しくもあり、ちょっと怖いみたいな
夜 一人で聴くと尚更です。
賢治考は、オノマトペの話
うるうる盛り上がって・・・
私の想像していた解釈とちょっと違っていて、目から鱗でした。
いろんな想像をさせる賢治のオノマトペ これも賢治の面白さかもしれません。
毎回 このコーナーは楽しみにしています。また、よろしくお願いします。
愛の挨拶日本版について
シューマンやドビュッシーの様に題名と内容が凄く有機的に結びつくスタイルのものもあれば、ショパンのように、音楽の形式しか書いてないけど、どれもこれも音楽自体が語るスタイルのものもあります。
たしかに写真も音楽も題名の付け方一つで印象が変わるものもありますから悩み甲斐のあるものですが、作曲家自身、全然イメージがこれほど浮かばないものもないですから、やっぱり、「小品」とか「前奏曲」とか、内容は勝手に想像してくれ、の放置スタイルの方がいいのかもと思って来ました(爆)
あまたに前奏曲はあるから、後奏曲にしようか(爆)
星降る夜に
確かに エルガーの愛の挨拶に 少し似ていますが、
この一週間(前回聴いてから)頭の中をずっと流れていました。
愛の挨拶というヒントをいただいたので、ずっと頭の中を駆け巡っていたのです。
でも、今日もう一度聴いて、エルガーと全然違うし、
とても内に秘めた何かが感じられました。
そして、とても美しい。
星屑がキラキラこぼれるように、音が渦を巻いてこぼれるようです。
夏目漱石だったかが、「好きだよ」という言葉のかわりに、確か
「星が綺麗だね」と言葉を変換した といいますが、(以前テレビでやっていた)
なんだかそんなロマンチックな想像をしてしまいました。(笑)
ラジオ番組では、題名を募集していて、
いろいろ考えてみましたが、
私の考え付くのは、ちょっと観念的なものばかりで・・・
ファリャの「三角帽子」なんぞは、すごいいい とおもったりで、・・・
中間部のところなんかは、音が翳って、
これは、花の涙だ とか思ってしまうし、
はたまた 月光浴をする猫が浮かんできて
月の猫 なんてどうかと思ったり・・・
春宵(しゅんしょう)とか春灯(しゅんとう)
前者はちょっと うるんだ夜(愁いを含んだ感じ・・ちょっと色っぽい)
後者は、母恋しくなる春の街の灯
写真と一緒で、題名は大事です。
よい題名がついて、作品が一人歩きしたらいいですね。
ううむ、記事を分けた方が良いかな
今回雪さんが、コメントしてくださったのは、2013/4の放送分で、僕の編曲した奄美の子守歌がオンエアされた分のことですね。
ありがとうございます。
この編曲は放送にもあったとおり、ウィーンのチェリストと奄美の酒蔵に行ったときにホールの練習前にオーナーに言われて、15分くらいで書いたものでした(爆)
奄美大島の子守唄
奄美大島の自然を彷彿とさせるものがありました。
前奏
波が砂浜にゆったりと打ち寄せる様 のような和音が、波打ちます。
静かで、優しい。夜の海かな。
うたは、母の温もりを感じさせる暖かいチェロ
途中 ピアノの鳥のさえずりのような オブリカート? がついていて
深い森を連想させられました。
ああ 夜だから星の瞬きかもしれません。
全てが眠りの中にある時でも、
自然のどこかは、刻をつむいでいるのです。
素敵でした。
雪さんありがとうございます。
譜面を見渡しても、均等な三拍子が似合う曲と、ホントによたった方が良い曲、そしてアクセントの在処も二拍目だったり三拍目だったり曲や曲の中でも場所によってちがったりするのが面白いのがマズルカです。
で、やっぱりマズルカという踊りは元々はないよね。
ショパンの造語なんだ。
また来月もなにか弾きますのでお楽しみに。
マズルカ
正しくは私もよくわからないのですが、
昔 ヘッセ・ブコフスカっていう ショパン コンクール審査員長の講演を聞きにいきましたら、
マズルカには、3タイプあって、
テンポがゆるい クヤビヤク
テンポ速い オペレク
あと、マズルー
マズルーは、貴族の会での最後に踊るカップルの踊りだそうです。
陽気で、導入部を多くもち、男性が足を踏みならし、男女が交互に踊り、最後に男性が手をあげる
アクセントは不規則
と私のメモに書いてありました。
バレエにも、よく出て来ます。(サイガ先生 お詳しいでしょうね)
放送でもリズムやアクセントについて説明がありましたね!
白石さんの演奏もオンエアされていました。
春のこの季節に合っているような ちょっと物思いにふけるような 曲でした。
とくに、2曲めは、好きでした。(おしゃべりが、かぶっていましたが)
その講習会で、「ユダヤ人」と題名がついている曲 ということでした。
真ん中の明るい部分がとてもマズルカらしく際立っています。
楠さんの賢治考も毎回 楽しく そして、なるほどと思ってきいています。
次回も楽しみにしております。
人との関わりとして音楽があると考えるからですね
しつこく書きますが、恋愛と同じです(爆)
好きなものは好き。も実践するのは単純ではないのですね!
たぬきさん、
そうです、「好きなものは好き」で良いのですよね。
ただ、僕の仕事の場合、みなさんが「好きで無い物」を「好き」である前提から始めている時があります。
みんなが好きなものを好きそうに出す、つまり皆さんの知っている曲を弾くのはある意味それほど難しいことでは無いのです。
(いや、まてよ、期待値が高いから「普通」じゃ満足して貰えないという側面もあるか。)
「好きなものは好き」という事を聴いて居る人に「共感して貰う」ために、相当な努力と戦略が必要なのです。
鑑賞する側は「好きなものは好き」で「嫌いなものは嫌い」で全く構わないのですが。
あと、あまり大きな声で言えない(書けないか(爆))ですが、仕事で演奏する曲や共演者に対して、好きじゃ無い事もプロとしてはあったりしますが、それは聴いてくれる人にとって全く知りたい情報では無いでしょう。
だから、僕に才能があるとすれば、第一印象嫌いな曲を練習しているあいだに「好きになる」という化学反応を、あまり努力無しに見つける事ができるということです。
相手を好まない状態は、なかなか改善するのは難しいが、自分から共感する一点を見つけるように努力は惜しまない方だと思って居ますが(爆)
それでも上手く行かなければ、あとはその曲への共感をエネルギーにして頑張るしか無い。
なんでも素直が一番だけど、「嫌いだから嫌い」ということは、舞台では許されない仕事でもありますね。
というか、第一印象でほとんどの価値観を決めてしまいますが、多くの場合、あとでそれは裏切られる事も多いわけで(特に綺麗な女の人がそうだ。バキッ!!☆/(x_x))、そのために沢山練習する間に気づくのです。
それを初めて聴く人に伝えるのは大変だとは思うけど、時にそれは不可能では無いという体験を先週しました。
僕はこの間、(最近の若い人は涼しい顔で弾けるのだろうが)演奏不可能だと思われるジョリヴェという人の曲を数ヶ月、まったく進歩を感じられない状態で練習していました。
同業者に訊いてもほとんどの人が「絶対に弾きたくない」あるいは、「二度と弾きたくない」と言う感想を良く聞く曲です。
確かに大変だったし、この間の本番の演奏だって僕は満足しているわけではありませんが、意外とお客さんはことのほか喜んでくださいました。
聴く方とやる方の意識の違いはこういう所にも表れます。
最高の共演者であったことと、情熱的な拍手を頂いた事も勿論ありますが、本番前から、そして一回弾いた今ではとても好きになっています。
次に何時弾く事になるかわからないけど、もうちょっと上手に弾けるように練習はことあるごとに続けておこうと思って居ます。
良く書くけど、アマチュアと違う所は、「これでこの曲は「上がり」だから先に進む」という世界観じゃ無いから、また次に弾く時にはもっと上手く弾いてやる、との想いが出てくることかな。
美味しい、しかもあまり食べたことのない外国の料理を、食べたことのない人に伝えるには、その感動を素直に、そして判って貰うために強い表現力が必要でしょう。
「旨いものは旨い」だけだと、個人的な感想に過ぎませんから。
どう美味しかったのか、あるいは、再現できる人は親しい人にそれを再現しようとするか、連れて行くでしょう。
或いは、子供が遠足に行って、「楽しそうに帰ってきて土産話を聞く事」は親の喜びであろうし、子供も聴いて欲しいことを沢山持って帰るはずです。
それが、何も言わず部屋に閉じこもったら、実は何もなかったのかもしれないけど、やはり親は心配しますよね。
音楽をする事は遠足の感動を親に伝える様なものです。
良い音楽を知り、僕の場合演奏してみなさんに聴かせたくなることや、良い景色に感動して写真を撮って、みなさんに見せたくなるのは、この点と同じだと思います。
自分だけで楽しむことも、何も楽しむ手段を持たない人よりかは尊い事だと思いますが、僕はやはりそれを伝える表現者でありたいと思って居ます。
だから僕は常に「遠足している子供」であり、聴衆のみなさんは、家で待っている親のような存在ですね(爆)
でも、なかなか「恋愛」と同じで、相手に想いを伝えること、そしてそれを期待したように受け取って貰う事は、実に「簡単ではない」のですが(爆)
おはようございます
極端な話
どうも、詩だの物語だのと言うと聴く側が、その中から「意味」を掘り起こそうとする努力に終始して、言葉が持っている音楽的な側面を、語る側もないがしろにするところがあります。
一般的に宮沢賢治にしても、YouTubeでみられる、ニュース原稿を読んでいるがごとくの何も面白くない朗読などがそう思います。(失礼)
意味の表現に於いては何も心配することの無い語り手としての高山正樹は、声楽的にもすばらしい素質を持っています。
で、るんるんるるんぶ、なんて言葉においては、意味より音が重要なわけで、そういうスキャットだけのさくひんなんか作れたらなと思います。
意味なんかない、ということは音楽ではあるのに、言葉にはすぐ、意味がどうだのこうだの、「伝わる伝わらない」ばかりで、合唱なんか、声部が入り組んだら意味なんか聞こえなくて良いのにと思う事凄くあります。
それは、僕が言葉の意味に作曲するときはとてもこだわるけど、聴いたり弾いたりするときにはほとんど興味を持たないという矛盾した世界観の中に生きているからかもしれません。
小学校の校歌、6年間でついぞ、歌詞をおぼえられなかったし、カラオケでもなんでも、歌詞を覚えた試しがない。
数ヶ月ミュージカルの稽古をしても、歌詞は覚えてない(爆)
歌詞よりメロディーやハーモニーやリズムでしょ、と思っちゃうのです。
恋愛の詩も、恋愛を歌う事自体恥ずかしくて嫌なので(爆)、意味の分からない外国の歌がしっくりきます。
意味が直接伝わる日本語の恋の歌はまあほとんど、「はいはいはい」って感じでスルーしています。
耳を傾けたくなる詩は、恋愛に関係ない詩です(爆)
恋愛はするものであって、歌うものではないという考えがどうもあるらしい。
あるいは、それこそ、器楽で抽象で表すものかな。
でも作曲するときはもの凄く言葉の意味するところ、音やリズムにこだわりを持っているのです。
感謝
(この記事は使い回すので敢えて書いておきます(爆))
子供たちが草野心平の詩に喜んだのは、僕が書いたジャズっぽい雰囲気では全くないと思いました。
単に、厳ついおっさん(高山正樹)がでてきて「詩の朗読」をすると、構えていたら、「るんるんるるんぶるるんぶるるん」となんともいえない、リズムに乗せた可愛い音で発音したから、彼らに撮っては恐ろしく予想外だったのだと思います。
確かにあの録音だと言葉は遠かったけど、もともと耳だけで聞いて「意味が浮き上がってくる」タイプの詩ではなかったかもしれません。
意味を象徴するという意味では、坂本遼の「おかん」の音楽のアプローチがそうだったかもしれません。
なにせ初演でしたから、草野心平の作品の語り手も少しムキになるというか、今思えば高揚しすぎて少々攻撃的に語っていたかもしれません(爆)
再演を重ねるごとに、僕が書いたボサノバ調の、もうちょっと緩い雰囲気に合うように慣れてくると思って居ます。
あの草野心平の詩については、リズムを強調したかったので、詩と距離を置くことは全く考えていませんでした。
それより、詩を音楽に近づけようとしていたかもしれません。
言葉と音楽が結びつくとき、大半のやりかたは、歌にする事です。
長年歌の伴奏をしてきた僕としては、その素晴らしい例を無数に知っています。
でも敢えて、メロディーにしないで言葉のリズムだけ抽出して音楽と語らせるということが僕の中の“どんぐりと山猫”以来のテーマなのです。
そのある段階の集大成が“オツベルと象”であり、今回のは短いけどその路線です。
詩と音楽
草野心平の詩と音楽
(演奏会へ行けなかったので、ああやっと聴けた!という嬉しさがありました。)
言葉と音楽のリズムが心地よくカップリングしていました。
正直 生ではないので、音源がくぐもって聴こえ、言葉がわからないところがありました。
でも、オノマトペの面白さが伝わってきたし、
間をおいて、ゆっくりしたテンポで再開したり、
写真でいう遠近法のような効果がありました。
だんだん遠のいて行くみたいな感じがありました。
ごめんなさい。言葉がよく聞き取れなくて、内容ちんぷんかんぷんです(笑)
ちょっとジャズっぽい洒落た感じがあり、子供達がはじけたように(多分解放感があったんでしょうね)笑った様子が目に浮かびました。
坂本遼のほうは、
チェロが心象スケッチのようで素敵でした。
言葉と音楽との間のとり方が絶妙のようなきがしました。
で、ちょっと思ったのですが、
詩と音楽との距離が少しあったほうが、表現が豊かにもなるのかなあと思いました。
俳句でいえば、たった17音の中に2つの文章を入れる という手法があります。
そして、その文章がかけはなれているほうが、幅のひろい句になります。
また、写真に詩や俳句を添える時、
詩が単なる写真の説明になるより、全然写真とは関係のない言葉だったりすると、
想像の余地がひろがります。
なんて、ふと今日の放送を聴いていて思いました。
あと、子供の方が、素のまま音楽に浸れるのでしょうね!
私みたいに、いろいろひねくって考えないほうが よいのでしょうね(笑)
今年も新しい挑戦が始まるそうです!楽しみにしていますね!
聴いただけでは判らない言葉の意味について一言。
「結婚」という詩の冒頭の「し」は、
「詩は、僕を観ると、結婚、結婚と鳴いていた」と始まります。
でも結婚したら詩は鳴かなくなった、という所に共鳴したと書いていいものかいけないものか、、、(爆)