ナム・ジュン・パイク氏の訃報 - 2006.01.31 Tue,12:28
輝かしい経歴には出ることは無いけど、実は彼は僕の父に若い頃作曲を習いに来ていた縁があり、その後ヨーロッパやアメリカで活動されていたが日本に来るたびに時間があると家に来てくれてとても優しくしてもらった記憶があります。
しかし風貌からも言動からもああいう「天才肌」の人にはなかなか出会えるものではないです。
レッスンに来ていた後、右足は自分の靴、左足は父の靴を履いて帰り、駅まで行ったところで気づいて戻って来たとか、母親から聞かされたこともあるし、彼の送ってきた実にアーティスティック(ある意味とても子供の絵のような)な年賀状とか、思い出は尽きません。
60年代だったと思うけど、青山の草月会館でピアノを破壊するパフォーマンスを見たときの衝撃は凄かった。
小学生のころだったのだけど、もちろん会場で子供は俺くらいなものだったのだけど(爆)後ろで見ている親とは離れて、子供らしく「前で観たい」という気持ちで最前列で観ていたが、だんだん行為が激しくなりピアノ(たぶんもう商品価値のかなりなくなった縦型ピアノを持ち込んだのであって、会場の楽器ではないよもちろん(爆))をのこぎりや大きなハンマーで破壊する音に恐れをなして、親のいる方に向かった直後、ピアノが僕のいたあたりの客席に落下していた様な記憶がある。(爆)
すごい時代だったな、60年代。
今じゃ絶対にありえない。
その行為(楽器を壊すなんて!)を道徳的・倫理的にどうこう言うべきではなく、彼の名前と仕事をネットで検索すれば、如何に面白い発想でいろんなことをしてきたか理解出来るであろう。
仕事相手、ではない関係だったせいもあるだろうけど、その過激な行動とは裏腹に、お話しすると、極めて優しいおじさまでした。
前にこのブログで、「誰もやっていないこと」をするということは目立つ反面、それを評価するのに比較するものがないから、ちょっとうさんくさいことも少なくはない、みたいなことを書いた記憶があるが、彼のやってきたことも、それに対する妨害や批判のなかで負けることなく、一貫してやり続け、確実にパイオニアとして歴史に爪痕を残したわけだから、これからは歴史上の人物として、まるでコクトーやサティ、デュシャン、ケージたちのように、「時代を超えた価値感を創造し、ジャンルのボーダーを超え、その独自の世界観」が芸術のあり方にとって決して無視して通り過ぎることの出来ない1人として語り継がれていくのだろう。
彼の名前を知らないひとは名前で検索したり、フルクサス(検索すると、ジョン・レノンと結婚する前のオノ・ヨーコさんもヒットするよ)とかでいろいろ彼のやってきたことを俯瞰出来ます。
彼のやっていたことと僕がやっていることは何一つ共通するものはないが、ものすごく明晰な頭脳と、子供の心のまま大人になったような彼の「存在」は僕の意識化の奧に、一つの規範として、影響を与えてくれた「近しいおじさん」としてずっとあったし、これからも「迷うことなく続けていれば何かが生まれる」ことのよりどころになるだろう。
そういえば、高校か大学のころ、これからの人生の選択にまだはっきりしたものが見えなかった頃、優しい眼で色々助言をくれたことを思い出す。
破壊行為の先に何もない、というのではなく、硬直した世界観をリセットして、その行為の結果、とても面白いものが芽を吹くという、真に「創造的なアヴァンギャルド」を実践している芸術家に子供の頃に出会ってしまったから、単に奇をてらっているような、前衛芸術を標榜するパフォーマーには、ちょっとやそっとでは心が動かない。
本当の即興とかそういう類のものは、相当綿密な思索や計画の元に成り立っていると思うのです。
冥福は僕が祈らなくても大丈夫(意味不明)だとは思うけど、もう一度会いたかったなあ、パクおじさん。
現場でどういう人だったかは、偶然みつけたこのページにあったりします。
このページの彼の書いた「絵」みたいなものと似たようなタッチの「年賀状」がたしか実家にあったなあ。なつかしい。
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フェラーリとリサイクルショップ - 2006.01.31 Tue,01:00
そのことについてはこのブログの中でも関連記事はいくつか書いた。
その行き帰りはなるべく前日には通らない道も曲がってみたが、そうすると思わぬものに遭遇するものだ。

この看板はあるリサイクルショップでオーディオのものを中心になかなか雰囲気のある店に思えたが、完全にフェラーリのマークだね(爆)

しっぽの先は確かに違うけど、全体の印象はそっくりとしか言いようがない。
記事を作ってみて思った。
正露丸とかリポビタンDやオロナミンCの類似品と違ってこれはあまり微笑む種類のものじゃないなあ(苦笑)
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マラソン選手は途方もなく凄いと思います - 2006.01.30 Mon,18:52

でも電車で行ったって駅までの移動時間、乗り換えを含めると1時間半近くは絶対にはかかるし、車で行ったら道路事情によっては3時間かかることも少なくはないから、途方もない時間の無駄遣いだったとは思っていない。
実家に着いたとき、なにげなしに自転車に装着してあるサイクル・コンピュータの走行距離の画面をみたら、写真の様に偶然なっていて、そうか、これはマラソンのコースとおなじじゃねえか、と思って部屋に入ったらちょうど大阪女子マラソンのゴールシーンが目の前に中継がでていて、ヌデレバより遅い(泣)ということが分かった。
途中でコンビニに寄ったりはしたけど、そこそこスピードの出る自転車だし、下りは一時的には30キロ以上出てたんだけどな、、、。
帰りは違うルートで帰りましたが、一日のトータルが82.5キロだったのは、高校生のときもなかったかなあ、生涯初めてかも知れぬ。
起きても危惧した筋肉痛はなく、正月に江ノ島に行って以来体力の向上は確実に実感出来るのは嬉しい。
しかし、如何に一流のマラソン選手の体力が凄いか実感しました。
あ、そうそう、体重は減ったか?って?
楽しみに帰宅後裸になって乗ってみたけど朝と変わってませんでした。
しかし体脂肪率が初めて19%を切っていて18.5になっていたのは驚きでした。
いままでどんなに少なくても19.5だったから、やはり脂肪を燃やしたのかも知れません。
コンピュータによると、あんなに漕いだのに消費カロリーは、たった1119.2キロカロリー(爆)
でもカロリーメートは6本分かあ、悪くないか。
でもラーメンに餃子食って走ったからなあ。
でもたぶん食わないで走ったら辛かったと思うので良いことにする。
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素人から玄人 - 2006.01.29 Sun,08:38

自分がこのカテゴリーで列挙してきた写真はみなどこか「間違えている面白さ」か「理解不能」とか「力が抜けてしまう」というセンスのものを、ちゃかして賞賛しているものだったが、これは、とてもセンスの良いユーモアを感じて感心した類のものである。
一月中旬訪れた京都駅のホームにありました。
きっと京都や関西の人たちは、こういうセンスは僕がこうやって取り上げることほど特別な笑いではないのかも知れないね(爆)
まあ自分も笑ったというより、にやっとしてしまうというか、結局視界に入った時、すぐに通り過ぎることができず、こうして撮影してしまったからこの広告のインパクトは僕には直接効果があったということで、デザインした人に乾杯。
なんか受けねらいの広告の中には、見ると反感を覚えるようなものもあるからとてもさわやかなユーモアだと思いました。
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正露丸 - 2006.01.28 Sat,18:05
最近は2004年の12月上旬、正露丸に関係するニュース(まさに自分がページで茶化している点であるところの、デザインの意匠に対する訴訟)でそのページだけ、一時的にアクセス数が二桁も多くなった日もあるし、検索してみると様々なBBSやブログで、自分のページが紹介されることも多くなったので、びっくりしている。
正露丸のページは、本来、Websiteを開設して発信する目的の内容(自分の音楽活動に関する情報)とは全くとは関係のない趣味のページではあるが、ある意味そういう事例を知らなかった人への「資料」として参考になるページにいつの間にかなっていたということは、作った方の動機は単なる受けねらいで始めたとはいえ、これこそWebsiteを開設した意義があるというものだ。
自分もたまに調べたいことがあると、個人で開設しているある事象について詳しく説明したあるページから参考になることを沢山知りうるのは、まさに「時代」だね。
もちろん信憑性に関してシビアな判断をしなければいけないときは慎重を要するけれども。
それで最近正露丸の効能についてとある方からメールで質問を頂いた。
それに対する返答を、ここで、その記事へのトラックバックとして以下のことを記しておきます。
確かに僕は正露丸を集めてはいますが、僕は医療関係者ではないので、正露丸そのものの効能、害についてはなんともコメントする立場にありません。
僕が興味があったのはサイトにあるとおり、あのデザインの類似性です。
ただ、自分の知り合いの医者と飲みながら聞いた話を引用します。
>下痢をしたら、なぜむやみやたらに下痢を止めるということをさせるのか、熱が出たらなぜ解熱させるのか、この教育が間違えている。
こんな言い方を医者がするとは、と思いました。
でも、
>下痢をするということは、悪いものを外にだそうという体の自然な状態なのでそうなったら悪いものを出せば治る。
>熱が出ると言うことはウィルスを焼いているのだからむやみやたらに下げるべきではない。
(この件に関しては偶然1/22のテレビの「あるある大辞典」でも説明されてましたね)
もちろん今の二つの例を鵜呑みにして、どんな状況でもというわけではないでしょう。
実際病院に行ったら下痢を止めたり熱を下げる処置は状況によりすみやかにされるのでしょうから。
それでその医者は僕に言いました。
>正露丸を飲むときは、大事な本番の前に(僕はこうみえてもピアノ弾きなのです)冷たい牛乳とかアイスとかを体に入れて冷えて、お腹がごろごろいって困ったときには飲んでもいいが、O-157を始め、ウィルスが原因となる下痢のときは、悪いものを出さなくてはいけないわけで、強制的に下痢を止めようとするこの薬を飲むと良くない。
というものでした。
まあ調子が悪くなったら素人考えで診断を下すのではなく、病院に行くのが一番ということですね。
どんな薬でも効能書きにあるとおりには上手く効かないし、副作用というのは先般テレビでも話題にされていたインフルエンザの薬(タミフル)の幻覚作用(まだその薬が原因かどうかははっきりしてないんかな)を始め、効果がなかったり、逆に飲んだおかげで悪化する、体質や症状はあるはずだし、基本に立ち返り、薬を飲むときは、薬剤師や医者に相談するというのがまず素人の僕らからすると一番大事なことなのではないでしょうか。
薬を作っているメーカーとしては、しかも戦前からずっと売られてきたものにたいして、こちらが否定疑問文で質問したところで「この薬は有害だ」とはいうはずもないだろうし、この記事の沢山のコメントにあられるように、正露丸のおかげで悪かった調子を快復させた例も数え切れないほどあるから、何十年もこの薬の存在が認知されているわけで、メーカーの説明ではどっかで読んだ記憶があるけど、一口にクレオソートといっても色々種類があって、有害ではない物をつかっているとのことですし、最初に書いたとおりこの件(正露丸は毒か否か)に関して僕は医者や薬剤師ではないので何も責任をもった意見を言う立場にありません。
まあそれでも有害性を訴える医者がいらっしゃる訳ですから、その動向には注目すべきですね。
そんなことを言いだしたらコーラは骨を溶かすとか、子供の頃から誰彼からも聞いてきて好んで飲まなくなったし(爆)、スタミナ・ドリンクを本当にコマーシャル通り一日一本飲んでいったら肝臓が壊れると薬屋で説教された経験もあるし、(じゃ、売るなよ)怖いのは正露丸より僕にとっては、煙草やアスベストやBSEの疑いのある牛肉です。
と、まあどんどん脱線してしまいますので、この支離滅裂な文章から本意を読み取って頂ければ幸いです。
結論としては、
正露丸は他のどんな薬とも同じで、説明書に書いてあることに沿って服用すれば効くでしょうし、使い方を誤ったり症状によっては使わない方が良いときもあるだろうし、服用前に不安を感じたり、飲んで効果がなかったり症状が悪化したとしたら、即刻専門家の意見を聞くべきであること。
それと僕のサイトで扱っている正露丸は薬の効能についてというより、様々なメーカーによるデザインの豊富さを楽しんでいるのに過ぎませんので、医療的なご質問には僕はなにもコメントできないことをご了承下さい。
そうだな、先週の土曜日、確かに僕は酷い下痢になやまされましたが、その日と翌日、家に帰ってきてさんざんトイレに行くだけで数え切れないほどの数がある正露丸のどれも飲みませんでした(爆)
何故飲まないかというとコレクションだからです(爆)
でも下痢をすれば、ダイエットにもなりそうだし(違)、だせば出すほど気分は良くなり、寝ていたら元に戻りました。
確かに仕事の後にそういう状態になったので良かったと言えば良かったです。
しかし矛盾することに、飼い猫がその翌日珍しく下痢をしていて、それをみると、「すわ、大変だ!」と医者に「下痢した下痢した下痢した、てえへんだ、てえへんだ、どうしようどうしよう」と下痢の薬を何の疑問もなくもらいにいき、飲ませ、元に戻ってホッとしながら、ふと、なんでこいつが下痢をしたからといって止めないととおもったかというと家のなかを汚されるのが嫌だという事がもしかしたら優先順位のもっともトップに来ていたのかも知れん。
餌を与えてもその日はほとんど食わず、ずっと寝ていたら翌日から快復していた。
猫の方が自然の摂理に従順なのかもしれません。
しかし下痢から快復してみると、まともなうんこをするというのはなんともありがたいことなんだと実感しました。
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売れても占い商店街 - 2006.01.28 Sat,08:07

これは、2004/9/12に大阪のシンフォニーホールへ仕事で行ったときに、
ホールのそばで出遇ったもの。
解説は必要ないと思うが、視界に入ったとき力が抜けた

URLも同じ乗りでやっているのだが、
悲しいかなアルファベットにするとインパクトはないね(爆)
やっぱりこのセンスは良くも悪くも大阪だなあと感心した。
@東京生まれの最近は神奈川県人
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ほととぎす三題みたいだった(爆) - 2006.01.27 Fri,22:40
中学や高校の頃はけっこうスポーツ車に乗って、専門誌も買っていたし工具もそこそこそろえ、分解調整をしたりしたものだ。
遠くへツーリングをしたことはなかったが、歩くより「高速に移動する」手段はその時分の自分にとって(ダジャレではない)は自転車が一番だったし、しかも「楽しく乗る」ということに於いて,自分の仕事、ひいては人生に直結しているピアノの選定と同じくママチャリでそれを味わうことは考えたこともない。
しかしいつしかロードレーサーと当時は言っていた自転車もフレームだけが家の横に放置されていて、十数年そういう状態の中で、いずれはそれに再び乗りたいから捨ててなかったわけだ。
しかしいつしかうそういうのを再調整して乗れるようにするよりも、新品(ロードレーサーじゃなくて、クロスバイクみたいなのが欲しかった)を買った方が安い(性能を考えると子供の頃より断然自転車は安くなっていると思う)と思うようになっていた。
今思えば放置してあったものは、セミ・オーダーのクローム・モリブデン製のフレームに、最近はあまり見かけないけどドロップハンドルの一番先っぽに変速機レバーがついていて、チューブラー・タイヤを履いた当時はそこそこ本格的なものだったので、ある意味クラシックカー(爆)だから再調整すれば、詳しい人には時代錯誤的にあきれかえられたかもしれないのになあ。
でも今の気分はつゆほども浮かんでないときに、去年粗大ゴミに出して捨ててしまった。
最近は買った折りたたみのミニサイクルでももう一台あるママチャリでも健康のための自転車乗りは十分につとまるとおもっていたが、正月以来距離を長く走るようになったとき、あのレーサー風自転車、捨てないで直して使えば良かったと思い直していた。

正月に江ノ島までママチャリで何人かでサイクリングした話を投稿したが、やっぱりあの爽快感は、みんなで一緒に走って遠くまで行ったという爽快感ではあったが、自転車に乗るという「そのものの楽しさ」にはほど遠かったし、この自転車に乗って走り出すといきなり高校生のころのあの爽快感がよみがえった。
まさに良いピアノで弾くのと、とりあえず音が出るぞという楽器で弾くのとの違いだ。
前者を知ると、音楽は気持ちだけではなく楽器でその悦びが無限大に拡がると思うものだ。
何十年ぶりで前傾姿勢で漕ぎはじめたときはちょっと不安になったものだが、もうママチャリに乗ることに戻れない(爆)
この内容と件名にどんな関係があるかというと、今日は目的地で三人の女性にあった。
もちろん、彼女たちはいわゆるドロップハンドルの自転車に乗った経験がない。
おもしろいので、レッスン前に乗ってみないかと薦めてみた。
ちなみに三人の内二人は正月に江ノ島を走ったメンバーでもある。
件名にほととぎすと書いたのは、
「鳴かせてみよう」「鳴くまでまとう」「鳴かねば殺してしまえ」のことだ。
さて、結果は。
最初の人。
「このハンドルはどこをもつのですか。」「ブレーキはどうやってかけるのですか」と綿密に僕に心得の10秒くらいのレクチャーを受けたのちよろよろと走ってすぐに停まった。
きゃあきゃあ怖がった割にはとりあえず成功。
次の人。
普段自分が乗っている自転車との違いに驚くのは先ほどの人と同じだったが、いわゆる女乗りができないので(サドルの前から足を反対側のペダルに乗せること)どうやったら足をペダルに乗せるかばかりを考えているなと思ったらいきなり大胆に勢いをつけてまたがり乗ったと思ったらすぐに走り出した。
そうそう、前の人は、自転車を十分に倒して跨りやすいようにして時間をかけて跨ったのに比べ、この人は自転車は直立したまま、まさにいきなり跨った。
動き出したけどあきらかにブレーキの事を忘れてるなと思ったらそのまま車道の方に進んで行くから
(あ、そうそう、この実験は食事をした蕎麦屋さんの駐車場でやったの。だったんそば、とても美味しい。)
慌てて追いかけて「ブレーキ!」と叫んだら、その瞬間彼女も「危険な状態に自分は進んでいること」に気づいて、たぶん足を地面に着けて停まろうと思ったらしいが、サドルの位置は結構高いからそうも行かずいきなり転倒。
だってその直前別の人にブレーキのことについて説明をしたのを彼女は見ていたはずなのにまったく効果はなかったわけだ。
乗るということは、またがって動くだけではなく、停まることも前提に考えてこそだと思うのだが(爆)
きっとどこかぶつけて今も痛いだろうしよく怪我をしなかったと思うような倒れ方だ。
三番目の人。
経験した二人から、トライすることを勧められた(そこが面白い)が、リスクを冒してまではそんなことに挑戦するものかとなにもせず終わり。
僕の記憶では、彼女は三人のなかでは唯一高校生の頃陸上部に所属していた体育会系のはずなので、運動能力に自信がないタイプではないことを付け加えておく。
この指向性は演奏にも反映しているのかどうかはさすがの俺もわからない(爆)
でも人間は新しいことに出会うときこんな些細なことでも、それに対する反応の仕方にそれぞれの個性が出ていたことが面白かった。
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成功の意味 - 2006.01.26 Thu,00:58
「客観的な成功ではなく、自分で設定した成功というものを目指して頑張って欲しい」
というようなことを述べていたのが印象的だった。
(細かいレトリックはどうだったか忘れたが、「成功」というものは曖昧なものなので、そんなものは目指さなくてもよいという言い方をしていたかもしれぬ、。)
これは、想像を絶するプレッシャーのかかる立場の人のみが言いうることであり、自分のような一般人にとっては、自分の仕事の結果について「言い逃れ」に利用することもできる表現なのだが、これからメジャーリーグに挑戦する松井選手に対して、「あの」イチロー選手ならではの、とても示唆に富む暖かい言葉だと思った。
演奏に対する「評価」、「成功」の基準は、多くの場合、聴いた人の反応、動員の数にて認識されるだろう。
客観的な評価をないがしろにするわけではないが、「独りよがり」というレヴェルではなく(この判断基準には客観性という言葉を当てはめるのが極めて難しい)、「自分が音楽に向かい合っている状態でのみ、感じる達成感」とか、確信というものも、客による評価の判断の前に、演奏家自身が自問自答し、次の自分のモチヴェーションの醸成にはとても必要なものだ。
ある意味そこは「アマチュア」の純粋さの部分かも知れず、誤解を恐れず書けば、逆にプロは超一流のアマチュアで無ければいけないところなのだろう。
客が喜んでも、なにか自分が虚しいこともあるし、客が期待したよりは無反応であっても、実に自分としては確信を持つこともある。
いったい、「何を伝え」「何を評価基準にするか」ということ。
このことが如何に人それぞれに違う価値観を持ち、自分の中でも常に即答できるようなものではないことは若い頃から思ってきた。
自分で求めているものが共演者とあわなかったり、聴衆の求めているもの、クライアントの求めているものと乖離したりすることはどんな小さい仕事でも覚悟しなきゃいけない。
反面、じゃ、物わかりを良く相手の希望にのみ添っていくやり方が仕事なんだと思っても、できることとできないことは技術的にも生理的にもある。
自分で全く望んでいない弾き方(趣味の合わない指揮者や演奏者との共演、あるいは神経を逆なでするような劣悪な作品や、演奏家に愛情のかけらも持ってないプロデューサー)をして、客にこいつはこういう趣味なんだと思われるのも悔しいがにっちもさっちも行かない状況に追い込まれるのは演奏家として常に出合うリスクである。
客に伝える前に、自分が音楽に対して誠意をもって向かい合っているか自問自答することは、やはり「仕事」で音楽をする場合、つまり自分で自分の為に弾くのではなく、「他者に聴かせる(聴かせたい、というニュアンスとはこの場合は根っこは同じであっても少々違う)こと」を前提としている場合、言葉で述べるほど、簡単ではないが、忘れてはいけないことだと思う。
その意識の変化は演奏家自身にしか感じない些細なもの(あるいは、客にはそのオーラが滲み出てきて伝わるのかもしれないが)だが、とても大事なことだと思う。
その先に、結果が「成功」なのか「失敗」なのかの判断基準が生まれてくると思うのだ。
でもここまで書いて思った。
こういう論旨こそ、素人っぽいとも言えるな(爆)
ある水準を保ちながらとにかく目の前に来るオファーを「こなす」のがプロでもあるからね。
いちいち情緒を必要以上に感じて自問自答してもそれは勝手だが結果しかだれも望んではいないとも言えるわけだ。
何を書いているか分からなくなったので寝よう。
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秋田人情物語 - 2006.01.25 Wed,01:19
*****
この秋は見知らぬ人の人情に触れる機会が一度ならずあった。
人情の定義はむつかしい。
しかも身分不相応に普段から周りの人に親切にしていただくことは多いと思っているので、この事例だけ取り上げるのも、その他の場面に親切にしていただいている人に申し訳もたたない気もするが、ドラマみたいな情景が現実にあるんだというこぼれ話として読んで欲しい。
まずは十月のこと。
秋田県の湯沢というところに、秋田出身の歌手、ぶんぶんさんとホテルでディナーショウの仕事で行った。
リハを前日の深夜にしたあと、当日は、本番直前までその場所は別の催し(お医者さんの学会で、その夜のディナー時に我々が演奏するのだ)をやっているので、朝からすることがなかった。
故に、舞台監督の男性(もちろんそのとき初対面だったが)と近くの温泉に入りに行った。
とても良い湯だったのだが、まだもちろんホテルに戻るには早すぎた。
歩いてそこに来るときに、「ダリア園」という看板を見たので、温泉の主人に聴くと、歩いて20分くらいで行くだろうとのことなので、向かってみた。
しかし、あるけどあるけど、着かない。
元々、マクドナルドも吉野家もスターバックスもない町で、コンビニさえ見かけなかったから、店がある町並みを過ぎ去ると段々不安になった。
道を間違えているはずはないしどうしようと思ったところ、酒屋さんというか、看板にデイリーヤマザキと書いてあるコンビニが見えた。
温泉上がりだし、歩いて喉が渇いたから、そこでスポーツドリンクを買いながら、「ダリア園は近いですか?」と聴いたところ、「歩くなんてまだかなりありますよ。何なら送ってあげましょうか?」と予想外のお返事をもらった。
これには二人ともあっけにとられたが、優しそうなご主人は、みしらぬ怪しい男の二人連れを後に車に向かっている。
「い、いいのかなあ、、、」って顔を見合わせる二人なんだが、気がついたら僕はどんどんと軽自動車のバンの後部座席にずうずうしく座っていた。
そして数分載せて頂いて、今日はなぜここにいるかとか、自分の正体を明かしているあいだに着いた。
やはり僕がピアノ弾きだとは想像もつかなかったらしい。(爆)

そして花を愛でる柄ではないが、そこ一面にひろがるダリアを満喫し、何枚も写真を撮って、ダリアがこんなにも種類が多いのか驚嘆した。
そして帰りにやはりお礼を言うしかないだろうと、今度は歩いてそこまでもどり、もう一度入って、地ビールなんかをお礼に買おうとしたら、主人は配達で不在だった。
代わりに応対してくださったのが、なんと美しい、まさに秋田美人とはこの人だという様な、若い奥さんだった。
これには二人ともびっくりし、よけいなものまでたくさん買い込んでしまった。
この奥さんも我々の訪問の話を聴いていたようで、「あ、あのダリア園の人」と行ってくれたのには、渡世人としてはなんか嬉しくて、深々とお礼をして、店を後にした。
二人とも、「あの夫婦に幸あれ」っていいたいよね。
なんて悦にいっていた。
優しい亭主に美人の奥さん。のどかな町で見知らぬ僕らに親切ととびきりの笑顔をくれました。
ダリアも美しかったけど、奥さんの美しさはそれ以上でした(^^)V
そういえば、湯沢のホテルで前日の夜、一人で飯を食っていたとき、レストランでハンバーグを頼んだ。
(またかよって知らない人に言うとだいたいそのメニューのある場所では95パーセントの確率でそれを頼む)
待っているときに、別に催促したわけではないのに、ウエイトレスがそばにきて、「もうすぐできますからね」なんて言ってくれたことを思い出した。
朝飯の時、別のウェイトレスが「納豆は食べられますか?」と質問したので、「大好きだぜ。二人分持ってきても良いよ」なんてジョークを飛ばしたら、本当に二人分、それも小さなカップじゃなくて普通僕らがスーパーで買うあの正方形のケースの分を二つ持ってきてくれた。
そして演奏後、近所の割烹に行って「きりたんぽ」をごちそうになったのだけど、個室に運んでくる仲居さんはいれかわりたちかわりみなさん違う人たちだったのだが、僕が馬鹿話でぼけるとすべての人は、「のりのり」でつっこんでくれた。
関西の人のつっこみとは違うんだけど、東北の人はもっとシャイで無口かなと思ったけど、もう、おもしろくておもしろくてすっかりたのしんじゃいました。
この話とはちがうけど、11月に、那須に行ったときにも、新幹線の駅のそばの売店の人に、ただで、おまんじゅうをもらうことにも遭遇して、(びーた日記の那須の項を参照のこと)地方に行って人のやさしさに触れてなんか、ほのぼのとする秋を過ごしました。
給与生活ではなく、苦しい毎日ですが、こういうことがあると、「ルーチンワークじゃない渡世人ならでは」だなとちょっと自分を慰められたりできます。(爆)
優しい人ってたくさんいるんだね。
本来宗教や民族を超えてみんなこうやって触れあっていけば戦争はおきないはずだ。
そのために俺も音楽をするべきなんだ。
なんて書くと偽善的な優等生みたいになるからここで終わり。
ダリア園は大きいのから小さいのまで色とりどりの花が綺麗だった。
たしかあのコンビニ、大友商店さんだったと思う。
湯沢のダリア園に向かう街道の右側にあったよ。
そっちに行ったら是非とも地ビールを買いましょう。
もう一つの驚きはダリア園の脇に、しおれて捨てられたダリアの数々。
でも花の絨毯のように眼についたので写したけど今じゃどっかに写真いっちゃった。
捨てるのはもったいないほど綺麗な花の色だったよ。
生えているのも綺麗だけど、捨てられた花にこんなに立ち止まったのは初めてだった(爆)
本当に人が歩かない町だ。道路に人気がなかった。
みんな車で移動するのだろう。
しかし、歩きながらふと、「今日お会いするのが初めての二人が一緒に温泉に入って、町の人の人情に触れる」っていうのも昨日の晩には想像しなかったことですよね、ってお互い言い合っていたのが印象的だ。
人生ってドラマチックだな。(爆)
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チラシ画廊06池辺晋一郎を楽しもう - 2006.01.24 Tue,10:02

ご縁があってたびたび氏の作品の録音に立ち会ったおかげでこのような演奏会に独奏などをさせて頂いたのは誇りであるが、彼の面白いダジャレ満載のトークは仕事中も楽しみにしているし、特に檀ふみさんとのほとんど漫才に聞こえるやりとりも楽しいし、やはり実物をそばで拝見するとやはりとても美しく、聴衆としても楽しんだ。
しかしエジプトだったかそこの奏者に頼まれたタンブリンとピアノのための作品は頼まれていたことを忘れホテルで苦労して書いたのにギャラがチョコレートだったというのは本気で笑えた。
忘れたといえば、演奏会の数日前に突然予定になかった連弾の作品を高橋アキ氏と弾くことになったが、その作品は彼が高校生の時に書いたもので、譜面を見ながら「どんな感じにここは弾けばよろしいでしょうか」と訊いたら「どんな曲かそんな昔のこと覚えているわけないだろう、なんとかしてくれ」と言われた。(爆)
そういうものなのだ。
だから今モーツァルトが生きていても期待に反して似たような答えが返って来るに違いない。(爆)
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死について、すなわち生について - 2006.01.24 Tue,03:15
******
これほど「死」に直面した一年はなかったかもしれない。
この問題については書き出したら途方もなくなりそうなのだが、自分の父の死に遭遇していたのだ。一月の終わりだった。
初めて目の前で人の死ぬのをみた。
しかしそれはクモ膜下出血による突然のことであったが、自分の父親の死としては、なかなか感銘をうけた。
変な書き方だが、まさにpoco a poco diminuendoしながら、生きている炎が消えていくのを観るのも不思議な気持ちだったが、それまで意識不明で「生きていたとき」の決して「楽そうに見えない表情」よりも亡くなったその後のあの平安な顔の表情が今でも脳裏に焼き付いて離れない。
それもよりによって当時の俺がめったにしない作曲(今じゃお蔵になった劇音楽作品、絶対にそのうち別の作品として復活させる。)をしている時期で父の最期の直前まで顔をみながら音を探していたので、ある曲がその情景がいっしょにすりこまれてしまい、自分で演奏しながらどうしても父の最期を思い浮かべるようになってしまった。
その後、春になって信じがたいことだが、近しい縁故者の四歳の長男が交通事故にあった。
可愛い盛りなのにそれはそれは、歳をとった人間の死に立ち会うのとはまたかけはなれた悲しみだった。
ご両親の苦悩とその廻りの人たちに対して、この饒舌な俺がなにも言葉がでなかった、、、
毎日ニュースで子供が事故にあうことを見聞きはしていたが、当事者になるとこれは書きあらわせないものがある。
どうしてこうも続くのかと思っていたら夏に叔父が亡くなった。
癌だった。
とても好きな叔父で決して高齢ではなかったのでトリプルパンチはかなりのダメージがあった。
けっこう訃報になれていない俺は無気力になりそうになるくらい、きつかった。
俺は厄年だからそのせいかなと自分を責めてもなにもかわらない。
そして同じ時期、親友の母も逝ってしまったし、別の親友の父もつい先ごろの元旦に亡くなったそうだ。
ふたりとも僕らが共演をするときは必ずほほえみをもって聴いてくれたひとだ。
そういう年令になったのか、と割り切るには今年はパンチを受け過ぎだ。
近しい人の「死」にでくわすと、逆に普段は忘れているかもしれない自分の「生」について深く考えざるをえなくなる。
(98/12)の半ばに行われた、チャリティーコンサートの主宰者の大塚禮子さんが年末に突然亡くなってしまった。
なんということだ。当日お会いしたときは「私は不滅よ」といっていたじゃないか。
コンサートの翌日新聞にもとりあげられたが、みずからが癌にかかったこと、そして克服したことで決意をもち、その病気を撲滅するために始めたシリーズのコンサートだった。
今年の秋、ちょうど、ミュージカル「ローマの休日」の東京公演のころ、ひさしぶりに12月にチャリティーコンサートをするからその打ち合わせをしたいということで、ある夜、御夫婦とその姪の秘書と四人で食事をした。
いつもの調子で馬鹿話で盛り上がったときには元気だったのに、11月に突然再発し、コンサートにはこれないかもしれないと秘書には言われていたのだ。
(俺とはすでに知り合っていたが、俺が演奏していたことは彼女は築かず偶然ミュージカル「蜘蛛女のキス」を観にきて、もう凄い感動を覚えた話を後に聴かされたとか、だいたい92年のカザルスホールでのモンポウナイトのリサイタルにも俺が一人で弾いていることを知らないで来て眼をまん丸にして楽屋にくるような人だった)
ドクターストップがかかっていたのに無理をして車椅子でホールに来て、涙ぐみながら癌研に目録を渡した。
舞台に出る直前、ずいぶん痩せたな、とはおもったけど、「寅(自分の事をフーテンの寅になぞらえてよく話をしていたから)が来たからもう大丈夫だぜ!」と舞台袖で声をかけ、酸素を吸入しながら車椅子に座ったまま俺の手をにぎったときにいくつかかわした会話のあと、自分としては、いつもの数倍プレッシャーを感じてステージに一人ででていった。
病院にすぐにもどらなければならないのに、俺がピアノに座ったときの視線の延長線上に車椅子に座った彼女が見えた。
通常独奏だし、やはり演奏会の最初はとても緊張しているものだけど、あがっている余裕さえなく、お客さんがやたら盛り上げてくれたのでそのうち熱中したので、彼女がいついなくなったかわからなかったが、数曲は聴いてもらえたそうだ。
そして12/27の夜、仕事からの帰り、駅から自宅までの自転車にのりながら彼女が亡くなったという連絡を受けた。
携帯電話を持ちながら思わず天を仰いだ。いつもより星がはっきりみえた。
あの演奏が、「ある人の生涯の最後に聴かせた『生』演奏」だったとすると、なんかとても重いものを感じる。
と言うか、自分の人生に照らし合わせても一回一回の本番で自分が発信する音楽のメッセージがその人の人生になんらかの「意味」を与えられていたのか、とおもうととても恐くもなる。
普段演奏する時に「自分がどう思われるか」とか、「上手くなりたい」とか、曲の解釈が正しいの正しくないのとか自己表現だとかいうことに思いをはせてしまいそうなのだけど、これ以来思った。
こんなちっぽけなものに終始していてはいけないのだ。音楽をするということは。
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京都の最後の晩 - 2006.01.24 Tue,01:25
そうだ、ホームページのあり方もこれでいいのだと思いました。
開設当初なら表紙のカウンターがとても気になっていました。
だから他のページに直行しないで表紙を通って来て欲しいと思ったけどそれは検索エンジンが充実した今望んでも不可能なことで、こうやってブログをやり始めたら(しかも自分は今のところ三つもやってるし)なおさらです。
色々なキーワードを通じて自分のページにいろんな人がいらっしゃるようになったわけです。
だから入り口はどこでも良い訳です。
飲み屋の話に戻ります。(何故?)
赤提灯があって引き戸を開けてみたらなんというかすぐにスツールがあってカウンタがすぐありました。
つまり座ると背中が戸に当たるので、「店の中を歩くことが不可能」な希有な店でした。
ゆえに客の出入りは各々の背中の引き戸を開けてそれを実行するのです。
そこが寒かったからか僕はすっかり体調を崩し、いつもの泥酔状態にはちっともなれず、高速バスまではまだ数時間合ったので二軒目に行きましたがなんと湯豆腐しか食べられませんでした。
お腹が壊れていたのは良い(わけがない)のですが、店に入って初めてトイレに向かうときに前触れもなく歩きながら、それまでの思い出を普通は質量のない言葉とか歓声として口から表現するのに、なぜか質量のある物体が引力に逆らって逆上してくるのを感じました。
それは酒を飲んで気持ち悪いというより、完全に体がイカレてこみ上げてくる種のものでした。
でもそのときは、実にやばそうな、まるで詰まった排水溝のような音を(うおぉ)食道からフォルテで歩きながら咆吼させ、ちょっと通り道の客はこっちを振り返ったくらいのインパクトがあり、
なんてことを書いて居るんだろう。
まあいいや俺のブログだ。
普段めったに体調不良の事は書くのは趣味ではないのですがもう止められません。(爆)
でも京都にいる間は絶好調で、毎日自転車にのって鴨川沿いを走っていたことはこの数日前の記事を見れば分かるとおりでその日の演奏中も普段通りというか、演奏は緊張したけど、ネガティヴな緊張ではなく当たり前の緊張というか、本当に精神的にも調子が悪い日は演奏直後から胃けいれんみたいなのが起きるわけで、そういう兆候もまるでなかったからびっくりです。
気持ちとしては、消化器系統がその機能を放棄した感じ(昔は良く年末にこういう症状で高熱を出し寝込んだものでした)で、体全体が演奏して昂揚するのとは正反対の不快感で熱っぽくなってきたけど、関西のミュージシャンたちと実に沢山、音楽のこと楽器のこと演奏の技術のこと、その日演奏したモンポウのことプーランクのことについて、これは字義通り熱っぽく語り合えたので、脳は喜んでいました。
咳もクシャミも鼻水も出てないから風邪と言うより、疲労と寒さが突然消化器に来たかなって感じです。
でも調子が悪かったから、他人の話をあれでも良く聴いていた(爆)と思うし、僕を上回る情熱の持ち主ぱつら氏が居たから、自分で喋らなくても話題が停まることはなかったし、僕の様々な内面をずばずば指摘され面白くてしょうがなかったです。
他の二人も実に個性的な世界観をお持ちの方ですから、話が弾みいつも僕と東京で飲んでいる皆さんにもこの会話は聞かせてあげたかった。
つ、つまり、僕にも酒席で音楽論を語る時があるんだということを、、、(汗)
帰りのバスは眠れず苦労したけど家に着いてずっと寝てたから今はほとんど快復しました。
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チラシ画廊05“どんぐりと山猫” - 2006.01.24 Tue,00:14

今まで紹介したチラシからすると専門のデザイナーさんの作品ではなく、ホールの職員さんの手によるものだけど、この演奏会自体に思い出が強く残っているのでアップロードしてみた。
僕のマシンから見ていると写真の周りの色は黄緑に見えるけど、実際にプリントアウトされたものを見たときはグリーンがもっとダークで渋い感じだったという記憶があります。
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全角英数字を葬り去りたい - 2006.01.24 Tue,00:03
********
あくまで僕の独断でありますが、なんでこんな文字が存在する必要があるのか理解に苦しみます。
自分のサイトのゲストブックの趣意説明のページにもあるとおり、たとえば、JuninhoとJuninhoは検索すると表したいことは同じなのに「違う文字」として認識されるからどちらか一方のつもりで検索しても他方の検索には失敗します。
たとえば、電話番号などを全角で書かれたメールからコピーして、電話番号(FAX番号)として定義されているデータベースのフィールドにペーストし、そこから直接電話をかけさせよう(電話をかけることは頻繁にないにせよ、FAXソフトを実行するときはまさに重大なこと)としても、全角だと「数字」として認識されないので送信されない。
また、全角と半角も同じ数字だと勘違いされている初心者は、メールアドレスや電話番号、ホームページの在処を表すURLを全角で記してくる人がいます。
もちろん、それでは送信もアクセスも失敗するわけで、弊害の方が利点より遙かに多いと思うのです。
こんなことを書くには僕の元に、住所の番地や電話番号を知らせてくださる方々のほぼ過半数全角英数字を使って来るという現状があるからです。
加えて、商用サイトにおいて、住所は番地まで全角数字でなければならないという僕にとっては理解不能な規制もあったりします。
だから僕が騒いでもまったく、全角英数字をこの世から葬ることには成功しないだろうし、そう書いてきた人を恨むのは筋違いなんですが、やっぱりすごく迷惑です。
いちいち、僕は全角で記された電話番号などを、コピーして直接住所録にはりつけるのではなく、いちいち、半角にしてデータベースのフィールドにタイプしてという手間をかけています。
もちろん、あるデータベースに於いては、関数でそれを自動的にさせるということをやってみたが、フィールドは二つ以上必要となるし、データベースのフィールド定義は実に複雑な構造になってしまった。
なんで全角の英数字が必要なのか考えてみたら、葉書のように、縦書きで住所を書くときには全角の方がバランスがいいのでしょうね。
でもメールアドレス、URLはよっぽどの初心者でないかぎり半角でしるされますが、、電話番号のみならず、アラビア数字というのは半角で書く習慣をつけるべきだと声を大にして言いたいと思います。
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Erard(エラール)Piano1927年製 モデル260フルコンサートグランド - 2006.01.23 Mon,19:32

この大きさの楽器(コンサート用の大きさがある)としては、鳴らす部屋が小さかったので、マキシマムのポテンシャルについては出し切れなかったとは思うのですが、とてもレスポンスの良いタッチに調整してもらっていたので、タッチに関しては軽快な曲を選んで弾いてみたけどとても弾きやすかったです。
コンサートの模様については演奏会ブログの該当記事(この文字列をクリックすると飛びます)にあって、本来ならばこちらに書くべき内容もそっちに書いてあるし、ここに貼り付けていない写真もあるので、そちらの記事も参照してください。
自分としては、このような現存しないメーカーの名器を、試し弾きのみならず、小さなコンサートだったとはいえ、聴衆の前で演奏出来たことはなかなか出来る物じゃないし、誇りに思います。
自分の楽器を持ち歩けないピアノ弾きである以上、こういった良い楽器に偶然出会い弾くという楽しみをこれからももっと味わいたいと思います。
そして、ピアノは消耗品だという固定観念をもっている人々に、良い技術者の手にかかればある意味いつまでも使える、ということを知らしめたいし、また実感していきたいと思う。
こういう楽器でしか出ない音色の記憶を自分の体験としてもつことは、古楽器に出合うことと同様、この楽器が「現在進行形」で存在していたときに発想された音楽というか響きのテイストを理解するのに大変価値のある役割を果たすでありましょう。
こればかりはこの場に居なかった人に言葉で形容出来るのは、僕のレトリックでは大変難しいし、それは音楽家よりも詩人の仕事だと思うし、何度も書くが実際に触って覚えることはあちこちに渡世の旅をしないと出来ないわけです。
しかしながらこの極東の日本にも、おびただしい数の面白いピアノはあちこちにあるだろうし、その素性をそれぞれ調べたら、大変興味深い本が出来るのだろうと思います。
次回のこのカテゴリーの記事は、同じ日に弾いた1924年製のベヒシュタインです。
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