Sunday in the Park with Georgeの視覚効果の仕掛けは相当面白いです(加筆再投稿)
2009-07-04
ソンドハイムのミュージカル、サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージはついに明日渋谷のPARCO劇場で開幕しますが、昨日劇場で通し稽古をしていました。
その時点では自分が全部弾いていたので観ることができなかったけど、その前のリハーサル中には、僕と分担し全公演のうち何割か弾いて貰う、もう一人のピアニストに演奏を頼み、二幕の半分くらいは客席にいて、客の視点で観、聴く事が初めて出来ました。
今回のこの舞台は、視覚的には画家、ジョルジュ・スーラーの話だし、チラシにある有名な“グラン・ジャット 島の日曜の午後”がチラシにもなっているので、当然「眼」に訴える演出がされるんだろうなとは漠然と想像していたけど、やっぱり自分は演出家ではないので、具体的にはなにも思い浮かんではいなかったのは当然です、ストーリーも知らなかったんだから。
しかし、こんなにまで「網膜」、あ、だまされてはいけない、表面的な視覚の悦びではなく、二次元だったものが三次元になったり、そこにいろんな人間の人生が重なり合ってリアリティをうきだたせるイメージなんだな、そう、それを観ている人に楽しませるこんなに凝ったしかけのある作品だとは思わなかった。
だからあんなにシンプルな舞台装置だったんだ。
同様に、ほとんど舞台装置がなかった、CHICAGOのシンプルさとは全然違う。
あっちが黒の上に成り立っているシンプルな世界だったらこっちは、根本が真っ白でなくてはいけない世界観だし、あっちは、バンドが客に見えているということが象徴的に大事だけど、これは音楽がとても大事なんだけど、もしかしたら音質には影響があることは承知の上で、客席から見えないところから音楽が鳴ってくるというのは視覚効果を最大限に強調するためには必然かも、、とはこれを書いていて思えてきた。
さっきまでは、なんで、せっかく生演奏なのに、マイクを通した音しか客席に聞こえないのか、いくらピットの無い劇場とはいえ、あんまりじゃねえか、とずっと劇場にいるときから、弾いている場所で自分が聴いている「生の音」と客席で聞こえてくる音の質感の乖離にいらいらしていたんだけど、やっぱりこうやって文章にしていくあいだに点と点がつながってくることもあるんだな。
これこそ点描に通じるといったら無理矢理な感じがするけど(爆)
話を元に戻そう。
映画の特殊撮影を楽しむというのとはちょっと違うけど、舞台なのに映画を観ているような錯覚、やっぱりこれが舞台で起きていることが面白いといえばよいのか、とにかく観にいらっしゃってその部分も含めて楽しむに限ります。
かつて、高校生の頃(70年台半ば)いろんな「実験映画」(寺山修司さんの「演劇的にアヴァンギャルドなもの、たとえば、「青少年の為の映画入門」と題されて、三つのスクリーンがあって、両側の画面にはなにが映っていたか、もしかしたら寺山修司さんの小学校の通信簿だったかなあ、あとは忘れた、、、そして真ん中には、スキンヘッドの全裸の少年が現れてカメラに向かって放尿するだけ(爆)、とか、別の作品では売春婦みたいな女性が二人観客を画面の中から挑発していたら一人の観客が僕のそばの客席から画面に向かって歩いていくとそのうち画面にひっぱりこまれて画面のなかに現れて身ぐるみ剥がれて真っ裸でまた画面の中から飛び出てくる、、、とか、逆にグラフィック・アーティスト出身の監督のものだと、ストーリーはなく、とにかく眼がチカチカするような感じの、動く「模様」みたいなものがずっと続くものなど、、、)を観て歩いた時期があった(そういえば、当時西武劇場と言っていたこの劇場でもそういうイヴェントで観に来てたんだ)から手法の「新しさ」とかに面白がっているというより、そのころの「アヴァンギャルドなとんがりかた」とはちがって、なんというか「普通に」商業演劇でも素材の一つとしてそういう手法が溶け込んでいることに隔世の感を感じるのです。
でも今回の舞台装置の中にある絵の制作にはすごい苦労が隠されているのだろうね。
自分の仕事としては、かなりピアノ単独の状態から間髪を入れず、ピアノとキーボードを左右の手で同時に演奏することに移動しながら早い曲の譜面から眼がそれない状態で棒を見ながら周りの音を聴いてアンサンブルすることにも慣れてきたので、今日のゲネ・プロでたぶん初日を迎える自信を確実にすることができそうです。
それはそうと、数日前にも感極まって涙してしまったことを書いたが、もう何が起こるか分かっているのに同じ場所でまた涙を抑えることができなかった。
その瞬間、客席は暗かったし、周りに人がいないところで涙をぬぐえてよかったと思いつつ、やっぱり長い間練習してきたセクションとは違い、まだこの作品に知り合ったばかりだとはいえ、またもや涙腺が緩んでしまう心理っていったい自分がどうしたんだろうと思って、楽器のところに戻ったら何人か同じ事を言ってきた。
ということは、みんなそれぞれの私生活に投影しがちで(爆)、なんか思い当たるふしか、心の中の理想を見たのか、どうかわからんけど、これはやっぱりこの手の仕事をしている輩にとっては、低くない確率で心の琴線に触れる内容なのかもしれません。
さすがに弾いているときには大丈夫になったけど、観たらだめだ(爆)
画家の人生なんて知らないわけで、そのリアリティとかが真に迫っているとかいうんじゃないところなんだけど、なんかいろんな場面が重なったあと出てくるある台詞がツボなんですね(爆)
もちろん今回の仕事に関わって居る人全員泣いているわけじゃないから(爆)、これから観る人(音楽家であれそうでなくたって)にとってはもちろん泣けなくても恥じることはないし、ましてや僕に、年取ったから涙腺弱くなったんじゃないの?と言いたくなったとしても、自分の人生に作品を投影して涙するくらいの権利は俺にもあるわけだから、聞く耳を持ちません(爆)。
そんなことより、観にいらっしゃる方は、もしかしたら、
"グランジャット島の日曜の午後"という絵を今一度よ〜く、このページや、画集などでじっくり観てから劇場にいらっしゃると、より楽しめるかもしれません。
関連する作品と本作の習作もそこにあるから見比べると興味深いね。
スーラーに着いては、このページに情報があります。
その時点では自分が全部弾いていたので観ることができなかったけど、その前のリハーサル中には、僕と分担し全公演のうち何割か弾いて貰う、もう一人のピアニストに演奏を頼み、二幕の半分くらいは客席にいて、客の視点で観、聴く事が初めて出来ました。
今回のこの舞台は、視覚的には画家、ジョルジュ・スーラーの話だし、チラシにある有名な“グラン・ジャット 島の日曜の午後”がチラシにもなっているので、当然「眼」に訴える演出がされるんだろうなとは漠然と想像していたけど、やっぱり自分は演出家ではないので、具体的にはなにも思い浮かんではいなかったのは当然です、ストーリーも知らなかったんだから。
しかし、こんなにまで「網膜」、あ、だまされてはいけない、表面的な視覚の悦びではなく、二次元だったものが三次元になったり、そこにいろんな人間の人生が重なり合ってリアリティをうきだたせるイメージなんだな、そう、それを観ている人に楽しませるこんなに凝ったしかけのある作品だとは思わなかった。
だからあんなにシンプルな舞台装置だったんだ。
同様に、ほとんど舞台装置がなかった、CHICAGOのシンプルさとは全然違う。
あっちが黒の上に成り立っているシンプルな世界だったらこっちは、根本が真っ白でなくてはいけない世界観だし、あっちは、バンドが客に見えているということが象徴的に大事だけど、これは音楽がとても大事なんだけど、もしかしたら音質には影響があることは承知の上で、客席から見えないところから音楽が鳴ってくるというのは視覚効果を最大限に強調するためには必然かも、、とはこれを書いていて思えてきた。
さっきまでは、なんで、せっかく生演奏なのに、マイクを通した音しか客席に聞こえないのか、いくらピットの無い劇場とはいえ、あんまりじゃねえか、とずっと劇場にいるときから、弾いている場所で自分が聴いている「生の音」と客席で聞こえてくる音の質感の乖離にいらいらしていたんだけど、やっぱりこうやって文章にしていくあいだに点と点がつながってくることもあるんだな。
これこそ点描に通じるといったら無理矢理な感じがするけど(爆)
話を元に戻そう。
映画の特殊撮影を楽しむというのとはちょっと違うけど、舞台なのに映画を観ているような錯覚、やっぱりこれが舞台で起きていることが面白いといえばよいのか、とにかく観にいらっしゃってその部分も含めて楽しむに限ります。
かつて、高校生の頃(70年台半ば)いろんな「実験映画」(寺山修司さんの「演劇的にアヴァンギャルドなもの、たとえば、「青少年の為の映画入門」と題されて、三つのスクリーンがあって、両側の画面にはなにが映っていたか、もしかしたら寺山修司さんの小学校の通信簿だったかなあ、あとは忘れた、、、そして真ん中には、スキンヘッドの全裸の少年が現れてカメラに向かって放尿するだけ(爆)、とか、別の作品では売春婦みたいな女性が二人観客を画面の中から挑発していたら一人の観客が僕のそばの客席から画面に向かって歩いていくとそのうち画面にひっぱりこまれて画面のなかに現れて身ぐるみ剥がれて真っ裸でまた画面の中から飛び出てくる、、、とか、逆にグラフィック・アーティスト出身の監督のものだと、ストーリーはなく、とにかく眼がチカチカするような感じの、動く「模様」みたいなものがずっと続くものなど、、、)を観て歩いた時期があった(そういえば、当時西武劇場と言っていたこの劇場でもそういうイヴェントで観に来てたんだ)から手法の「新しさ」とかに面白がっているというより、そのころの「アヴァンギャルドなとんがりかた」とはちがって、なんというか「普通に」商業演劇でも素材の一つとしてそういう手法が溶け込んでいることに隔世の感を感じるのです。
でも今回の舞台装置の中にある絵の制作にはすごい苦労が隠されているのだろうね。
自分の仕事としては、かなりピアノ単独の状態から間髪を入れず、ピアノとキーボードを左右の手で同時に演奏することに移動しながら早い曲の譜面から眼がそれない状態で棒を見ながら周りの音を聴いてアンサンブルすることにも慣れてきたので、今日のゲネ・プロでたぶん初日を迎える自信を確実にすることができそうです。
それはそうと、数日前にも感極まって涙してしまったことを書いたが、もう何が起こるか分かっているのに同じ場所でまた涙を抑えることができなかった。
その瞬間、客席は暗かったし、周りに人がいないところで涙をぬぐえてよかったと思いつつ、やっぱり長い間練習してきたセクションとは違い、まだこの作品に知り合ったばかりだとはいえ、またもや涙腺が緩んでしまう心理っていったい自分がどうしたんだろうと思って、楽器のところに戻ったら何人か同じ事を言ってきた。
ということは、みんなそれぞれの私生活に投影しがちで(爆)、なんか思い当たるふしか、心の中の理想を見たのか、どうかわからんけど、これはやっぱりこの手の仕事をしている輩にとっては、低くない確率で心の琴線に触れる内容なのかもしれません。
さすがに弾いているときには大丈夫になったけど、観たらだめだ(爆)
画家の人生なんて知らないわけで、そのリアリティとかが真に迫っているとかいうんじゃないところなんだけど、なんかいろんな場面が重なったあと出てくるある台詞がツボなんですね(爆)
もちろん今回の仕事に関わって居る人全員泣いているわけじゃないから(爆)、これから観る人(音楽家であれそうでなくたって)にとってはもちろん泣けなくても恥じることはないし、ましてや僕に、年取ったから涙腺弱くなったんじゃないの?と言いたくなったとしても、自分の人生に作品を投影して涙するくらいの権利は俺にもあるわけだから、聞く耳を持ちません(爆)。
そんなことより、観にいらっしゃる方は、もしかしたら、
"グランジャット島の日曜の午後"という絵を今一度よ〜く、このページや、画集などでじっくり観てから劇場にいらっしゃると、より楽しめるかもしれません。
関連する作品と本作の習作もそこにあるから見比べると興味深いね。
スーラーに着いては、このページに情報があります。
Sunday in the Park with GeorgeのOrchestraのリハーサルが始まりました。(再投稿)
2009-06-22
今日から、Musical "サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ"のオーケストラ(といっても十人未満)のリハーサルが始まります。なかなか難しそうな曲なので苦労しそうだけど実に楽しみです。
編成は、Violin,Viola,Cello,Harp,Multi Reed,Keyboard,Piano(Keyboardも一部あり)の7人です。
年末年始公演のSHE LOVES ME に関わります
2009-06-21
東宝のWebsiteにやっと告知が出たのでここに報告します。
どうやら、オリジナルとは演奏者の編成がかなり小さなものなるゆえに、指揮者なしで、僕は2000年の“The Kitchen”(ウェスカーの「調理場」と言った方が演劇ファンにはおなじみの作品)、そして、2008年の二月と三月に公演があった、ベガーズ・オペラ(「三文オペラ」と言った方がストーリーがぴんと来る人が多い、厳密にはブレヒトとワイルの作品の原作に当たるものだけど)という作品と同様、コンダクター・ピアノ(弾きながら役者と音楽家にいろいろ合図を出す)で関わることになりました。
The Kitchenと同様、本番だけではなく、ずっと前から稽古ピアノでも参加するつもりなので、この作品にはかなり長い間おつきあいすることになりそうです。
実はもう、6/10の日に音楽スタッフだけで、最初の仕事を開始しています。
ということは、千秋楽の来年の一月末まで、この作品に関わっていくということになったので、本格的な稽古は秋からなのだけど、また忘れられない作品になりそうです。
明日から稽古が始まる“Sunday in the Park with George”も、この作品も、初めて出会う人、そしてかつて別の公演で共演した人たちとの懐かしい邂逅を楽しみにしています。
どうやら、オリジナルとは演奏者の編成がかなり小さなものなるゆえに、指揮者なしで、僕は2000年の“The Kitchen”(ウェスカーの「調理場」と言った方が演劇ファンにはおなじみの作品)、そして、2008年の二月と三月に公演があった、ベガーズ・オペラ(「三文オペラ」と言った方がストーリーがぴんと来る人が多い、厳密にはブレヒトとワイルの作品の原作に当たるものだけど)という作品と同様、コンダクター・ピアノ(弾きながら役者と音楽家にいろいろ合図を出す)で関わることになりました。
The Kitchenと同様、本番だけではなく、ずっと前から稽古ピアノでも参加するつもりなので、この作品にはかなり長い間おつきあいすることになりそうです。
実はもう、6/10の日に音楽スタッフだけで、最初の仕事を開始しています。
ということは、千秋楽の来年の一月末まで、この作品に関わっていくということになったので、本格的な稽古は秋からなのだけど、また忘れられない作品になりそうです。
明日から稽古が始まる“Sunday in the Park with George”も、この作品も、初めて出会う人、そしてかつて別の公演で共演した人たちとの懐かしい邂逅を楽しみにしています。
J.P.S.2009年9月のコンサートのお知らせ
2009-06-19
2009施食会コンサート@両輪山龍谷寺両輪閣ホール
2009-06-18
昨年に続き、龍谷寺の、施食会という大きな催しにお手伝いに行くことになりました。
今回は、J.P.S.のコンサートでもおなじみの東京交響楽団の首席イングリッシュ・ホルン奏者の篠崎隆さんです。
これはセレモニーが始まる前の前座みたいなものですから、時間も短いし無料でどなたもお聴きになれます。
龍谷寺へのアクセスはこのページをご覧ください。
通常ですとお車でも気楽に来られるのですが、この日はたくさんのお坊さんと檀家さんのお車で駐車場はあっという間に一杯になると考えられますので、関係者以外の方は公共交通機関をご利用ください。
檀家さんやお寺にいらっしゃった方ににお渡ししているチラシとはデザインが違いますが(爆)、ちょっとヴァーチャルに広告をつくってみました。
クリックすると大きくなります。
外国だったらこういう風になるかな。


このほかにも、、、
今回は、J.P.S.のコンサートでもおなじみの東京交響楽団の首席イングリッシュ・ホルン奏者の篠崎隆さんです。
これはセレモニーが始まる前の前座みたいなものですから、時間も短いし無料でどなたもお聴きになれます。
龍谷寺へのアクセスはこのページをご覧ください。
通常ですとお車でも気楽に来られるのですが、この日はたくさんのお坊さんと檀家さんのお車で駐車場はあっという間に一杯になると考えられますので、関係者以外の方は公共交通機関をご利用ください。
檀家さんやお寺にいらっしゃった方ににお渡ししているチラシとはデザインが違いますが(爆)、ちょっとヴァーチャルに広告をつくってみました。
クリックすると大きくなります。
外国だったらこういう風になるかな。


このほかにも、、、
“セロ弾きのゴーシュ”と“どんぐりと山猫”岡山県公演告知
2009-06-12
山猫合奏団のオフィシャルページにあるように、9月に岡山県の勝央というところに行きます。
またヴァージョンアップした自分の曲をお聴かせできることを楽しみにしています。
“セロ弾きのゴーシュ”
(この時は、猫に所望された「トロメライ」(not トロイメライ@ロベルト・シューマン、but トロメライ@ロマチック・シューマンをアンコールで聴かせられるように作ろうと思ってます。)
“どんぐりと山猫”(今回はピアノと語りだけではなく、チェロも加わった特別ヴァージョン)
またヴァージョンアップした自分の曲をお聴かせできることを楽しみにしています。
“セロ弾きのゴーシュ”
(この時は、猫に所望された「トロメライ」(not トロイメライ@ロベルト・シューマン、but トロメライ@ロマチック・シューマンをアンコールで聴かせられるように作ろうと思ってます。)
“どんぐりと山猫”(今回はピアノと語りだけではなく、チェロも加わった特別ヴァージョン)
また一日中Vl.の伴奏をする季節になりました。
2009-05-28
ハンナのかばん:東京公演のみ出演します
2009-04-19
7/18(土)の14時,19時と7/19の14時に東京の吉祥寺にある前進座劇場(こんなところで弾くのは生まれて初めてです)で、ホロコーストを題材にした「ハンナのかばん」に生演奏で参加します。
演奏者は二名、ヴァイオリンが、昨年の秋に上演したミュージカル、シカゴで知り合った西田史郎さん、ピアノは僕です。
この音楽については、二年前に記事にしてありますが、ついに生演奏が実現したことになります。
強調して書いておきますが、この夏(2009年)の公演でハンナのかばんを生演奏で上演するのは東京公演のみです。
公式サイトの情報を参照してください。
チケットに関しても僕は関知しませんので直接劇団などにお問い合わせください。
演奏者は二名、ヴァイオリンが、昨年の秋に上演したミュージカル、シカゴで知り合った西田史郎さん、ピアノは僕です。
この音楽については、二年前に記事にしてありますが、ついに生演奏が実現したことになります。
強調して書いておきますが、この夏(2009年)の公演でハンナのかばんを生演奏で上演するのは東京公演のみです。
公式サイトの情報を参照してください。
チケットに関しても僕は関知しませんので直接劇団などにお問い合わせください。
Sunday In The Park With GeorgeとWestside Story
2009-04-18

サンデー・イン・ザ・パークとネットで検索すると、FMの番組も拾ってしまいますが、それではなく、タイトルにあるとおり、「ジョージと一緒に」という言葉も着く題名の、ミュージカル公演の告知です。
作曲家は、ご存じWestside Storyの作詞を手がけ、昨年話題になった、「スウィニー・トッド」の作曲家としても有名な、スティーブン・ソンドハイムの手によるものです。
(オスカー・ハマースタインさんの弟子なんだね。そういえば、「ワルツが聞こえる?」というほとんど誰も知らない作品もかつて弾いたのだけど、それってこの二人のコンビだったとは今知った(爆))
東京渋谷にあるPARCO劇場で7/5(日)から8/9(日)まで公演があります。
公式サイトとスケジュールはこちらにあります。
ただし、この話が来たのが最近で、残念ながら全公演を演奏することは他の仕事との兼ね合いで不可能です。
演奏楽器は、ピアノ(正確に言うとキーボードは二人でピアノだけの音色を出す側という意味)だそうです。
演出家は大学の同級生だった宮本亜門ちゃんで、彼とはCANDIDE以来だし、出演者の中にももちろん初めての方が多いけど、別の公演で一緒だった人もいるので楽しみです。

ちょうど同じ時期に、再びブロードウェイから来日公演のWestside Storyも来ていて、(なんでも、50周年記念だそうで)このころと同様、通常はアシスタント・コンダクターが弾いているピアノパートを僕が代役で弾くことになっています。
1996年にこのカンパニーに初めて関わったときは編成が違っていてアシスタント・コンダクターは、キーボードでオーボエやファゴット、そしてギターなどの楽器を弾いていたのでピアノは僕が二ヶ月の公演すべてを担当していました。
しかもバーンスタインの作品に対しては、CANDIDE(演奏会形式ではなく、日本で行われた二回の舞台公演は両方ともリハーサル・ピアノをやりました)や佐渡裕ちゃんとのおつきあいで何度もバーンスタインの作品を弾いたゆえに、やはり作品にも、演奏回数は本当に少ないのですが、そこで演奏する人たち(もちろんそのたびに違うが再会する相手もいるので)との邂逅にも思い入れがあります。
7月はその他にも恒例のイヴェントと別のお芝居の公演で生演奏することになっていますが、それは別記事で告知します。
ゆえに、両方の公演は全公演通じて弾くわけではありません。
肝心の僕の出演日ですが、
Sunday in the Parkは数が多いので、「出演しないことが今のところ決定している日」を書いておくと、
7/11(土),12(日),
7/17(金),18(土),19(日),
7/22(水)(夜の公演は弾きますが、昼は弾きません。),
7/25(土),
8/5(水)の昼公演のみNG,たぶん夜は弾くことになると思う。
8/9(日)千秋楽
Westside Storyは、演奏する日のみ列挙しておくと三回の公演のみです。
7/25(土)の昼公演のみ(名古屋公演)
7/30(木)の昼公演のみ(東京公演で、夜は"Sunday〜"に行くつもりです両方とも渋谷の劇場だからありがたい(爆))
8/5(水)の昼公演のみ(これも7/30同様に夜はPARCO劇場に行くつもりです。)






★来る2009年7/5(日)より、8/9(日)まで東京渋谷のPARCO劇場で上演される宮本亜門演出でソンドハイム作曲の作品、

