不遜にも(爆)MozartのConcertoは自分のcadenzaを作った - 2011.09.16 Fri,02:32
今回弾くKV488(No.23のAdurのConcerto)の1楽章にはMozart自身が書いた有名なcadenzaがあるのでYouTubeで見てもほとんどの人がそれを弾いている。
くまなく探した訳じゃいから知らないけどきっと、Fazıl Sayあたりは自分のを弾きそうだし、僕が知っている範囲だと、Horowitsが晩年に残した演奏は自身のものなのか知らないけど普通みんなが弾くのとは違うので弾いてるね。
最近はClassicでもPianistが自作の曲をやるのが流行でもあるから若い世代はどんどん自分のad.lib.をやっているのかもしれないし。
多くの人がMozartのものを弾いているけど、自分はそんなに頻繁にConcertoを弾く立場にないし、今までの練習はすべてMozartの作曲したものを弾いて来たから団員も飽きちゃってるかもしれないし(爆)、練習が始まった7月の最初のrehersalで団員の人たちには「自分で作曲したい」と宣言していたから書かなくてはいけないと思い続けていたのです。
でも、何回も途中で挫折してて(最初に気に入ったver.は後で気づいたのだが3楽章のmotifで作っていてあきれて捨てた(爆))もう、今回はこのconcertoを実際にOrchestraで弾くのは初めてだしオーソドックスにそのまま弾いちゃうつもりになっていたのだけど、さっき夜練習していて、やっぱり途中まで書いたのはどうだったかなと探したら、手書きの譜面(珍しく鉛筆で書いてた)がどっかに失踪していて、苦労が水の泡になって頭に来たので、また最初から違うアプローチでなんとかならないかと、ad.libしていたらなんか出来そうな気がしてきたので、かなり苦労はしたけどこんな時刻に出来ちゃいました。
実はMozartの時代の様式に合わせて20世紀や19世紀、あるいは21世紀の香りを排除して18世紀のidiomで書くべきかずっと悩んでいたのだけど、この間それを東京交響楽団のEnglish Horn奏者の篠崎隆氏にちょっと相談したら、「そんな制限は今の時代なんだから考えなくていいんじゃない?」とありがたく言われた事が後押しして、まあ、あとでGershwinを弾くからまさかJazzのidiomなんかは入れなかったけど、転調は19世紀後半風から20世紀風みたいなところもあって人によってはけしからんと言われそうだな。(でもいつもの事だが、書き上がったばかりの曲なんて、どうせこの数日間で練習するたびにどんどん変更していくに違いないから当日はやたら18世紀風になっているかもしれないし(爆))
love letterと同じだから、勢いで書いたけど、数時間後に起きて恥ずかしくなったら弾かないけど、日曜日の、会場でのrehersal(本番の日は練習がないという状況らしいから前日のが最後だ)には指揮者とorchestraにはどうなってるか説明しておかないと当日いきなりだと、とんでもないことになりそうだから少なくとも1回は他人の耳に入ることになる(爆)
かつてKV467のCdurのConcertoを弾いたときもほとんど誰も弾かない(自分のではない)のを弾いたから今回は自分が書いたので楽しんでやろう。(でも書いたばかりで暗譜できるのか(爆))
本番弾かなかったとしても今日のこの5時間はたった一人(でぶ猫が床で寝てたが)でmotifの材料を探すために、普通の作曲とは違い、この楽章のなかからmotifを探す訳で、そういう意味だとMozartと話をした気分だからそれなりの意味はあるだろう(爆)
選択肢が二つある中でMozart自身のものを弾く事になってもそれしか頭になかった昨日までとは違う。
この猫の後ろ足がちょうど「dance」を始めるみたいだなと思ったところから、なにか湧いて来たのです。

ノジーフ物語1998の事を思い出した - 2010.09.16 Thu,07:02
久しぶりに写真のない記事になります(爆)
1998年の2/7,2/8と2/10に神奈川県と山梨県の境にある相模湖のそばの藤野という町と隣町で水の汚染をテーマにした妖精と人間の物語、「ノジーフ物語」の98年版、僕の音楽によるリメイク版が、劇団はてなの皆さんと、僕の仲間の山猫合奏団(Flute,Piccolo:木ノ脇道元、Euphonium/Trombone:早川潔、Piano:白石准、そしてゲストに胡弓(二胡)/Guitarに藤野在住の遠藤芳晴氏)のメンバーの演奏によって改訂初演(僕の音楽としては勿論初演)されました。
関係者の皆さん、及び観客の皆様お世話になりました。
2/7の藤野の芸術の家での公演は満席の状態で評判も良く、とくに嬉しかったのは、子供の感想文の中に音楽に言及したものが数多くあったことです。
ぼくは別に「子供向け」の音楽を書いたつもりはなかったので、小さな観客たちにはちょっと難しかも、との危惧もいくばくかありましたが、僕の伝えたかったことがストレートに受けとめてもらったような言葉を見てうれしかったです。
(でも作曲中から基本方針を変えるつもりは毛頭無かったし、出演者のだれもそういう危惧を表明したひとはいませんでしたが)
そのなかでも、ユニークな感想に、
>ローテクのSFXがよかった。
という今風のレトリックがありました。
ハイテクの反対語のローテクという言葉を駆使する小学生もすごいとおもいましたが、効果音を一切使わず音楽で表現したり、舞台装置もほとんど簡略化した舞台だったので、観る側にイマジネーションを膨らませることを要求するものでした。
それでコロス(主役ではなくその他大勢の人という意味)が人形を操りながら演じたり、いろいろ時間が戻ったり、妖精の国に行くのに水に飛び込む場面、敵役の「ニゴリ鬼」をいろいろな小道具大道具を駆使して象徴的に表現したのが、SFXという言葉で表現してしまうのがまさに「今風」ですね。
多くの演劇や、朗読劇、紙芝居、影絵、そして読書しながら物語に入り込むことはそういう約束事が当たり前のことなのですが、いまはテレビや映画が究極のテクノロジーを使ってヴァーチャルリアリティーを見せることが日常茶飯事になってしまったから、星の王子様の冒頭に書いてあるような、
>眼に見えないものが一番大切
という事が昔の子供達に比べて失われつつあるように思っていました。
でもいまだに子供の心にはイマジネーションは欠如してはいないのです。
それが嬉しかったです。だから芝居は見るのではなく、観るのですよ。
そして初日の打ち上げは今回お世話になった、うそまこと氏率いるげきだんはてなの稽古場(プレハブの建物で水道もひいていない!そしてまだ腰まで雪に埋もれているような場所)で行いましたが(商店街や居酒屋があるような地域ではないのです!)ここでも食べ物はすべてスタッフによる手作りの品々!もう最高に美味しかったです。
なにからなにまで手作りの芝居づくりに参加できる幸せを感じました。
その晩は上演会場の「芸術の家」の宿泊棟に泊まりましたがけっこう綺麗でなんと宿泊費を訊いたらカプセルホテルより安いのです。4人部屋でしたが、お風呂もよくて快適でした。(温泉ではなかったけど)
翌日は駅で二つほど先の四方津(しおつと読む)の小学校でやりました。
前日のいくつかのアンサンブルの「ずれ」が実はとても効果的なところがあって、作曲者は間違った箇所を「再現」するように演奏家に頼んだところが数カ所ありました。改訂初演ですね。
体育館での上演でしたが、ぼくも音楽鑑賞会のしごとで体育館で演奏することはありますが、芝居の上演をそういうところでやるのを観たことがなかったので照明の仕込みにはびっくりしました。
体育館の屋根の梁に金具を引っかけてバトンを吊るのです。
申し忘れていましたが、プロのひとはごく一部なのですが、みなさんもう手慣れたものでみるみるしこまれていきました。
音響も藤野在住の有名な彫金家の方が担当されていましたし、この芝居でとても重要なノジーフという妖精たちの人形は全部、藤野在住の高橋安子さんが担当されていました。
これはもちろんプロフェッショナルの仕事ですが、本来人形造りのプロといっても、劇として使うそれとは違う観賞用のものを造るプロではありましたから、ある意味別分野の仕事でもありました。
ノジーフというのは、藤野という地名を、いわゆる逆さまにしただけのもので、本来昔から相模湖の地下ではノジーフという妖精が水をろ過していただが、人間が環境を考えず生活してきたおかげで、ニゴリ鬼という化け物が復活してしまい湖も川も汚染されてしまったという状況で、主人公の人間の男と妖精が手を組んで化け物を駆逐するという話です。
そして、二日目の公演のバックアップをして下さったのは山梨県の上野原市の役場の方たちだったのですが、面白かったのが教育や芸術関係の部署ではなく環境課の部署だったのは興味深いことでした。
この芝居のテーマが水の汚染の問題を取り上げていたからでしょう。
今年(1998)の一月の「36億年のいのち」という岩代太郎さんの作品とソプラノの中丸三千繪さんによるオーケストラの演奏会も環境問題への提言のメッセージ性の強いものでしたから今年(1998)の仕事はなんかエコロジーづいている白石准でした。
そしてその日の終演後Euphonium(ユーフォニウム:金管楽器)の早川氏と町営の温泉「藤野やまなみ温泉」に浸かって帰りました。
600円で入ることのできる本当の温泉で、露天風呂サウナ付きの新しい綺麗な浴場だったです。
感動しました。ぼくの家からも混んでなければ車で40分で来れるから、これは大発見!ますます藤野が好きになりました。
2/10はいよいよ千秋楽でした。
藤野と四方津との間の上野原という所にある島田小学校で、小学校の子供達と近所の幼稚園の子供達に観てもらいました。
とっても行儀良く、かつ反応も良く観てもらえて嬉しかったです。
そして勿論また温泉に入って帰りました。
湯上がりに休憩所で、冬季オリンピックの男子500メートルのスケートで清水選手が見事優勝したのを観ることができて、ますます気分が良くなりました。
人間がなにかに一生懸命挑戦する姿は見ている人の内面までを変えて行きそうです。
今後この芝居を多くの僕の友人が訪れることのできる都内でやることが出来ないものか考えたいです。
学校の先生ほか自治体の人、このカンパニーを呼んで下さい!
とくに環境問題のセクションの人たちにお願いしたいです。
(実は違う作曲家で97年版があり、また、この翌年99年版はまた違う作曲家(地元在住の遠藤氏)で作られたのでもう僕の作曲したヴァージョンでの公演はなくなりました。)
98/2/8
98/2/10,2/16加筆
2010/09/15加筆
(ちょっと前に書いたもの)
明日初日を迎える「ノジーフものがたり」のゲネプロがあり、ついに今日の午後、全曲の完成をみました。
なんと初日の前日です。
あと、今日の夕食はこのカンパニーの有志による手作りのカレーと素敵なサラダでした。
めちゃくちゃ旨かったです。
お代わりを二度もしてしまいました。
いいなあこういう手作りな雰囲気!そしてデザートの苺がはんぱじゃなく大きくて甘かった、いくつ食ったか覚えていないよ。
そして会場もとても雰囲気のある部屋だし、建物のロケーションもほんとうに自然の中にあってファンになってしまいました。
いずれ「どんぐりと山猫」も山猫合奏団で、この風景のなかでやってみたいなあ。
98/2/6
神奈川県津久井郡藤野町って何処?知りたい人はここをクリック。(別サイト)
白石准,人生最初の作曲、「それでわ はじめましょう」から"Here We Go!"まで - 2010.03.07 Sun,03:20

蒸気機関車につづいて、こんなものがでてきた。
もちろん「自筆譜(爆)」ではなく、父親が撮したであろう写真だけど。
能書き(爆)、はなぜか縦書きなのに左から右へ向かって書いている。
まあ、直感的には子供にとっては譜面と同じ方向に書こうとしたのだろう。
ゆえに、翻訳すると(爆)、(自分の名前は漢字で書けたみたいだが、カタカナとひらがなが妙な混ざり方をしている)
白石准さっきょく おもしロい オんがく
これわあたらしーおんがく
白百(白石のつもりだろう)は6(歳)のときで(に、だろう!)つくったものです。
へのへのもへじ(というか、この時代に顔文字かよ(爆))
それでわはじめましょー
文章は妙に優等生なふりをしているが、音符はかなり過激な「書法」だな。
なんか60年代の現代音楽の流行そのまま受けてる(爆)
父親の影響があったとはいえ、ガキって環境によってはこんなわけわからないことしちゃうものなんだな(爆)。
クリックして拡大すると良く分かるけど、調号(右手と左手が違うのっていうのは、きっとバルトークのミクロコスモスをやらされていた影響だ)や臨時記号の付き方が変(まさかわざとじゃないよな、、)なのはガキだから許すとしても、最初の音がPPで、いきなり左手がsfzで暴れだし、速度も異常に速い(四分音符200と見える)し、一段目の音域の広さは不可能とは言えないまでも、いきなり二段目の最初の音符がト音記号に飛んだとおもったらいきなりヘ音記号(正確に言うと通常見ない位置のヘ音記号、あ、そういえば最初からヘ音記号は第三線を指定して居るぞ(爆))にもどって、しかも、繰り返しの小節は実にピアノ的に、生意気にもビーム(桁というのか、日本語)が左手から右手に繋がって書いてる。
そのくせ訳の分からない指遣いが次に振ってあってその音程も「いかにも」って現代音楽だな、、、。
きっと、音符の球が大きいのも、強くアタックが欲しいのだろう(もしかしたら前腕全部使うクラスターかも)ね(爆)
しかも、16分音符の連なりのなかに2分音符の球が書かれているのも、間違いかも知れないけど確信犯で長く押さえて欲しいとか、、、
ううむ、「初心に戻る」という場合俺の場合ここに戻るのか、、、(汗)
「書く」作業って大学に行ってから以降だったとは思うけど、こんな過激には書いてないし、、、。
まあ最近自分が書いているスタイルからすると、きっとこっちの方が興味ある、と言いそうなのは、知り合いのHase氏くらいなものだろう(爆)
きっとへのへのもへじや、能書きと音符の間にある意味不明な図形(“どんぐりと山猫”の裁判のシーンみたいだ(爆))も、なんらかの音のメタファーがあったのだろう(爆)
右のページはどうなってたのだろうなあ、、。
作品の意図を伝えるのは客より共演者の方が難しい(爆)-山猫合奏団@わが町コンサート - 2010.02.12 Fri,23:01

内容は、このリハーサルの記事にあるとおりのことを実現したからです。
自作の“セロ弾きのゴーシュ”とともに、ラ・フォンテーヌの三つの寓話を基にした歌曲を歌曲としてだけではなく、役者と音楽のパフォーマンスの作品としてやってみたことです。
その記事では「試演」と書いたけど、それはもちろん言葉通りの練習試合ではなく、「初演」に向けて本気だったことは事実で、今後その曲のそのやり方がフィックスしたという意味ではないから英語で言うTry Outという意味で書きました。
午後と夜と二回の公演で聴衆の反応はとても暖かいものだったけど、僕は元来聴衆の反応というより共演者の反応がもっとも気にかかるところであり(爆)、今回の企画そのものは自分のなかで30年間いつか芽を出してやるという潜伏期間があったのだけど、こういう事はすべて、いろんな偶然のきっかけが合わさったときに突然チャンスがやって来るものであり、
“幻冬の詩”再再演 - 2009.03.08 Sun,23:59
架谷さんは僕にピアノを習っている女性です。
そして、大迫氏は、お兄さんの隆一さんが僕にピアノを習っているのですが、その関係で弟さんとも知り合い、今回の展覧会ではお兄さんの撮影した写真なども展示されていました。
展覧会では、いつもLessonで使わせて貰っている八王子の両輪山龍谷寺のお墓の石を供給している渡辺石材店さんからもすてきな石が供出されていました。
そして、昨日は、やはり僕に習っている服部めぐみさんのピアノと隆一さんが構成した映像の作品のコラボがありました。
本日は自分の作品がオブジェのなかで再再演させてもらいました。

★2007/2/3“幻冬の詩”初演 - 2007.01.27 Sat,10:07

朗読と音楽シリーズは、いままでにも“どんぐりと山猫”と、そして昨年“セロ弾きのゴーシュ”と“注文の多い料理店”を書きました。
偶然ではあるのですが、全部宮沢賢治の原作でした。(“どんぐりと山猫”以外はテキストはほぼオリジナル通り)
今回は自分にピアノを習いに来ている架谷(はさたに)由紀子さんという人が書いた詩にたなか秀郎さんと篠崎早苗さんの人形という協力を得て実現しました。
2/3の14時に東京八王子にある、両輪山龍谷寺の両輪閣ホールで原作者の語りと前衛的な人形(これが人形かオブジェかという議論はあるでしょうが)と僕のピアノによって上演されます。
雪女の物語です。
当日以降にその時の写真を追加でアップロードすることになると思います。
それまではしょうがないので作業場の写真を載せておきます。
今年はこの後大きな規模の曲を書く予定になっているので、この一旦スリープするとなかなか起きないMacintoshとボタンの接点がおかしくなって接触がわるくて音色の切り替わらないキーボードが死なないことを祈るばかりです(爆)
ちなみに僕が使用している楽譜制作のソフトウェアはVer.が2.6.1の時(なんと定価が17~8万円くらいした)からFinale一筋です。
そして最初は9インチの画面の歴史的名器、SE-30で書いてました。
画面が小さすぎて大変だったけど、いまだって12インチで書いているのだ(爆)