“どんぐりと山猫”も「社会保障審議会推薦児童福祉文化財」に認定されました - 2012.08.29 Wed,11:04

このたび、この時の演奏を審査していただき、拙作の朗読と音楽の作品、
“どんぐりと山猫”も、
“セロ弾きのゴーシュ”と“注文の多い料理店”に引き続き、
厚生労働省から
「社会保障審議会推薦児童福祉文化財」
に認定されました。
大変光栄な事ではあります。
しかしながら、作曲した白石准としては、この作品の聴衆は、「児童」に特化したものだとは考えていません。
この認可を受けたことにより、「大人向けでは無く子供向け」と思われるのは本意ではありません。
敢えて言うなら、「子供の心を失ってないすべての人」たちのための曲でもあります。
この写真の様なコンセプトのblogへは、こちらへ。
山猫合奏団の“どんぐりと山猫”を聴いたことのある方々に質問があります - 2011.12.23 Fri,23:04
まず、回答される権利として、我々山猫合奏団版の“どんぐりと山猫”を聴いたことのある方達に限ります。
そうでなければ以下に述べるように、答える根拠がないからです(爆)
出来れば、というか、絶対に、お答えになる前に原作を読み返して確認しないでお答えいただきたいのです。
直感で答えていただきたいです。
客観的には、宮沢賢治の書いた文章に答えがあるのですが、実は、どんぐりどもの裁判の最中に、
「ここを何と心得る、しずまれ、しずまれ」と怒鳴る人が居るのですが、
我々の30年に渡る演奏の中で、実はメンバーの中で「誰が言っているのか」その認識に大きなズレがあったことが、この間の11/27に行われた“どんぐりと山猫”の公演であぶり出されてしまったのです。
ある語り手は、馬車別当だと思って語っており、もう一人の語り手は山猫だと思って30年間語ってきたことが(爆)
良く見ると、白石准の書いた現在使用されている印刷された楽譜にはその台詞を誰が言っているのかは指定されてなかったのです。
じゃあ、原作はどうなんだと、本を紐解くと、もちろんそこには書かれていました。
そして、初演当時の手書きの譜面(実際の自筆譜がどうだったか覚えてないが、片方の語り手が所蔵する書き込みのたくさんあるそれ)を見直すと、その台詞を言っている原作の登場人物に線が引かれ、別の人間に言わせていることにしてあったことがこの「騒動」の検証会議(爆)の時に判明しました。
しかしそれが作曲段階でなされた変更かというと、たぶん何回も演奏している間に変更され(しかも二人居る語り手の内の一人とだけ相談したふしがある)、我々としても、時期によって両方のつもりでやったということが推察されます。
原作にあることと白石准の作曲した意図とはなんらかの理由で変更されていたのです。
その事実について作曲者である僕は実は全然覚えていませんでした(爆)
直感的に、我々の演奏を聴いた時、どう思われたか、まあ一郎が言っていると思われる方は居らっしゃらないとおもうので、選択肢は2つ。
馬車別当が言っているのか。
山猫が言っているのか。
この場合の正解は原作の記述と何時だったにせよ、それを変更した白石准の解釈が矛盾していますので、選択肢のどちらも正解、不正解、を調べたいのではないので(爆)どうぞ、直感で答えていただきたいです。
何を知りたいかというと、我々の演奏からどちらの登場人物を想像されていたかということが知りたいのです。
もしかして、語り手の違いに寄って言っている登場人物を区別して聴いてきたという人も希にいらっしゃるかもしれませんが、「いったい誰なんだ」という質問をかつて一度も受けた事がないので、たぶんそういう方はいらっしゃらないと定義して良いと思います。
万が一そういう解釈の方がいらしたら、コメント欄にその旨をお書きください。
ちなみにどっちが原作なのかを曖昧にするために、このページの表記とアンケートの選択肢の並びは敢えて変えてありますので、本当に直感でお答え頂きたいと思います。
ちなみに昨日僕がお世話になっているある劇団の納会に出たときに質問したら、ほぼ半々の解釈である意味安心したし、受け取り方の多様性に、今後コンサートの時のアンケートにこの項目は記述しても面白いかもしれないと思うようになりました。

“どんぐりと山猫”がバレエになった時-1@1982サイガバレエと@新宿文化センター大ホール - 2011.12.11 Sun,19:09
ピアノを弾いているのは白石准。
語っているのは楠定憲で、未だにやっているコンビです(爆)
二人とも異常に若い(爆)。
20台前半でした。
たぶん、この下の写真は、冒頭の山猫からの手紙が来て、一郎が読んで居るところでしょうな。
なぜか郵便配達の人が後ろから覗き見してるが(爆)

語り手の楠定憲は脚立の上でこの瞬間語っていますが、実はこの日、彼の頭蓋骨には数日前に頭をホームから線路に転落した際に線路に強打してひびが入っていて、この瞬間朦朧としていたと終演後楽屋で聞きました(爆)
持って居るのは今とは違って、勿論自筆譜の手書きの楽譜でスケッチブックに貼り付けているからこんなに大きいのです(爆)

“どんぐりと山猫”三人語りver.は初演を終えました - 2011.11.29 Tue,03:54


今回はCelloのオブリガート付きのヴァージョンでした。
山猫合奏団では普段“セロ弾きのゴーシュ”のゴーシュ役とチェロ演奏で参加している大島純がチェロのパートを弾きました。
白石准とともに、裁判の場面ではどんぐりの一人を叫びました。

作曲した白石准が嬉しそうにPianoを弾いています。

きのこの楽隊のシーンではTromboneときのこ2を担当していました。

デビュー戦でしたが、見事に台詞と譜面上の音符との融和が初挑戦でなしえました。

五色の声色を使い分け、一郎と対峙しました。
木管五重奏版を経てオブリガート・チェロ版の“どんぐりと山猫”が生まれ変わりました - 2011.11.26 Sat,10:45
写真右側から上から順に、
山猫や他の、異界の森にいる登場人物を歌ったり語ったりする、高山正樹。
山猫から手紙を貰って山に入っていく一郎を、“どんぐりと山猫”初参加の宇夫方路。
ナレーションの文章部分と馬車別当を読む、楠定憲、トロンボーンを持っているが、途中、きのこの楽隊の部分で一瞬吹きます(爆)
左上から作曲とピアノの白石准
したが、チェロのオブリガート(助奏とでも言うのかな日本語では、チェロの名曲の様に主役とは行かないが、音楽を形作る上で重要なパートという意味。)のパートを弾く、大島純。


語り手三人ヴァージョン+チェロのどんぐりと山猫の公演を今月末に行います - 2011.11.16 Wed,11:11
“どんぐりと山猫”の最新版の整理をしました - 2011.10.21 Fri,21:32

写真のmeercatが、なにかいじくっている様に、最新版の譜面の誤植や曖昧なところ、書き直した方がもっと直感的に分かりやすくなるところ、そして演奏家達が書き込んだ客観的な補足事項などを、Scoreに反映する作業をこの数日間、合間を見てやってました。
このblogを見て居るほとんど人には、全くどうでも良いことを綴る事をお許しください。
しかし同業者で同じ事に悩んでいる人がもし一人でも居たら、これは有用なideaかもしれないからです。
今までPiano独奏版のその曲や
Celloとのversion、
そしてMulti Reedとのversion、
そしてかつてのEnsemble版と、
全部違うfileを生成していて、そのたびに変更や削除、追加、拍子記号の変更などがあると、それぞれのfileにまったく整合性が無くなっていました。
だから、僕のMac内には無数とはいわないけど、おびただしい数の“どんぐりと山猫”の譜面fileが存在して居ています。
やっぱり僕の書いた“セロ弾きのゴーシュ”のゴーシュを演奏し演じているcellistの大島純氏には常日頃、良く言われている事があります。
もし僕が亡くなった後、この様な状態で何種類も同じ曲の譜面を残すと、残された演奏家が何を頼りに演奏すべきか余計な混乱を生じさせるので、それだけは回避するように、ということです。
そりゃもっともだ。
どの譜面が、authenticなversionであるか、他人が判断するのがとても難しくなっていることは事実です。
単純にFileの新しいもので判断してもらうというよりは、この数日で気づいたアイデアがありました。
僕が使っている譜面作成ソフトのFinaleは、数年前のversionから、ScoreとPart譜が連携するようになりました。
かつては、Part譜ごとに新たなFileを生成する必要がありました。
故にその度に違う編成だったEnsenble版や、一度きりのOrchestra版は、総譜から書き直したというよりは、そのPart譜を必要に応じて書き換えるという、作業をしていたので、現実的には完成したScoreの無いものが多く、その時に演奏した内容が譜面として俯瞰できる状態で存在しては居ませんでした。
それを解消するために、今回の木管五重奏+Piano版はきちんとScoreとして書き上げたのですが、この状態を最終的な木管五重奏版のScoreとするのではなく、今回の編成のScoreも現在はScoreと同じ事になりますが、Part譜として一個造り、Celloや他の楽器、そしてPianoの独奏のversionでさえも、このScoreに新たに五線譜を追加し、一つのFileに纏めてしまおうと考えました。
ゆえにScoreにはレイアウトを調整する必要もなく、Pianoのpartも独奏版、も今回のものもCello版なども、数種類同時に存在することになります。
で、独奏版は、独奏Pianoと語りだけのPart譜として出力し、Cello版はそれ用に書かれたPiano partと語りと一緒に出力すれば良いことになるのです。
こうすれば、全体の小節数やダイナミックスや表情記号が変わった場合も即座にすべてのversionに反映することになるし、基本的に語り手のpartはすべてのversionで同じ部分を使うから、もしそこに変更があっても複数のfileの整合性を確認する必要がなくなります。
これは手書きならあり得ない状態です。
だからScoreは実用的には全く用をなさない状態になります。
たぶんPianoのpartが3種類以上、6段で表記されることになるでしょう。
すべてのversionがpart譜として存在することになります。
実に良い思いつきだけど、それを作り上げるのはこれからなので、copy & pasteするにしても、ある意味相当な量の作業になります。
たとえば、versionに寄って、小節数も違うし、ある部分の拍子も、この30年間の間にはかなり変わってきているので、全体をCopyしてPasteするという単純な訳には行かないのです。
しかし今後新たな編成に挑戦するときも、手間が0から始める事を考えたら半分どころかものすごく初歩的な作業が省略されるので、この思いつきは自分で唸ってしまいました(爆)
これで長年譜面folderの中を見るたびにため息をついていた「どれが残すべきfileか判らない」という事から解放されることになります。
同じ名前のpart譜があったら、日付だけで古いものを捨てれば良いと思いがちだけど、同じfileで実はbassoonと言うファイルが内容的にはclarinetだったりしてちゃんとその度に名前付けをきちんとしてなかった僕が悪いのですが、うかつに捨てられないfileだらけなのです(爆)
話は変わりますが、このmeercatは何かを掘り出しているのか、これから掘って何かを隠そうとしているのか、単に掘るのが習性なのか、なんなのでしょうね。
この人は、この人と共に、羽村の動物公園の住人でした。
Real“どんぐりと山猫”の旅 - 2011.10.19 Wed,12:49
そしてその橋を渡って遊歩道を歩き出したら、まるで宮沢賢治の書いた“どんぐりと山猫”そのままみたいな景色に遭遇しました。
一部かつて撮った写真を交えて虚々実々にstoryを追いたいと思います。
おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。
かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでくなさい。
山ねこ 拝
こんなのです。字はまるでへたで、墨もがさがさして指につくくらいでした。けれども一郎はうれしくてうれしくてたまりませんでした。はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちじゅうとんだりはねたりしました。
ね床にもぐってからも、山猫のにやあとした顔や、そのめんどうだという裁判のけしきなどを考えて、おそくまでねむりませんでした。
(実はこの写真、“セロ弾きのゴーシュ”の謎の一場面。)

けれども、一郎が眼をさましたときは、もうすっかり明るくなっていました。おもてにでてみると、まわりの山は、みんなたったいまできたばかりのようにうるうるもりあがって、まっ青なそらのしたにならんでいました。


あるいは“注文の多い料理店”の森の中に忽然と現れる「山猫軒」のように、この神社そのものがもう山猫の罠の異界の入り口かもしれませんね(爆)
一郎が、「よし、ここを行くぞ」と指差しています。


確かにそばに谷川は流れています。


「栗の木、栗の木、やまねこがここを通らなかったかい。」とききました。栗の木はちょっとしずかになって、
「やまねこなら、けさはやく、馬車でひがしの方へ飛んで行きましたよ。」と答えました。
「東ならぼくのいく方だねえ、おかしいな、とにかくもっといってみよう。栗の木ありがとう。」
栗の木はだまってまた実をばらばらとおとしました。
って、実はこの樹は栗の木ではなく、イスノキ(柞の木とか蚊母樹とか綴る。Wikipediaの説明はこっち。)というもので、樫よりも堅い樹で、この一郎さんが何故興味を持って撮っているかというと、別記事で紹介しますが、橋を渡る前に木工の道具を作って売っている所があって、OboeとBassoonの両氏はいろいろと木談義に話が弾み、それぞれが必要な木材の端切を貰ったり買ったりしていたからです。
樹の大きさに圧倒されて全体を撮ったので、色んなpageで紹介されている葉っぱに出来る「虫こぶ」は見られませんでした。
下の写真は、別の場所にあったイスノキですが、上の写真もそうだけど、なぜか何時倒れてもおかしくない様な場所に生えているのですが、しっかりとこの山の特徴である岩にしっかり根を巻き付けていて、樹自体は巨大だけど立っているのです。
しかしこの根っこはまるで手の様に見えます。
だから樹が話して来ても不思議じゃない気がしてきました。

上を見上げると、実に立派な枝振りです。

さあ、次は笛吹きの滝、きのこの楽隊、栗鼠がいるかな。
長大な追記に続きます。
新編曲なので30年前の作品と言うより実に新鮮な気分になっています。 - 2011.10.10 Mon,22:46
だからいつもの事ながら、練習の度に譜面はどんどん書き変わって行く。
僕が書いた山猫合奏団の為の4つの作品(“どんぐりと山猫”,“セロ弾きのゴーシュ”,“注文の多い料理店”,“オツベルと象”)の内、これは、一番昔に書いたもので演奏会数もたぶん長年の歴史があって一番多いというのもあるけれども、もっとも演奏する編成のvariationが多い作品でもある。
他はOriginalで書いたままで演奏している。
(“注文の多い料理店”だけ先日役者を増やしてやってみたが楽器はそのまま。)
Origianlは、Piano1台と、語り手1人。
この形態が上演の歴史上一番多い。
最近も横浜でそれをやってきた。
そして、それを2人で語ることが最近の方針ある。
山猫合奏団としては、語り手1人でずっとやってきた。

そして管楽器奏者は裁判の場面でなぜか「法螺貝」を吹いた。

Flute(Piccolo持ち替え), Violin, Trumpet, Bassoon, Contrabass & Piano
になった。
メンバーは入れ替わりが多かったが、この編成が一番多かった様に思う。

細かい編成は忘れた(爆)が、写真を見るに上記の編成に弦楽器を5部そろえて木管を二管にしたように思う。
そして、

Flute(Piccolo持ち替え), Violin, Trumpet, Clarinet(写真のようにBass Cl.持ち替え), Cello & Piano
で、Bassoonの代わりにClarinet,そしてBassの代わりにCelloでやった。

Flute(Piccolo持ち替え), Violin, Trumpet, Cello, & Pianoというのもあった。
そして、小編成版では、すでに語り手2人versionでやっているが、
Multi Reed & Pianoや、
Cello & Pianoが記憶に新しい。(cello版は今年の沖縄の名護市でもやった。)
balletにも二度してもらったことがあります。
ここにまた新たな歴史が来週の日曜日刻まれることになったわけで実にワクワクしています。
書いた当時は、こんなに多種多様な編曲を何度もすることになろうとは全く思ってなかったものな。
今日、9月19日は山猫から一郎に謎の手紙が来た日 - 2011.09.19 Mon,11:55

白石准はこの日付の日に演奏していることがこのblogでもいくつか報告されている。
まさに“どんぐりと山猫”を書き上げた翌年だったかな、1982年の9/19にその音楽がバレエになっていたり、2007年の9/19は佐渡裕と賢治の故郷、花巻にいた。
今日のconcertは全く賢治とは関係ないが、一郎が森の中に入って様々な登場人物に会って翻弄されるがごとく、3曲の全く違うタイプの作曲家の作品にかき回されに行きます。
写真は、一郎が到達した草原で待ち構えている(物語では半纏のようなのを着て、立っているが)山猫みたいな貫禄のにゃん助氏。
差し詰め、その話の手紙を勝手に脚色すると(爆)
このblogを見に来たみなさん、くがつじゅくにち、 あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。 きょう、めんどなこんさーとしますから、おいで んなさい。とびどぐもたないでくなさい。山猫拝
昨日は“どんぐりと山猫”を弾いていました - 2011.09.12 Mon,14:27

この日も一眼レフを朝からこの本番の後の別のrehersalまで持ち歩いていたのに一枚も撮りませんでした。
この場面の白石准は実に変な姿勢で弾いていますが、どの場面だったのだろう。
たぶん「笛吹きの滝」の場面が始まったところかな。
この写真を見て気づいたが、この公会堂はとても古そうな建物だが、ステージの板目が客席に向いている。
最近の流行で音の伝播を考えて横ではなく、こういうのが多いようだが、県立音楽堂のように昔からなのか、最近張り替えたときにそうなったのか、、、。

僕が夢想していた“どんぐりと山猫”の中の「笛吹きの滝」が眼の前にあった。 - 2011.08.15 Mon,00:14
振り返って見て見ると、この滝の様な勇壮なものではありませんで、ちょろちょろでしたが、小さな滝がありました。
画面中央の逆三角形に岩肌がでているところの左下部分です。
小さくて判らないね、じゃあ追記にもっと近づいてみた写真を出しましょう。

近づいてみてビックリ、、そこに見えたものは、、
山猫 on the Moon - 2011.05.09 Mon,16:52
馬車別当はどんぐりをマスに入れて、、 - 2010.11.09 Tue,21:51

宮沢賢治の【どんぐりと山猫】の最後の場面で、、、
(山猫)「それでは、文句はいままでのとおりにしましょう。そこで今日のお礼ですが、あなたは黄金のどんぐり一升と、塩鮭のあたまと、どっちをおすきですか。」
(一郎)「黄金のどんぐりがすきです。」
山猫は、鮭の頭でなくて、まあよかったというように、口早に馬車別当に云いました。
「どんぐりを一升早くもってこい。一升にたりなかったら、めっきのどんぐりもまぜてこい。はやく。」
別当は、さっきのどんぐりをますに入れて、はかって叫びました。
「ちょうど一升あります。」
写真は一升はないけど、近所で掬ってきたものです。
上の“どんぐりと山猫”の場面を飼い猫が演じると、こういう事になります(爆)
もともとこのどんぐりが落ちていた状況は、山猫合奏団のブログにしたためました。