駐輪場の怪人
2007-06-13
前から気にはなっていたんだが、最寄りの橋本(神奈川県の)駅のそばの駐輪場の床にはリノリウムが剥げて面白い顔があちこちにでてきています。かつて、道路上のペイントをまとめて写したときも面白かったけど、こういうのに似ている怪人たちだ。
昨日の仕事の帰りに自転車を出しながら携帯を向けたのだけど、疲れていたのでそこいらじゅうにあるものをまとめて写せなかったのでまた機会があったらカメラに「切り取って」こよう。
この角度だけでもいろんな顔を発見することができる。
しかし、同じ写真をひっくり返してみるとまた違う顔が発見できるのがおもしろい。今日の朝飯を食いながら、「はなまる」だっけ、TBSの番組見てたら、視聴者から、スイカを切ったらいろんな顔に見える写真が投稿されていてみんなにおもしろがられていて、「こういう写真募集しています」っていうから、テレビの前で「本当に全部送っていいのかよ!」って一人で突っ込みを入れていた(爆)
閃きは反復の結果でてくる
2007-06-07
最近、一緒に仕事をした何人かの芸術家の閃きには感心したのだが、そのどれにも共通していることは、なにもないところから閃きがでてきてるのではなく、楽譜にしろ台本にしろ、当然のことながら普通に考えられている数とは違う反復の結果咀嚼されてでてくることなのだ。昨日、こんどの日曜日に再び演奏される“セロ弾きのゴーシュ”を昨晩リハーサルしたのだが、たまたまいま、新しい作品を作曲しているモードになっている自分と、前述のような閃きのある共演者たちの影響に後押しされて、今まで気づかなかったことを演出してみたくなったところがあちこちにあって、やってみたら実に面白かった。
テキストが元にあって、それに自分で曲を書いたものは、作曲の段階も何度も読むはめになるし、実際に再演を繰り返していると、共演者によって、なんども舞台でもリハーサルでも聴くことになる。
普通自分が、読者の立場であるだけでは普通は一回、多くても数回しか読まないものだ。
しかし自分が演奏している曲を考えれば当然のことながら繰り返し鑑賞している間に一回では見えなかったものが見えてくるものだ。
何度も客席で聴いてくれる人には気づかないこともおおいかもしれないので、大幅な変更とは言えないまでも今までの自分の書いた“セロ弾きのゴーシュ”とはあきらかに違う作品になってこの作品も「育って来た」実感を持った。
練習とか創作というのは、単純な繰り返しとともに常に新しいものを探す好奇心が必要なんだなとこの不適な笑いをもった顔に教えられたような気がする(爆)












★10月に幕を開ける

