ビリー・フリンと孔雀の関係@CHICAGOこぼれ話28 - 2010.12.20 Mon,02:08

掛川花鳥園の孔雀の写真を見ていたら、今年の初夏にやったミュージカルのCHICAGOの悪徳弁護士のビリー・フリンが初めて登場するときの周りの女の子達の持っていた羽を思い出した。
羽の色は全然違うけど、まさにあの羽に囲まれたビリー・フリンは孔雀だったんだね(爆)
CHICAGOをご覧になってない人のためにどういう感じなのかいくつか探して見ました。
改めていろんなビリーがいるのだなということと、この作品に関しては世界中基本的に同じ演出というのが実に面白い。
http://www.list.co.uk/article/17760-chicago/
http://www.chuckcooper.net/images/chicago/Chicago2.jpgがそれに近いかな。
http://www.baltimoregaylife.com/ae/theatre/after-12-years-chicago-the-musical-still-sizzles.shtml
GAY LIFEってすごい新聞だな(爆)
これはまた凄いフォルムになってるね。
http://turkey.broadwayworld.com/article/Photo_Coverage_Rehearsal_of_the_musical_Chicago_at_TIM_Show_Center_in_Istanbul_20000101
だんだん探している間に、孔雀の話題から飛んでしまったけど、このセット類の写真は懐かしい、まったく同じだもんね、世界中。
http://blogs.todayonline.com/forartssake/2010/04/15/backstage-at-chicago-or-rather-perth/
Googleなどの、画像検索で、“CHICAGO Billy Flynn”を検索するといろんな画像がでてきますよ。
あ、決定的なのがあった。
我らが日本のカンパニーのなぜか初演の動画があって、この場面が映ってる。
やってるときから思ってたけど、なんでピアノ全然聞こえないMIXしてるんだろう。
結構弾いてるんですよ、大事なコード。
そうそう僕ももちろん弾いてるんです(爆)でも指揮者やダンサー達の陰になってるけど。
しかし、なぜロシア語なんだ、このサイトのタイトル(爆)
http://www.lookatgame.com/view.php?video=DfMJDb3KAN8&feature=youtube_gdata_player&title=河村隆一コメント&All+I+Care+About+%282008年舞台映像より%29
それと、spreadという単語は、まさに、Spread Eagleという鷹が羽を拡げたという隠語で、「大股開き」という言い方があることを僕はCHICAGOの主人公の一人Velmaの台詞から学びました(爆)
今夜もアムラは喝采の中に@CHICAGOこぼれ話27 - 2010.07.15 Thu,13:10
http://www.broadwayworld.com/article/CHICAGO_Welcomes_Back_AmraFaye_Wright_and_Carol_Woods_713_20100628
とっさにヴェルマが日本語を口走ること
ドラムスのハインリッヒの話だと、三ヶ月間彼女のローテーションは続くということでした。
いいなあ、こっちはいつも一ヶ月とか精々一ヶ月半で終わっちゃうから。
Musical CHICAGO Band 2010 Japan@CHICAGOこぼれ話26 - 2010.07.06 Tue,01:15
名は体を表す@CHICAGOこぼれ話25 - 2010.07.05 Mon,22:14

(兵庫の芸術文化センターは、最新式のタッチパネルのモニターに触れると色が変わっていたし、そこでは勿論アルファベットだったのだが)
初めて赤坂ACTシアターシアターに今回行ったとき、見たことのない名前があるからだれかエキストラが入ったのかなと思ったら、これはドラムスのハインリッヒのものだった(爆)
なかなか勇ましくて良いね。

なかなか文学的な感じがする。
もう一人のジェニファーはカタカナが好みだったようで普通だったのだけど、こういう遊びをカンパニー全体が楽しんでいました。
CHICAGOを演奏していて何よりも嬉しいこと@CHICAGOこぼれ話24 - 2010.07.02 Fri,15:34

後いう間に、5月は過ぎ去り、6月の頭から兵庫に滞在し、向こうで数日公演をし、もう気づいたら7月に入っていて、今度の日曜日で千穐楽だ。(ワールドカップも開幕したと思ったらもう準々決勝だし)
面白い事は数え切れないほど起きているのだけど(起きていたからこそか、ワールドカップも始まってたし)、ブログをずっとほったらかしにしていたから、今回は前回の様にはエキサイトしてないのかと思われた人もいるかもしれませんが、確実に前回よりプロダクション全体がレヴェルアップしていると思うし、楽しんでいます。
そのことについて書き出したらまた止まらないので、この記事は、シンプルに音楽が必要な編成で演奏されている当たり前の喜びを強調したいです。
昨今はあまり景気がよくないせいでしょう、本当は20人を超えるオーケストラで演奏すべきものがとっても小さいものにアレンジされている公演が増えています。

14人は大きい編成とは言い難いけど、あの装置の上で演奏するにはぎりぎりでしょうが編曲も本当にすばらしく、十分なサウンドが劇場を満たしていると思います。
弾きながら「本当はこの箇所はピアノじゃなくてあの楽器(その場には居ない)なんだよな」とため息をつくことなくできるということは当たり前に見えてそうでもないこと。
のこり4回を楽しみたいと思います。(さすがに千穐楽は無理かもしれないけどそれ以外はまだ問い合わせたらチケットは入手できる可能性はあるかもしれません)
ヴェルマ役のアムラさんの日本語は日増しにイントネーションが進化していて毎日聞いていてもそのすばらしさと面白さにびっくりです。
もっといろんな人に観て欲しい作品です。
また再演があったとしても、スケジュールが合うか合わないかの問題もあるし、サッカーの代表選手達と同じく、いつもその席が確保されているとは常に他の作品同様、思わないので、またそういうことが数年後あったとして、弾けるかも知れないしもうこれで終わりかも知れないけど、練習の仕方から始まってすべての面で、僕にとってミュージカルの中で特別な作品であることは間違いないです。
音楽監督のギャレス氏は外国の人特有のユーモアを交えて、そして、もちろん社交辞令も数パーセントは入っているとしても、日本人の演奏能力には、お世辞を超えた賞賛を初日の日に送ってくれた。
それはヴェルマ役のアムラさんも、オケ合わせの初日の日のびっくりした眼は忘れられません。
ドラマーのハインリッヒ君もすっかりみんなと仲良し。(ラグビー選手の様な体型だけど酒は自制していて一切飲まない)
この間のサッカー日本代表と敢えて結びつけちゃうけど、結構スキルは世界的な人たくさんいるんだよ、日本人の音楽家のなかには。
それで、強みはやっぱり結束力だと思います。
日本代表チームが帰ってきて、「このチームでもうちょっと長くやっていたかった」というコメントがありましたが、僕らの仕事も期間限定で集っていることが多いので、気持ちは良く分かります。
かれらは解散後は、二度と同じメンバーが集うことはないし、しかもまた普段は戦う相手になるわけです。
CHICAGOファミリーも今度の日曜日で解散します。
キャストは新しい人も居たし、また今回は友情が深まった人も居るし、一回目の楽しさとはちょっと違いましたね。
CHICAGOのメイキング映像公開みたい - 2010.05.14 Fri,18:39
ニューヨークタイムズにCHICAGOの日本公演について関連記事発見@CHICAGOこぼれ話23 - 2010.05.07 Fri,08:58
懸念して前回の記事には公開しなかったけど、ジェニファーはそこにあるとおり、ハニャック@芝居の中で唯一「英語」を話せなくてハンガリー語で訴えるハンガリー人を演じます。
http://www.nytimes.com/2010/05/01/theater/01wright.html?ref=theater
アムラもこのムービーの時点では、たまたまだろうけど「私に罪はない」が「私に妻はない」になってますね。(爆)
発音ってちょっとした違いで意味が変わっちゃう言葉があるから難しいね。
僕らが銃のつもりで「ガン」といっても、彼らにはGunには聞こえないらしいし、先日のジェニファーと合わせていたときも、「可愛いベイビー」が「怖いいベイビー」に聞こえたので意味が正反対になることを伝えたら大受けでした(爆)
昨日(5/5)初めてアムラの歌も聴きましたが、歌はもとより、発音も実に明快ですばらしかったです。
どんどん慣れてきたらまるで洋画を吹き替えで観ている状態が舞台で観ることができるのでしょう。
これはMusicalの日本語上演としては歴史的な公演になるかも@CHICAGO 2010 Japan@CHICAGOこぼれ話22 - 2010.05.03 Mon,22:18
ヴェルマ役のアムラさんや、ドラマーのハインリッヒさん、そして、女囚の内の一人を演じるジェニファーさん。
みんなすぐに打ち解けるフレンドリーな人たちでした。
早速ドラムスのハインリッヒと第二ピアノの荻野清子ちゃんと僕とで、序曲とAll that Jazzのシーンから、ダンスの練習に今まではきよちゃんか僕が単独で弾いていたわけだけど、初めてマエストロ上垣聡ちゃんの棒で、本番と同じ場所で弾いた。
この作品はご存じの通り、舞台上にひな祭りの人形状態で常にミュージシャンたちが座っているし、世界共通の装置なので、日本人による初演を経験した僕らは、久しぶりの空間で弾いたわけです。
なんか以前住んでいた場所に戻ってきた感じです。
それまでの練習は、舞台装置の下手側に置いてあった楽器でやっていたから、、。
それに加えてもう二つの事に感じ入りました。
一つは、群舞の中に来日組のメンバーが居ることがなんにも違和感の無いことです。
今までも、Westside Storyの来日公演で、ピットの中にブロードウェイから来ている演奏者と日本在住の人が混じっていることは何度も経験あるし、12ヶ月のニーナ(1987年くらいに青山劇場で上演された、原作は「森は生きている」で、作曲はロシアの作曲家ロディオン・シチェドリンで、今じゃお蔵入りしちゃった作品だけど音楽は最高にすばらしかった。)では、最初から二人ほどアメリカ人のキャストが入っていました。
(ペレストロイカの頃で、日本とアメリカと当時ソ連だったか、のスタッフたちが三国同盟の公演としてやっていたし、仕事でミュージカルに関わった最初の作品)
でも、これは、前回全員日本人で経験した公演の中に、自然にブロードウェイでCHICAGOをやってきたキャストがそのまま入っていることのびっくりするくらいの自然さが、この作品のワールドワイドなファミリーなんだなということを他の作品では感じたことがないので、ちょっと感動しました。
つまりCHICAGOをやったことのある各国のキャストたちは、たとえば、多国籍のごちゃ混ぜ公演が企画されても、細かな違いはあるにせよ、少しの時間で同じ作品のパーツになれるということです。
それと、日本語で歌わなくてはいけないわけで、そのために別のスタジオでジェニファーにアンサンブルパートを歌って貰った時に、またたまげました。
実に美しい日本語の発音で、もう暗譜で歌っているのです。
それは、ほとんど路上でたまに出会う「アーナターハ、カミヲ、シーンジマースカー」といういわゆる日本語ではなく、本当に何を言っているか良く分かるし、歌にも表情があります。
まあ彼女が何の役を歌うかとかはもしかしたらまだ公開しちゃいけないかもしれないのと、2ショット写真も撮って、彼女はブログに公開しても良いよとは言ってくれたけど制作サイドには訊いてないので細かいところはお茶を濁しますが、ブロードウェイの現役のキャストの中に去年は、フレッド・ケイスリー役で大澄賢也さんが英語の台詞を喋りながら舞台に立っていたのを観て興奮したのと反対だけど同じことが日本語で、来月は日本で観ることができるのです。
前述の12ヶ月のニーナでの記憶がかなり薄らいでいるけど、アメリカ人のキャストの歌や台詞はそのときももしかしたら日本語だったかもしれないけど、今回のことは最初に書いたようにそれとは違い、もうスタンダードな作品としてCHICAGOがワールドワイドなファミリーなんだなということを再実感した今日は初日でした。
装置の裏に様々な国の関わった人たちの落書きがあったことを思い出します。
いたずらでGuys and DollsとCHICAGOを関連づけたりしたけどまったく別世界であることは自明の理@CHICAGOこぼれ話21 - 2010.04.28 Wed,13:42
しかし、Guys and Dollsの冒頭の曲のタイトルにもあるけど、ラニオンランド(原作者ラニオンの世界)というくらいで、Guys and Dollsの世界観というのが序曲で示されるわけで、それはWestside Storyでも、42nd Streetでも冒頭に出てくる群舞というのは、それ以降のその作品の強烈な印象をまず植え付ける上で必要な場面です。
それは、CHICAGOもまさにしかりなんだけど、やっぱり天と地の差ほどこの二つの作品は違うなと思います。
あの序曲からAll That Jazzへの間に客はCHICAGOの独特の世界観の中に引きずり込まれるのです。
この間の休演日に久しぶりにずっとCHICAGOのナンバーを弾いていたとき、そして昨日のGuys and Dolls二回公演の合間にちょっとCHICAGOの曲を練習していて、全く持って当たり前なのだが、本当にこの二つの作品のカラーというか匂いというか、温度差というか、まったく別世界だと思いました。
特に同じ日に両方を弾くとそのコントラストが、強烈に感じます。
僕が来月頭に出る、月刊ミュージカルの取材で、原稿の修正で忘れちゃったミスがある。
たまたまその対談の中でも、Guys and DollsとCHICAGOについて言及したとき、両方の作品に「あやしい人たち」が出てくるみたいなことを言ったのだけど、たしか「妖しい」と変換されていて、そうだ、たしかにCHICAGOは踊りを見ると妖しいけど、Guys and Dollsには妖しい人たちはでてこなくて、どちらかというと、怪しい人たち(爆)が下水道でサイコロを振っていたりするわけで、、、(爆)
僕が言いたかったのは共通点として悪い人たちが出てくる芝居、というくくりだっただけなんだけどね。
(まだGuys and Dollsを受注してなかった頃に書いた記事。)
Guys and Dollsにもとてもセクシーな曲や踊りがあるけど、やっぱり不健康な感じは全くないし、CHICAGOとの比較は元々無意味なんだけど、やっぱりCHICAGOの世界観というのは、あのボブ・フォッシーの振り付けの影響がその一番重要な核になっていて、それに合った音楽の妖しさがありえないくらいにマッチしているのだと思います。
だから、Guys and Dollsの空気とCHICAGOのそれはどっちが良いとか面白いかというものではなく、もう別の宇宙なのです。
ミュージカルであること、ジャズであること、アメリカの戦前の話(舞台は違うけどGuys and Dollsの原作は)であることは共通点であるけど、もう別のジャンルといっても良いくらい違います。
2008年の上演のおりに稽古ピアノをやっていたときは、全体で舞台稽古をする前は、二つのスタジオ(たまに三つ)に別れていて、僕は主に歌のリハーサルで伴奏をしていました。
今回はフォッシーダンスのスピリッツを受け継いでいる希有な日本人、大澄賢也さんの指導する振り付けの稽古場に居ることが今のところ多く、改めて、普通のジャズダンスとフォッシーのそれの大きな違い、しかしながら、本当に些細な手やつま先や体のかがめ方の数度の角度の違いだけで、CHICAGOになるかならないかを彼がやってみせるのを見るとため息が出るほど興奮します。
かつて蜘蛛女のキス(これもボブ・フォッシーの振り付け)の日本初演の時には僕はずっと振り付けチームのピアノを弾いていたが、ブロードウェイから来ていた振り付けの先生がみんなの前で歩いてみせるだけで、一瞬にしてそれが妖しい女(オーロラ)になったり荒くれ囚人(でも格好いいという形容詞をつけないとだめだけど)になったり、その表現力に鳥肌が立ちながら弾いていたものでした。
音楽の演奏でもジャンルを問わず、その曲やその作曲家の世界観を「香らせる」演奏をするには、楽器の前でフィジカルな練習を繰り返ししているだけじゃ駄目だと思っています。特にLessonしていたりすると常にね、、。
ピアノを弾く人のほとんどが、「ピアノを弾ける先生」に「ピアノの弾き方」を習っているだけだからです。
「ピアノを弾けない別ジャンルのアーティスト」に「音楽」やその後ろにある世界観の影響を受けてきた僕は、それが楽しいし、自由な発想が出来ると思うのだけど、そういうLessonをすると、みんな難しいといって顔をしかめちゃうんだよな。(爆)、
手がかりがなにもないから創造作業なんだけどな。
まあいいや、、最近は人に教える(時間がないので申し訳なく思っています)より、自分が周りの共演者にいろんな事を学びまくる毎日だから、アウトプットよりインプットの作業をお金を貰いながら出来る幸せを千秋楽まで感じ倒すぞ。
二つの作品を観ていて面白いことに気づいた。
Guys and Dollsには、ある意味品の無い野郎どもがたくさん出てきて、実に言葉遣いが荒い。
でもCHICAGOはもっと悪い(だって殺人事件を起こして拘置所に居る女どもだし)やつらが出てるのだけど、乱暴な言葉で怒鳴る場面はほんのわずか。
ある意味ほとんどの登場人物が慇懃無礼に満ちていて、そしてその極みの二人(爆)が「最近の世の中には品が無くなった」と歌ったりするし、あの弁護士の公明正大に装っているあの悪さ(爆)、もうこれが、やっぱりAll that Jazzなんだね。
だけど、あれだけ面白い世界になっているのは本当に不思議。
Guys and Dollsが終わってしまうのは悲しいけど、すぐにCHICAGOが待っているのであの世界一の愛すべき虚飾(爆)が僕の惜別の思いを隠してくれることでしょう。
理解してもらうということの戦略には布石が必要ということだね@CHICAGOこぼれ話20 - 2010.04.22 Thu,10:55
CHICAGOの日本での上演はもうだいぶ前から来日公演があり、映画のヒットもあり、ミュージカルファンの中にはCHICAGOというのはある意味古典に近く受け止められてきた経緯がある。
しかも、僕が関わっているこのCHICAGOのカンパニーはワールドワイドなカンパニーで、今日も世界のどこか何カ所かで上演されていて、基本的には、同じ演出で、あとはローカライズされた枝葉の違いがあるだけだ。
今回日本人キャストでの上演は二度目(かつて大昔別のカンパニーで日本人上演の歴史はあるけど、それは除いて)なのだが、ヴェルマがブロードウェイで現在出演しているアムラさんという人がやることになり、歌詞が英語になったりする部分がある。
それも今回の上演で話題となることだろうが、興味深い変更が何カ所かそれ以外のナンバーで見受けられることがある。
それは、もちろん、前回の日本人初演のときにも問題になったことを修正していることもあるけど、真っ先に思いつくのが、"All that Jazz"や、”Razzle Dazzle"という言葉をそのまま活かしていることだ。
聖書にもあるとおり(爆、Guys and Dollsのサラの影響か、このレトリック)、何にでも時があるわけで、これだけCHICAGOの上演がたびたび行われてきたら、もう、原語で伝わるでしょう、というコンセンサスができてきたとおもうわけです。
年末年始に関わっていたSHE LOVES MEも、アルパという少年が雇い主に訴える"Try Me!"という曲も今回は歌詞にそのままTry Meにして歌っていた(実は最初の原稿は日本語だったけど、稽古中に変えた)し、Guys and Dollsのなかの、"Luck be a Lady"もそのまま原語でLuck be a Lady tonight!とスカイは歌っている。
もちろん、いつだって劇場には、予備知識なしに、しかもミュージカル自体初めてご覧になる方が何割もいることは承知のうえで書くのだが、初輸入のころとちがって、何度も繰り返し上演されてくるものは、「この」CHICAGO、「この」Guys and Dollsというように、もう、作品を上演すること自体に意義を感じる段階ではないと思うのだ。
今関わっているGuys and Dollsも何度も上演されてきているし前観た人はいろんなところを比較するだろう。
ゆえに、CHICAGOの昨日のリハーサルで、大澄賢也さん(押しも押されぬダンスキャプテン)がダンサーたちに訓辞をたれていた中で、「再演は初演よりグレードアップしていて当然と思われるから心するように」というのがあったけど、それは、歌唱指導で今回は練習初日からいらっしゃる指揮者の上垣聡氏も「前回は見逃していたこういうところを今回はきちんとしたい」ということをみんなの前で述べていた。
歌詞も変わるし、外人スタッフも三人の内二人が変わっているわけで、ほとんど同じメンバーのCHICAGOでもあり、またあらたなCHICAGOがこれから作られていくのだという感慨がある。
昨日はダンスのリハーサルにつきあったので、序曲からAll that Jazzのところをたぶん20回近く弾いた気がするけど、もう懐かしいのなんのという気持ちと、妙に新鮮な気分が混在し、6月が来るのが楽しみでしょうがない。
CHICAGOの台本と譜面が来た - 2010.04.15 Thu,01:33

稽古ピアノとしても参加する(CHICAGOの本番で演奏しているピアノ2人とドラムスの人たちは世界中のカンパニーで基本的に役者たちの稽古の最初からつきあうことが条件となっている)ので、来週からはGuys and Dollsの本番の合間に毎日、Guys and Dollsの芝居に登場する異彩を放っているとんでもないギャンブラーのビッグ・ジュリー(@三谷六九さんが演じている)の故郷での「いかにも悪い人たち」の世界に二年ぶりに戻っていきます。
一部2008年のキャストとは違っているようで、再会と新たな出会いを楽しみにしています。
CHICAGO2010の公式サイトはここです。
ブラックナルシス,六人も妻帯するモルモン教徒?@CHICAGOこぼれ話19 - 2008.11.23 Sun,11:57
探してみたらフランスの名前で同名の香水があった。どんな匂いがするのだろう。
あと、ヴェルマやロキシーがいたクック郡留置所の女囚の告白の中に、六人も妻帯していた元彼の話がでてくるが、本当にモルモン教徒って六人も妻帯できるのかなあ。
デジタルは必ずしもアナログより良いわけではない@CHICAGOこぼれ話18 - 2008.11.22 Sat,07:31
Musicalには指揮者が存在します。
必ずしも舞台の前のオーケストラピットで演奏できるとは限りません。
たとえピットで演奏していたとしても、様々な理由で舞台袖やまた別の場所で歌ったり演奏したり、その他舞台関係の人のタイミングで様々な操作をする人のために、指揮者をビデオカメラで撮り、リアルタイムで様々な場所でテレビ画面で映ったりしています。
今回は舞台上で演奏していたので役者たちは指揮者を背中の後ろに位置しています。
時にシビアなタイミングの歌い出しなどのために、客席の後ろの方に大きな液晶モニターがありました。
昨今、アナログからデジタルへいろんなものが交換されていますが、やっかいなことがあります。
家電に詳しい人はおわかりでしょう。
そうです、デジタルのモニターって時差があるのです。
詳しい仕組みについては省きます(これから川越美術館に演奏に出かける必要があるからです)が、ゆっくりした棒の上げ下ろしではそんなに感じませんが、速いテンポで指揮者が棒を動かしていると、目の前にいる指揮者の棒が上に行っているときに、彼方のモニターでは棒が真下にあるのです。
かなりやばいです。
もちろん、公演ではそれによって事故はありませんでした。
(速いところはいちいち見なくても後ろから聞こえてくる音楽のビートに乗ればいいからだ)
アナログのモニターではこういうことは起こりません。
なんか、話によるとものすごい高価な機械を間に挟むとその時差は補正できるらしいのですが、今後、テレビも「中継」といっても、数秒前の事しかみられなくなるから、ある意味怖い事もあるね。
120回×(45回+3回)=5760回@CHICAGOこぼれ話17 - 2008.11.03 Mon,02:35
ご来場してくださった方々には感謝です。
ちょうど初日から32回弾いたらしい。
関係者相手の公開舞台稽古を入れるとそれプラス3回ある。
赤坂千秋楽ではあった(キャストやミュージシャンもここまでで出演は終わりという人が何人かいた)けど、スケジュールとしては、いつもの休演日と同じ感じで今日公演がないだけで、明日から大阪で数日間(しかないのは残念だがほとんどが一日二回公演じゃん)演奏してくる。
ここまでの文脈と全く関係ないが、数日前、二回公演の合間にオフィシャルに録音された一幕のROXIEというナンバーの録音を聴いていて実にくだらないことを始めた。
この曲はこの作品中もっとも渋い曲でいわゆる4ビートのジャズのテイストがある。
曲の構造はとてもシンプルで、もちろん歌詞が乗っているところは様々に展開していくが、もっともこの曲の中で多くの時間鳴り続けているその中心となっているモティーフは2小節単位でできあがっているベースラインだ。
それをダブルベースと同じように左手だけで単音で弾いている。
その上にとても長いロキシーの独白があったりする。
音楽としては、ある台詞のきっかけで先に進むのだが、繰り返しが気の遠くなるくらいあったりする。
そういうのをVampという。
転調もするけど、バッハ以前の音楽に良くあるシャコンヌの様に同じモティーフの上に様々なメロディーが上に乗っかっていることもある(ベース部分は同じでもそこは曲が展開しているのでVampとは言わない)が、この2小節のモティーフをいったい何回俺は弾いているのか数えてみたわけだ(周りにいた音楽家にあきれられながら(爆))。
いろんな楽器が場所によってユニゾンになって混ざってくるがこの曲中で最初から最後まで休まずそれを弾いているのは自分が弾いているPiano1とBassとDrumsだけだ。
そしたらその公演に限って言えば、ちょうど120回だった。
それは毎回微妙に回数が違うかもしれないがたぶん、違っても数回の誤差だ。
しかし誰もそんな回数になっているとは思ってなかったから、俺の試みについてはあきれてはいたが結果を聞いてみんな一様に驚いていた。
決して早いパッセージではなく、ゆっくりして音は少ないのに100回も弾けば道理で疲れるわけだ(爆)
ということで、今日の記事の題名の意味は、公開稽古を含め、この公演中僕が最後まで死なないで弾いた場合、あの2小節をお客さんの前で5760回くらい弾くことになるということだ(爆)
でも公開されてない舞台稽古(今回は今まで経験のないくらい(九月中旬以降から)たくさんやったものな)やオーケストラだけの練習、そしてなによりもそれ以前から自分がやっていたピアノとドラムスだけでの稽古は、たっぷり二ヶ月あった(公演自体は一ヶ月強で45回)わけで、もちろんこの曲を毎日そのサイズで弾いたわけではないが、きっと想像を絶する回数このモティーフをすでに弾いてきたのだと思う(爆)
フィジカルな意味の技術的にはもっと忙しい曲はあるけど、あの曲は自分の居場所を失わない集中力とスウィングのセンスをちゃんとするということにおいてはもっともこの作品のなかで難かしい曲だと思う。好きだけど。
後に裁判の場面でもこのモティーフは引用され、しかも二倍速で何回もやはりVampになっているがそれはカウントしてない。
ピアノの練習曲の中には、あるモティーフを数十回繰り返せ、というのがチェルニーなどにあるけど、そんなのを子供の頃に弾かされたことを思い出したが、やっぱり思い出したくなかった(爆)
だからといって公演にいらっしゃる人たちは、面白がって回数を数えたりしないように(爆)
文字通りとっても格好いいダンスがありますからそっちを楽しみましょう。
虚飾の裏に隠れているもの、真実を覆い隠しているもの@CHICAGOこぼれ話16 - 2008.10.31 Fri,11:41
人を観に来るのか、作品を観に来るのかというのは、明確に線引きをすることは難しいし、そんなことは客の勝手ではあります。
Musical CHCAGOは、開始から終幕までほとんど舞台上にひな祭りの段の様に見えているオーケストラが最後、突然ぎんぎらぎんの幕に隠されるところがあります。
自分の知り合いが、その瞬間演奏している姿が見えないので悔しいと表明したので、僕は演出家ではないけど、なんでそこで「隠される」のか考えてみた。
ネタばれにもなってしまいますが、本来日の当たる場所に出てはいけない二人が裁判で無罪を勝ち取り(その一方で無実の外人、そして献身的な亭主のなんとひどい顛末)、ショウビジネスの世界に颯爽と登場し、そして「アメリカ万歳」みたいな演説までしてしまうところというのは、本来ものすごくありえないことであり、弁護士ビリー・フリンの歌う歌すべての歌詞を含め、とてもシニカルな意味で言わせているのであり、もしかしたらあれは現実なのか夢なのかは実のところわからないけど、それはそこまですべて「見てきた」オーケストラの姿を覆い隠していることにより、とても「虚飾」な世界がそこに展開されているということの象徴でもあると思うのです。
その証拠に、その直後、All that Jazzがリフレインし、全員が出てきて終わりますが、その時は、また「ぎんぎらぎんに隠されていた」オーケストラの姿が見えてきます。
どっかにも書いてあったけど、あのオーケストラが座っている台は、非常に誇張された「陪審員席」の象徴でもあるとするならば、まさに、この記事の題名そのままだということにもなります。
ゆえに、あの瞬間オーケストラが覆い隠されるというのは、すごく意味のあることで、決して演出意図が「演奏の邪魔」ではないのでご安心ください(爆)
それと、僕の友人からは、「たくさん弾いているのは見えるのにちっともピアノが聞こえない」という感想も数多く受けましたが、これはしょうがないです。
この作品に限らず「合奏」のほとんどが、全体を録音した結果を聞かせ、各パートの人に本音を聞けば「もっと俺の音が聞こえてていいはずだ」と全員が言い張るはずですから。
僕がシエナ・ウィンドオーケストラで演奏したCDのどれもが、たしかにソロの部分は聞こえているけど、盛り上がっているときにも相当強く弾いているけど全く隠れていてしまっていて僕の立場からは、もっとピアノ聞こえていいはずだぞ、の世界です(爆)
演奏者すべて、自分の音が一番中心になってほかのパートが聞こえます。
みんなのわがままを聞くわけにはいきません。
指揮者、あるいは音楽監督、そして作曲家やアレンジャー、あるいは、エンジニアの趣味でヴォリュームのバランスは決まります。
自分で今回の録音(オフィシャルに許可されたもの)を聞けば、「本当に必要な場所」ではそこそこ聞こえているのでそれで良いのだと思います。
知り合いはどうしても、知り合いのところに眼も耳もフォーカスして鑑賞してしまうのはしょうがないけど、「一見聞こえてない、見えてない」ところの「部品」が全体を支えているので、そういう意味だと全体を鑑賞してもらえれば気にならないことになると思います。
僕は頭が悪いので、数十年来の親友が芝居に出ているので見に行ったらどこに出ていたかわからず、「今回は出番がほとんどない作品だったんだね」と大まじめに終演後述べたら「本当か?」と言われ、実はずっと主役級に出ていた役で髭とか王冠とかしていたからわからなかったのです。
芝居を楽しんではいたけどそれが友人だとわかったのは後で、申し訳ないことをしたとは思ったが、個人ではなく役柄に堪能した自分は正しかったと思うことにした(爆)ことがあります。