新日本フィルハーモニーの首席ホルン奏者の井手詩朗さんと弾いて来ました - 2013.05.25 Sat,11:15

昨夜、東京の町田市で、町田こども劇場さんの主催で、ホルンとピアノのコンサートをやってきました。
基本的に会員さん対象のコンサートだったので告知はしませんでしたが、大変楽しい演奏会になりました。
僕が今まで編曲したりした日本の民謡、そして作曲したオリジナルの小品も混ぜて演奏しましたが、ホルンバージョンではもちろん、すべて初演でした。
ホルンの音域は、男性の喋る声に近いところもあって、今後彼からも頼まれたのですが、こういう編曲やオリジナルの作品をもっと増やしていこうと思いました。
ポール・デュカスのヴィラネルという曲も初めてでしたが、実に楽しい曲でした。
僕の編曲した曲で、滅多に見られないホルンのカップミュートを使って下さり、大変光栄でした。
彼も使ったのは二度目(爆)だということでした。
カップミュートの写真は、http://photozou.jp/photo/show/1934405/177636863にあります。
アンドレ・アンリ氏との演奏は至福の時間でした - 2013.03.03 Sun,21:04
リハーサルの時に記念撮影 - 2013.03.01 Fri,01:05
Kaoちゃんと新作を弾きました - 2009.05.28 Thu,11:10
寺内園生さんという方の「TANGO Solo」(初演)という曲でした。
ViolinとPianoのDuoで、タンゴっぽい曲で、盛り上がって弾けました。
東京文化会館の小ホールは、もう何年も弾いてなかったので久しぶりに弾けて幸せでした。
★2007-2/16オペラサロン・トナカイ - 2007.02.17 Sat,09:07
共演者はソプラノの前川朋子さん、メゾソプラノの小林真美子さんと、村上敏明さんでした。
客席の熱気に後押しされ、三人ともすばらしく熱唱しました。
歌い手さんたちが三回のステージで原則二曲ずつ歌う時の合間に独奏をするのですが、今年はバッハの平均率ピアノ曲集を一曲ずつ弾こうと決めていたけど、今日は最初のステージからシャンソンやカンツォーネが並んでいたので遠慮しちゃいました。
何回か共演して気のあった人たちとやるのは安心して楽しいけれども、ここにくるのは未知の若い歌い手とお客さんに巡り会える喜びがあるからです。
昨夜もそういう発見がありました。
オペラサロン・トナカイとは。
2006/9/6人見 共ソプラノリサイタル - 2006.09.06 Wed,12:58
しかし20年前の鮮烈な印象は全く褪せることなく、ずっと再共演を心待ちにはしていたのです。
今回は、シューベルトの歌曲、木下牧子さんの歌曲、イタリア古典歌曲、そしてアンドレ・キャプレの歌曲、つまりドイツ語、日本語、イタリア語、フランス語を歌い分けます。
しかもイタリア古典歌曲は佐藤紀雄さんのギターで歌われます。
それぞれの選曲も緻密に考えられ、とても完成度が高いものになっていてなにをさておき、演奏もチラシもプログラムもお洒落です。
今年一番と言って良いほど充実した気分で本番を迎えました。
東京のオペラシティの小ホールで今日は(今日も、か)ベーゼンドルファーを使います。
だいぶ前に満席になってしまい、聴きたくても入れない人が出たのは残念でした。
アンコールコンサートが実地できたらと彼女と話しています。
★2006/2/11白石准がMFYサロンのベーゼンドルファーピアノを弾く会4 - 2006.02.11 Sat,09:05
共演者は、ヴァイオリンが大和田茂氏、クラリネットが守田英太郎氏。
二人とも自分の主宰する“みんなの音楽会”で何度も共演してきた名手です。
曲目はミヨーの組曲とストラヴィンスキー自身の編曲による「兵士の物語」の抜粋による組曲。
この二つがトリオで、あとは、ガーシュウィンの「ポーギー・とベス」組曲(ハイフェッツ編)の五曲(ヴァイオリン)とクラリネットは、バーンスタインのソナタと、ジャン・フランセの変奏曲です。
あとは数曲ピアノの独奏でモンポウの前奏曲を弾きます。
今日は二回公演になり、どちらもほぼ満席なのでこれはとても嬉しいことです。
また終了後加筆があると思います。
そうそう、ベーゼンドルファーの事をヴェーゼンドルファーと記す方もいらっしゃいます(アクセス解析でサーチワードで結構見受けられる)が、Bで始まっているのでドイツ語圏の発音をカタカナで書いた場合は前者が正しいです。
★2006/1/8連弾のコンサートwith小坂圭太その2 - 2006.01.08 Sun,00:14
この曲は音楽を愛する人のみならず、詩歌や絵画を愛する人、あとアロマテラビーや香水が好きな人にとてもアピールしそうな音楽だ。
音楽で魂を浮遊させるというか、これぞドビュッシーの真骨頂だなと思う。
決して唸らせるような運動能力の高い、自己顕示欲を刺激するものはそこにはなく、音の質感のコントラストによる投影、あるいは、音に温度や前述のような香りを感じてしまう不思議な世界だ。
これは、たしかに客観的な風景を表した音楽と言うのは危険だけど、恋人を求めたり抱き合ってドラマティックに気持ちを吐露する種のものではなく、とっても不思議な場所に行って、建物でもいいし、少々日常から脱したその空間に自分が入っていったときに感動を覚えたときのものに近い様な気がする。
ストラヴィンスキーの並はずれた才能と比較のしようがない、これもまたドビュッシーしかなしえないような、天賦の才能にのみ聞こえた音楽なんだろう。
最近、こういう幾層にも重なっている深さのある音楽がなんかびりびり琴線に触れてしまう。
初めて聴いたとき(というか初めての体験は、誰かの演奏を聴いたのではなく、自分で弾いた時なのだが)から惹き付けられてはいたけど、やっぱり数十年経った今の方がそのそこはかとない面白さが体を突き抜けていく。
これはやはりピアノというペダルを持った楽器でなしうる独特の音風景だろう。
ピアノが楽器として育っていく過程に於いて、実はモーツァルトやハイドンも時にペダルに言及し、その創生期の特性を面白く活かした曲もあるけど、やっぱりショパンがある意味、初めてペダルによる独特の表現をピアノに与え、ドビュッシーが別の意味で、革命的に「ピアノじゃないとできない表現」をペダルとピアノに与えた様な気がする。
たしかに、ラヴェルも音の魔術師だと思うし、ペダルは不可欠な世界だし、ピアノの世界は他の追従を許さない部分があるが、ラヴェルの音世界は、そのまま管弦楽に置き換えられる「実体」を持ったもので有るような気がするし、実際作曲者自身がかなりのピアノ曲をオーケストラに編曲してるね。
しかしドビュッシーのピアノ曲はラヴェルの様には編曲されている率が小さいように思うし、なんというか、他の楽器でやるんでは、無理なんじゃないかなと思う響きがある。
一口に「印象派の音楽」とかいって、ドビュッシーとラヴェルをごっちゃにするくくりが有るけど、あれって、良くわからん。
分類しないと気がすまない輩が言っているだけで、まったく二人の音楽は「本質」が違うと思うし、音楽に於ける印象派って分かるようでなんだかわからない。教えて欲しいな、誰か。
逆に脱線しまくるけど、ドビュッシーの音楽は、ちょっと前の時代のドイツのシューマンの方がラヴェルより本質が近いように思うことがある。
ラヴェルはショパンや、はたまたバロックの音楽に似ていると思う。(爆)
もう寝ないといけないのに何を本番前に書いているのだろう。
脱線ついでに、、
ストラヴィンスキーもペトルーシュカをはじめ、大きな管弦楽曲は誰でも評価するだろし、それに異論はないのだが、あまり演奏されないすごく短い曲なんか、今回はアンコールで数曲弾こうとおもっているんだけど、これが、たまらなく愛すべき「狂気と明るさ」みたいなものがあって、練習していて思ったが、白石准が書いた“どんぐりと山猫”の中には明らかにそれの影響を感じる。
兵士の物語が幼少の頃環境音楽のようにながれていたから、音楽の原風景がそれなんだろうな。
プーランクのソナタは僕が良く弾くプーランクの作品にくらべ、どちらかというとストラヴィンスキーの影響もかなり投影されている時期、つまり少々エキセントリックなスタイルも前面に押し出ているような初期の作品で、あっという間に終わるが一応循環形式で、終楽章には、その前の一楽章と二楽章が再び顔をだす。
この曲も笑って聴く方が楽しい。なんかストラヴィンスキーにも感じるけど、西洋のちんどんやさんが来たぞ、踊るしかないだろうって感じがいいね。(爆)
タンスマンは今回取り上げられる作曲家の中ではもっとも知られていない作曲家だけど、結構教育には有効なしゃれた曲が多いことを自分は知っていて昔ピアノのレッスンで良く使った。
そのシリーズの一つが今回の4つのフーガだ。
四冊からなる連弾のシリーズなのだが、巻を追うごとに難易度は高くなる。
しかし、3巻までの曲は平易な中にとっても様々な景色の浮かぶ曲が多い。
それもそのうちとりあげてみたいが、そのなかで、一番「真面目」な曲がこのフーガだ。
バッハへのオマージュも感じるし、コンサートを始めるにはもってこいだろうな。
★2006/1/8連弾のコンサートwith小坂圭太その1 - 2006.01.07 Sat,00:00

ストラヴィンスキー以外の作品もとても個性的な作品で、色々記述したいのだけど、今回のこの記事の趣旨は、一つに絞ろう。
それは、ペトルーシュカの連弾は、はっきりいって、聴いている人に深刻に聴いてもらうよりげらげら笑ってもらいたいなあということです。
昨年の横浜の山手の洋館で、スクリアビンのソナタを弾き終わったとき、熱心な拍手の中、ピアノのすぐそばにいらした紳士が大笑いして喜んで頂きました。
そういう反応が実に嬉しいし、今日の練習で、当事者達が弾きながら笑い転げていました。
なんというかな、ストラヴィンスキーのこの曲は、二人がかりで四本の手でも足りないくらい様々なパートが錯綜しているわけです。
スコアにはオプションのパートが書いてあるところがあるんだけど手が足りなくて弾けないよ、しかもそれは、ピアノ協奏曲風であるこの作品の、よりによってピアノのパートだったりする(爆)
良く名人が独りで抜粋の編曲(作曲者自身がやったもの)をやるときは、ある意味、「すごいことを独りで弾いている」という感じに真面目にならざるをえないというか聴いていてもすごいなあと思います。決して笑い転げる雰囲気じゃない。
しかしちょっといかれたような男が二人、一台のピアノで格闘(相手とじゃなくて曲に)していると、「俺たちの頭にはオーケストラが鳴ってるんだよ、でも鍵盤が狭くて弾けねえよ、あるいは太鼓の音をピアノでどうしろっていうんだよ」みたいな、、、でも恐ろしく忙しい事を弾いている滑稽さを感じます。
実際連弾の面白さでもあり、二台ピアノより難しい手の交差故の制限はここにもあって、同じパートを二台のピアノに分けて弾いたら、楽になるところもあるだろうけど、僕は二台ピアノより連弾の方が、ある意味制限が多い。
しかしドラマ的には面白いと思う(二台ピアノは、時に暴力的にしか聞こえない)ので、手がぶつかって楽に弾けない面白さ(なんじゃそれ)を感じて頂ければ(違)良いと思います。
そのためには、この作品のオリジナルの楽器での響きを「あらかじめ知って」おいたほうが、絶対にこの無理矢理感に笑えと思います。
手が足りない、あるいは手が重なっている故に抜けている音が頭のなかで聞こえた方が面白いはずです(爆)。
ピアノは一台で色々な管弦楽曲をシミュレートすることができる希有な楽器と言えます。
しかし、音階を弾かない打楽器(ドンとかチンとか太鼓、金属グループ)の再現をピアノの鍵盤上でするのは不可能でしょう。
否応なしにドとかソとか聞こえちゃうから。
前回、もう十年近くまえかなあ、に門仲天井ホールで彼と同じ曲をやったとき、トライアングルのソロの場面、なんの打ち合わせもなく、本能的に二人は、ピアノの鍵盤の裏側の棚板を(なんで二人とも同時にやってたんだ)叩いていましたが、あれはオリジナルを知らない人は、発狂したとしか思えないでしょうし、僕らの頭の中はトライアングルのつもりだったとは分かるわけない。(爆)
今回は、思いつきで、なんと本物のトライアングルをそこだけ使いますが(誰が叩くのか当日まで秘密)、それ以外にも、場面の転換とか、太鼓の連打があちこちに重要な役回りで出てきますが、それを小坂氏がとりあえず、鍵盤でやっています。
その行為を「これは、あの場面の太鼓なんだな」と分かるのと、「あの人乱暴に暴れてるけどなにやってんの?!」と思うのじゃ雲泥の差です。
フルートのソロやトランペットのソロ、クラリネットのソロや、チューバやハープを無理矢理ピアノでやるわけですから、それは僕風には、「笑っちゃう」ことで面白がって欲しいです。
このピアノの連弾によって、ペトルーシュカという曲を生まれて初めて聴く人は気の毒です。(爆)
華麗な「ピアノ独奏版」では、全体から「どう考えてもピアノでは妙になる」ところを省いていますし、ある意味でピアノの曲だと思って聴いてもおかしくないようになっています。
オリジナルの長さで全部独りで弾いたのも聴いたことはあるけど通常は、三章という名前が付いているやつでやります。それも大変に難しいけれども、、。
今回は、バレエの稽古ピアノ(きっとそういう為に出版されているのだろうね)よろしく、全部やりますから、無理も多いけど、こんな寒い日なのに、弾き出したら汗だくになりました。(爆)
同じパッセージでもある楽器が楽に吹けるものも、ピアノではとても弾きにくくなったり、逆もありますし、そういう「無理矢理」というのが彼と連弾するときに、必ず「オリジナルがピアノではないもの」を選曲する楽しみなのです。
もちろん、もともとピアノの為に書かれた他のプログラムも、とても面白いです。
お陰様で満員札止めになっているけど、一回で終わっちゃうのはなかなか残念な相手と曲です。
★2005/12/07新日本フィル室内楽シリーズ - 2005.12.07 Wed,20:34

会場はいつもこのオーケストラが定期演奏会をやる東京のすみだトリフォニーホールではあるが、このシリーズは大ホールではなく小ホールで行われていて自分としては初めて弾くホールでもあった。
室内楽といういわばクラシック音楽のジャンルの中でももっとも地味に思われている分野ではあるけどこのシリーズはいつも売り切れているらしくそれはすばらしいことだと思いました。
しかも曲自体聞いたこともない作曲家(クルークハルト)の「葦の歌」というもので、編成も実に珍しいオーボエ(古部賢一氏)とビオラ(岩井香保里氏)とピアノだった。
もっと珍しいことは全ての楽章に詩が書いてあるのだ。
歌われることや朗読されることを想定されているわけでなくあくまで演奏者だけがイメージするためのものだ。
古部氏は僕にとっていつかオーケストラだけでなく室内楽で共演したいと何年も思っていたので彼から夏にこの話をもらったときは興奮した。
チャーミングな岩井さんとも知り合えてよかった。(^^)
演奏はなかなか楽しかったがそれとともに会場のスタインウェイピアノがまたとてつもなく良い楽器だった。
ホールの人に楽器を絶賛したら案の定かのアルヘリッチもお気に入りだそうだ。
共演者にも曲にも楽器にも魂を揺さぶられた一日でした。