両輪山龍谷寺両輪閣寺子屋音楽道場試演会2008/夏(写真付きで再投稿)
2008-08-01
7/27は僕に習っている人たちの発表会が、東京の八王子の龍谷寺というお寺でありした。
名称を「みんなの音楽会」からタイトルにあるようなものに変更しました。
ピアノが主ですが、トランペットもフルートもあったりしました。
そして、山猫合奏団としてもこのチャンスに“セロ弾きのゴーシュ”(ピアノは僕に習っている人)の曲だけの一部と、先日改訂初演した“注文の多い料理店”を試演しました。
終わったので、会場の雰囲気の写真を一枚貼り付けて、追記に、今回初めて音楽の演奏意外に造形物の出展があったので、大迫秀春君の「成る」という作品群を以下に紹介します。
なかなか躍動感のあるすばらしい作品でした。
そのエネルギーに触発されてみなさん気合いの入った演奏でした。

名称を「みんなの音楽会」からタイトルにあるようなものに変更しました。
ピアノが主ですが、トランペットもフルートもあったりしました。
そして、山猫合奏団としてもこのチャンスに“セロ弾きのゴーシュ”(ピアノは僕に習っている人)の曲だけの一部と、先日改訂初演した“注文の多い料理店”を試演しました。
終わったので、会場の雰囲気の写真を一枚貼り付けて、追記に、今回初めて音楽の演奏意外に造形物の出展があったので、大迫秀春君の「成る」という作品群を以下に紹介します。
なかなか躍動感のあるすばらしい作品でした。
そのエネルギーに触発されてみなさん気合いの入った演奏でした。

おちじゅんさん、永遠に
2008-07-29

2004年の京都市交響楽団と関西を廻ったViva Bernstein!と2007年のシエナ・ウィンドオーケストラのツアーで佐渡裕ちゃんやドラムの則武裕之さんとご一緒したジャズ・ボーカルの越智順子さんが病気でお亡くなりになったようです。
二月に大阪にベガーズ・オペラの公演で一ヶ月滞在したときにお会いしようと思っていたけれども、入院されていて叶いませんでした。
その後6月くらいに佐渡ちゃんから電話があり、容体は非常に芳しくないとの知らせがあり、二人で心を痛めていましたが、今朝の朝刊に訃報が出ていました。
ちょうど僕らが龍谷寺で試演会をしていた日でした。
今年は僕のいとこも病気で亡くなりどこか地に足がつきません。
両方とも僕が人の前でピアノを弾いている日でした。
偶然かもしれないけど両方とも弾いていてなんか自分の内面でありえない力を感じた瞬間がありました。
写真は、2004年に京都市交響楽団でリハーサル中、休憩時間に河原で二人で弁当を食い、リラックスしているときに撮ったものです。
彼女の歌は本当にすばらしかった。
偉大なジャズ・シンガーでした。
シエナとのDVD(CDには残念ながらない)に納められている越智さんのOn the TownのなかからのI can cook tooとかsome other timeは忘れられない。
しかも後者は、まさに「またいつか」ってさあ、、、
彼女の残したCDを聴くと本当に世界的な歌手だと思います。
てだこホールはすてきな響きでした
2008-05-25
この間の日曜日の福島県いわき市に続き今日は沖縄の浦添にある「てだこホール」というところに、トランペットの津堅直弘氏と訪れました。
津堅さんが沖縄タイムス社芸術選賞大賞というのを受賞したということで、そのお披露目のコンサートなのです。今日は、トランペット・ア・ラ・カルトに加えて、いくつかの小品と、沖縄で20年を超す津堅トランペット・キャンプを続けてきた20人近い仲間たちと一緒に、アイーダの凱旋行進曲をやりました。
これはかなり勇壮でした。
客席の盛り上がりもさすが「沖縄」という感じで熱く、終演後CDのサイン会では津堅さんとのCDも僕の作品のCDも持ってきたものは瞬く間に売り切れ、CDのみならずプログラムへのサイン会もすごかったです。
おかげで共演者のみなさんには一枚も余っていませんでした。
お世話になった皆様、ありがとうございました。
ウリアナさんと出会いました
2007-02-06
こと、人との出会いに関しては自分の職業柄、そして一番は運だの縁ということをことあるごとに実感することが多い人生だとは思います。2/4も、人の縁から成立した作品を発表することができ、その翌日は、やはり大学時代からの知人のトランペット奏者太田聡氏率いる喇叭会という、門下および、卒業生による発表会の手伝いをして昔から知っている若い学生達の成長に喜びを感じ、またその子達を通じて未知の人たちと知り合う幸福を酩酊の中で味わいました。
そして昨日は午後には2/4に自作を発表した会場(八王子にある両輪山龍谷寺)にて、これも大学を卒業して以来数十年ぶりに連絡してきた先輩のご紹介で、内モンゴルのご出身の美人の琴の奏者、ウリアナさんと初めてお会いし、即興でセッションをしてみました。
僕も色々なジャンルの人と共演してきた経験はそれなりに蓄積してきたとは思うし、日本のお琴との共演もあったことはあるけど、モンゴルの音楽との共演は初めてでした。
彼女と話していて、内モンゴル、外モンゴルという言葉を知りました。
彼女の国籍は中国なんだそうです。
でも外モンゴルの人(朝青龍はこっち)はきっと外モンゴルとは言わないのでしょうね。
きっとこの件に関してはいろいろ難しいことがあるのでしょう。
楽譜に書いてあるのがモンゴルの文字であって漢字でないこと、しかし龍谷寺に訪れる中国の別の琴奏者の楽器とほとんど同じ楽器(もちろん種類はたくさんあるのでしょうが)であることが大変興味深かった。
そして僕は以前からクラシックのジャンルのなかで、中国の演奏家と中国の音楽を演奏した事もそこそこあったのですが、あたりまえのことながら、僕がそれまで弾いたこと、聴いたことのある中国のそれとはウリアナさんの演奏する音階が微妙に違って、とても新鮮だったし、どこか日本の音階に近いような気がして、自分自体モンゴルの民謡はもちろん、中国の民謡も日本の民謡も韓国の民謡もなにも知らないと言って良い状態なのに、初見で合わせていて、どう音を選んだらいいかそんなに悩むこともありませんで、実に気持ちよかったです。
彼女は自分で作曲をされます。
いろんなことに挑戦をしたいらしく、ピアノをアレンジャーを探していたようです。
そしていま彼女が創ろうとしている壮大な組曲のアイデアを聴き、未完のものを含めていくつか演奏しました。
もちろんピアノのパートはまだ白紙状態でそこを僕が同化と異質なものを敢えてぶつける遊びをさせてもらうことになりました。
いうなれば昨日はそのオーディションみたいなことも兼ねていて、なかなか良い雰囲気に感じてもらえたみたいなので、近々彼女との共演も正式に実現することにはなるでしょう。
ただ、僕が今別件の作曲の真っ最中だから今すぐというわけにはいきませんでしたが、僕を長年聞き続けていらっしゃる聴衆のみなさんもまだ聴いたことのない響きをお届け出来るような希望を昨日はもてました。
音を出しているとお寺の和尚さんご夫妻やご長男も興味津々で聴きに来てくださり、もともとこのお寺では中国のご出身の中国の楽器を演奏する音楽家達が演奏に訪れることがたびたびあり、それもご縁だと喜んでくださっていました。
ウリアナさんを紹介してあるページを見つけました。
大変刺激的な数時間でしたが、それで終わらず、その晩、人のご縁の不思議さを感じる実感はまだ続きました。
ラヴ・レター
2006-05-30
97/8/9の宮崎でのTrumpetの津堅直弘さんとの演奏会の感想を送ってくれた姉妹への返信より抜粋で、97/8/11に別のページに書いたものを移植しました。
もうあれから10年近くが経っている訳だからこの少女達ももうすっかり大人になったことでしょう。元気にしてるかな。
****
麻衣&愛衣ちゃんへ
嬉しくて照れるけど、ありがとう。
そう思ってくれたのなら、その気持ちが一番うれしいです。
どうしても、ピアノを習っている間にね、「面白くない」ことはたくさんあると思います。
その理由の第一が、
ピアノって一人で弾くことが多いから、
誰かと一緒に「音楽の喜びを分かち合う」ことを経験することなくして、やめてしまう
ひとのいかに多いことか。
スポーツでいえば、一人で走るマラソンや体操競技のようなものかな。
よほど強い心のもちぬしじゃないとなかなか続かないものです。
僕も高校に行って、とても才能のある友人と出会う前までは
「喜びを他人と共有できること」ってサッカーにしか見いだせませんでした。
でもね、ブラスバンドや合唱をやっているひとは結構続けられるのは、
自分一人では音楽をできないけど、だれかといっしょに音をだすと、とてもすごいことができたりする
からその点でいいのかも知れません。
でもピアノという楽器も実はとても面白いですよ。そのうちもっと弾けるようになったら色々な楽器とアンサンブルをすると楽しいし、相手をする楽器は全ての種類があると言ってもいいでしょう。
そしてひとりごとを言いたくなったら、これも一生弾ききれないくらい曲はある。
ただそういう環境にであえるのはなかなか難しいことかも知れませんが、「自分だけでつらいこと」を受けとめないようにしましょう。
そういう意味から言うと、「なに弾いているの?」ときいたとき、黙っちゃったけど、
「いま○○という曲を弾いています、この曲好きです。」とはっきりと言えるようになるといいね。
「こんな曲やってるって下手だと思われるかなあ」とか思わないでね。
でももしかして曲目忘れてたのかな?それならしょうがない。
君たちの思ったとおり、音楽って楽しいんだけど、さらにぼくはもっと広く考えています。
ピアノを上手く弾くことももちろん自分として気持ちよくなることですが、
『友だちをたくさん作りたい』
と言うことを実現するために僕はピアノを弾いているのです。
それが一番大事なことなのだと思っています。
君たちにとって「友だち」というと、自分たちと同じ歳のひとたちのことを思い浮かべるかも知れませんが、
ぼくの友だちはね、自分の親くらい歳のはなれた音楽好きのおじさんや、
きみらくらいのこどもまでたくさんいます。
ピアノを弾いていると外国のひととも楽しくなっちゃいます。
そういうふうに友だちをたくさんつくりたいから、ホームページもつくっちゃいました。
そうすれば、麻衣ちゃんや、愛衣ちゃんのようにとてもはなれたところに住んでいる人ともメールをやりとりできるからです。
これからお友達になって下さいますか?
ぼくはフーテンの寅さん(とらさんって知ってるよね?しらなかったらパパにきいて下さい)のように全国あちこちで昨日のようなことをしています。
ときにはプロの人じゃなくきみたちのように、子供から大人まで趣味で音楽をしているひとたちともよく一緒に音楽をします。
なにが一番うれしいかというと、君たちのように、僕たちの音楽をきいて喜んでくれて、そして自分の言葉でなにか僕たちに感想を下さることなのです。
そうすると、けっこうきつかった練習なんかぜんぶ忘れてしまいます。
これ本当。これだと「一人ぼっちで音楽をしている」と思っていたことが間違えていたことに気がつくんです。
こういうことがありました。
きみたちよりたぶんもっとちいさい幼稚園くらいのころ(そうだな、君らがいま何年生か知らなかったね)に母親に、ねたきりのおじいさんやおばあさんがいる「養老院(ようろういん)」というところに連れて行かれたことがあります。
子供だから、なんのために来たのかわからないし、ふんいきもなんかくらくて、いやでした。
そして、何人かのこどもたちと、そういうお年寄りのまえで歌いました。
はっきりいってあまり楽しい気分ではなかったのですが、歌っているうちにびっくりしました。
喜んで聴いている人たちとはべつに、何人かのお年寄りが泣いているのです。
ぼくにはなんで泣いているのかわかりませんでした。歌い終わった後、母親に、ききました。
そしたら、「うれしくて泣いているのよ」といわれて二度びっくりしました。
悲しいときに涙が出ると思っていたので、うれしいのに泣いている人を見るのは初めてでした。
けっこうショックでした。
そのときですね、
『自分がなにか他人にすると、相手は自分の知らないところでなにか、感じている』ということを知ったのは。
だからね、むつかしいかもしれないけど、『自分はピアノが上手く弾けない』と思って人の前で弾くことをこわがってしまうと、昨日のようにぼくは楽しく弾けないです。
だって、ぼくなんか音楽大学にいっていないんだよ。
あの会は音楽を大学で専門に勉強した(ている)人たちの会(※東京音楽大学の宮崎県のOB主催の演奏会だった。大学でトランペットを教えている津堅さんの伴奏で出演した。)だからね。僕より上手い人はたっくさんいるから、ふと我に返るとぞっとしちゃいます。
麻衣&愛衣ちゃんが弾くと、その一生懸命なすがたに涙がでてくるひとがいるかもしれないし、麻衣&愛衣ちゃんが、とてもおいしいものを食べたときとか、面白い番組をみたら、ひとりでそれを秘密にはしないで仲のいい友だちに紹介したくなるでしょ?
ぼくがピアノを弾いているのはそういう気持ちの上に立っています。
『良い曲』や、昨日の津堅さんのように『すてきに音楽をする人』を知ると、どうしてもみんなに聴いてもらいたくなっちゃうんです。
そしてそれを聴いた人が君たちのように喜んでくれると、もっと嬉しくなってしまいます。
そういうことは身近にもいっぱいあります。
お母さんがいっしょうけんめい作ってくれた料理で、おいしいとおもったら、ちゃんと口に出して「おいしい!」ていうとお母さんは幸せになりますよ。
君たちが作ったものをパパがたべて何も言わなかったら、悲しいでしょ?
ピアノが上手くなりたかったらそういうふうに、感じたことを相手に伝えたり、自信をもって演奏することが大事です。
そのうえで、もっと良い演奏はどうしたらできるか、と言うことを考えるべきなのです。
そうじゃないと、「良い曲だな」と感じるより、「いまのは○○さんより上手」とか「下手」とかしか感じなくなり、たとえばほめられても、そういうふうに言われてたらちっとも嬉しくないですよ。
上手く弾いても面白くなかったり、逆にミスがあってもじーんと来る演奏があるのですよ。
どうしても学校に演奏しに行くと、生徒を静かに聴かせようと先生が演奏前にみんなを怒鳴りつけているのを見ることが多く、悲しくなります。
きっと聴き出したら黙る子もいるだろうにね。そして聴きながら「いいなあ」と思ったら、となりの子に「いいねえ」って言って良いんだとおもっています。
なんか長くなっちゃったけど、とてもメールをくれたのがうれしいので、興奮して書いちゃいました。
こういう仕事をしていると、一度会った人にはもう二度と会えないことが多いので、楽しいコンサートであればあるほど、不思議なことに終わると悲しくなります。
だから本当にメールありがとうね。また気が向いたらメールを下さるか、たまにホームページを見に来て下さい。
もうあれから10年近くが経っている訳だからこの少女達ももうすっかり大人になったことでしょう。元気にしてるかな。
****
麻衣&愛衣ちゃんへ
>私たち姉妹は,白石さんみたいにピアノが上手になりたいと思いました。
嬉しくて照れるけど、ありがとう。
>音楽って楽しいですね!!
そう思ってくれたのなら、その気持ちが一番うれしいです。
どうしても、ピアノを習っている間にね、「面白くない」ことはたくさんあると思います。
その理由の第一が、
ピアノって一人で弾くことが多いから、
誰かと一緒に「音楽の喜びを分かち合う」ことを経験することなくして、やめてしまう
ひとのいかに多いことか。
スポーツでいえば、一人で走るマラソンや体操競技のようなものかな。
よほど強い心のもちぬしじゃないとなかなか続かないものです。
僕も高校に行って、とても才能のある友人と出会う前までは
「喜びを他人と共有できること」ってサッカーにしか見いだせませんでした。
でもね、ブラスバンドや合唱をやっているひとは結構続けられるのは、
自分一人では音楽をできないけど、だれかといっしょに音をだすと、とてもすごいことができたりする
からその点でいいのかも知れません。
でもピアノという楽器も実はとても面白いですよ。そのうちもっと弾けるようになったら色々な楽器とアンサンブルをすると楽しいし、相手をする楽器は全ての種類があると言ってもいいでしょう。
そしてひとりごとを言いたくなったら、これも一生弾ききれないくらい曲はある。
ただそういう環境にであえるのはなかなか難しいことかも知れませんが、「自分だけでつらいこと」を受けとめないようにしましょう。
そういう意味から言うと、「なに弾いているの?」ときいたとき、黙っちゃったけど、
「いま○○という曲を弾いています、この曲好きです。」とはっきりと言えるようになるといいね。
「こんな曲やってるって下手だと思われるかなあ」とか思わないでね。
でももしかして曲目忘れてたのかな?それならしょうがない。
君たちの思ったとおり、音楽って楽しいんだけど、さらにぼくはもっと広く考えています。
ピアノを上手く弾くことももちろん自分として気持ちよくなることですが、
『友だちをたくさん作りたい』
と言うことを実現するために僕はピアノを弾いているのです。
それが一番大事なことなのだと思っています。
君たちにとって「友だち」というと、自分たちと同じ歳のひとたちのことを思い浮かべるかも知れませんが、
ぼくの友だちはね、自分の親くらい歳のはなれた音楽好きのおじさんや、
きみらくらいのこどもまでたくさんいます。
ピアノを弾いていると外国のひととも楽しくなっちゃいます。
そういうふうに友だちをたくさんつくりたいから、ホームページもつくっちゃいました。
そうすれば、麻衣ちゃんや、愛衣ちゃんのようにとてもはなれたところに住んでいる人ともメールをやりとりできるからです。
これからお友達になって下さいますか?
ぼくはフーテンの寅さん(とらさんって知ってるよね?しらなかったらパパにきいて下さい)のように全国あちこちで昨日のようなことをしています。
ときにはプロの人じゃなくきみたちのように、子供から大人まで趣味で音楽をしているひとたちともよく一緒に音楽をします。
なにが一番うれしいかというと、君たちのように、僕たちの音楽をきいて喜んでくれて、そして自分の言葉でなにか僕たちに感想を下さることなのです。
そうすると、けっこうきつかった練習なんかぜんぶ忘れてしまいます。
これ本当。これだと「一人ぼっちで音楽をしている」と思っていたことが間違えていたことに気がつくんです。
こういうことがありました。
きみたちよりたぶんもっとちいさい幼稚園くらいのころ(そうだな、君らがいま何年生か知らなかったね)に母親に、ねたきりのおじいさんやおばあさんがいる「養老院(ようろういん)」というところに連れて行かれたことがあります。
子供だから、なんのために来たのかわからないし、ふんいきもなんかくらくて、いやでした。
そして、何人かのこどもたちと、そういうお年寄りのまえで歌いました。
はっきりいってあまり楽しい気分ではなかったのですが、歌っているうちにびっくりしました。
喜んで聴いている人たちとはべつに、何人かのお年寄りが泣いているのです。
ぼくにはなんで泣いているのかわかりませんでした。歌い終わった後、母親に、ききました。
そしたら、「うれしくて泣いているのよ」といわれて二度びっくりしました。
悲しいときに涙が出ると思っていたので、うれしいのに泣いている人を見るのは初めてでした。
けっこうショックでした。
そのときですね、
『自分がなにか他人にすると、相手は自分の知らないところでなにか、感じている』ということを知ったのは。
だからね、むつかしいかもしれないけど、『自分はピアノが上手く弾けない』と思って人の前で弾くことをこわがってしまうと、昨日のようにぼくは楽しく弾けないです。
だって、ぼくなんか音楽大学にいっていないんだよ。
あの会は音楽を大学で専門に勉強した(ている)人たちの会(※東京音楽大学の宮崎県のOB主催の演奏会だった。大学でトランペットを教えている津堅さんの伴奏で出演した。)だからね。僕より上手い人はたっくさんいるから、ふと我に返るとぞっとしちゃいます。
麻衣&愛衣ちゃんが弾くと、その一生懸命なすがたに涙がでてくるひとがいるかもしれないし、麻衣&愛衣ちゃんが、とてもおいしいものを食べたときとか、面白い番組をみたら、ひとりでそれを秘密にはしないで仲のいい友だちに紹介したくなるでしょ?
ぼくがピアノを弾いているのはそういう気持ちの上に立っています。
『良い曲』や、昨日の津堅さんのように『すてきに音楽をする人』を知ると、どうしてもみんなに聴いてもらいたくなっちゃうんです。
そしてそれを聴いた人が君たちのように喜んでくれると、もっと嬉しくなってしまいます。
そういうことは身近にもいっぱいあります。
お母さんがいっしょうけんめい作ってくれた料理で、おいしいとおもったら、ちゃんと口に出して「おいしい!」ていうとお母さんは幸せになりますよ。
君たちが作ったものをパパがたべて何も言わなかったら、悲しいでしょ?
ピアノが上手くなりたかったらそういうふうに、感じたことを相手に伝えたり、自信をもって演奏することが大事です。
そのうえで、もっと良い演奏はどうしたらできるか、と言うことを考えるべきなのです。
そうじゃないと、「良い曲だな」と感じるより、「いまのは○○さんより上手」とか「下手」とかしか感じなくなり、たとえばほめられても、そういうふうに言われてたらちっとも嬉しくないですよ。
上手く弾いても面白くなかったり、逆にミスがあってもじーんと来る演奏があるのですよ。
どうしても学校に演奏しに行くと、生徒を静かに聴かせようと先生が演奏前にみんなを怒鳴りつけているのを見ることが多く、悲しくなります。
きっと聴き出したら黙る子もいるだろうにね。そして聴きながら「いいなあ」と思ったら、となりの子に「いいねえ」って言って良いんだとおもっています。
なんか長くなっちゃったけど、とてもメールをくれたのがうれしいので、興奮して書いちゃいました。
こういう仕事をしていると、一度会った人にはもう二度と会えないことが多いので、楽しいコンサートであればあるほど、不思議なことに終わると悲しくなります。
だから本当にメールありがとうね。また気が向いたらメールを下さるか、たまにホームページを見に来て下さい。
加藤新吉先生を偲ぶ会
2006-03-19
今日は珍しく「日記」風である。
午後に、久しぶりに、卒業した大学の学生食堂に行ってきた。
そこで、昨年他界した恩師であり、文学座の演出家でもあった加藤新吉先生を偲ぶ会が行われたのだ。
残念ながら自分の同級生や上級生には会えず面識のある人はごく一部だったのだが、偉大な恩師のいろんな面をスピーチから知ることが出来て、感慨深かった。
自分は彼の演出した劇の音楽を、実は学生時代ではなく、卒業してから作曲させて頂くチャンスを得て、貴重な勉強をさせて頂いたのだ。
学生時代の思い出としては、フランス語の原典購読の授業を受けたのだが、なんと僕1人しか受講生がいなかったり、多人数で受講しておつきあいするのとは違った関係にあった。
パーティの最後で自分が書いた「海抜3200メートル」という若者の芝居の劇中歌をみなさんと歌ったが、なんか作曲当時より胸に来るものがあった。
この曲を覚えている限り自分のなかに先生が生きていらっしゃると実感した。
個人的には昨年書いた“セロ弾きのゴーシュ”のなかに、先生に移植された劇の音楽を構成し直して使っている。
みんな演劇を専攻しただけあって、何人かのスピーチはすべて、とても表現力に富み、先生への愛情と面白いエピソードの数々をたくさん聞かせてもらった。
それと最初は気づかなかったが、献花する台と遺影の周りの布によるディスプレイが、実は、アルプスの山々と先生の良くお召しになっていたセーター色を思い出させてくれて何人かとその構成をした同窓生を讃えました。
さすが、演劇専攻。すべてに「表現力」を感じました。
お花の趣味も良かったし、料理もおいしかったし、何十年ぶりに会った人もいて、至福の時間でした。(名前を思い出せず失礼した人沢山いたのでごめんなさい)
何人かの後輩の男の子達が、女の子(子じゃないけど)にちゃかされていたように、僕がでぶになったと言われなかったのは凄く嬉しい(爆)。
自転車に最近乗っていることは無駄じゃない(爆)
合掌。
午後に、久しぶりに、卒業した大学の学生食堂に行ってきた。
そこで、昨年他界した恩師であり、文学座の演出家でもあった加藤新吉先生を偲ぶ会が行われたのだ。
残念ながら自分の同級生や上級生には会えず面識のある人はごく一部だったのだが、偉大な恩師のいろんな面をスピーチから知ることが出来て、感慨深かった。
自分は彼の演出した劇の音楽を、実は学生時代ではなく、卒業してから作曲させて頂くチャンスを得て、貴重な勉強をさせて頂いたのだ。
学生時代の思い出としては、フランス語の原典購読の授業を受けたのだが、なんと僕1人しか受講生がいなかったり、多人数で受講しておつきあいするのとは違った関係にあった。
パーティの最後で自分が書いた「海抜3200メートル」という若者の芝居の劇中歌をみなさんと歌ったが、なんか作曲当時より胸に来るものがあった。
この曲を覚えている限り自分のなかに先生が生きていらっしゃると実感した。
個人的には昨年書いた“セロ弾きのゴーシュ”のなかに、先生に移植された劇の音楽を構成し直して使っている。
みんな演劇を専攻しただけあって、何人かのスピーチはすべて、とても表現力に富み、先生への愛情と面白いエピソードの数々をたくさん聞かせてもらった。
それと最初は気づかなかったが、献花する台と遺影の周りの布によるディスプレイが、実は、アルプスの山々と先生の良くお召しになっていたセーター色を思い出させてくれて何人かとその構成をした同窓生を讃えました。
さすが、演劇専攻。すべてに「表現力」を感じました。
お花の趣味も良かったし、料理もおいしかったし、何十年ぶりに会った人もいて、至福の時間でした。(名前を思い出せず失礼した人沢山いたのでごめんなさい)
何人かの後輩の男の子達が、女の子(子じゃないけど)にちゃかされていたように、僕がでぶになったと言われなかったのは凄く嬉しい(爆)。
自転車に最近乗っていることは無駄じゃない(爆)
合掌。
近い親戚より遠い他人(爆)
2006-02-26
今日の投稿は妙な投稿である。
実は、自分の持っている猫ブログにかつて書いた長文を移植する際、どうもタグが上手く反映されないので、本文にもともと書いてある「脚注」をこの記事にしてみる。
故に、猫ブログをブラウズしているひとはこの記事に飛ぶし、この記事を先に見た人は猫ブログを参照しないと何の記事だか分からないだろうから、すこし手直しをしてこの記事だけでも成立するようにしてみる(爆)
金環食の日付の思い出(脚注1)
もうだいぶ前になる(1996年か97年頃)けど、いまじゃとても懇意になった近所の獣医さんの“田沼ぱぱ”のところに初めて、自分の猫を診断してもらいに持っていったところ、「年齢は?」と訊かれて困ったことがある。
眼が開く前にひろったことは確実なのだが、情けないことにそれからもう何年かはっきり憶えていなかったからだ。
家に帰り、(当時はインターネットではなく、パソコン通信の時代だった)NIFTY Serveの天文のフォーラムに行って掲示板に、猫を拾った顛末を書き、
「どなたか最後に日本で金環食があったのはいつだったのか、判れば、教えて下さい」
と質問したところ、数日後天文に詳しい人から、猫の名前の由来が愉快だといって、1987年の秋だと教えてくれた。
9/23だそうだ。(文文ぶんさんありがとうございました)
知り合いと E-mailをやりとりしたり、シェアウェアのダウンロードしかNIFTYを使っていなかった私としては初めての経験で知らない人から貴重な情報をもらえて嬉しかった。情報のやりとりのまさに妙味だと思った。
猫ブログの元記事に戻る(該当の段落には戻れませんm(_ _)m)
実は、自分の持っている猫ブログにかつて書いた長文を移植する際、どうもタグが上手く反映されないので、本文にもともと書いてある「脚注」をこの記事にしてみる。
故に、猫ブログをブラウズしているひとはこの記事に飛ぶし、この記事を先に見た人は猫ブログを参照しないと何の記事だか分からないだろうから、すこし手直しをしてこの記事だけでも成立するようにしてみる(爆)
金環食の日付の思い出(脚注1)
もうだいぶ前になる(1996年か97年頃)けど、いまじゃとても懇意になった近所の獣医さんの“田沼ぱぱ”のところに初めて、自分の猫を診断してもらいに持っていったところ、「年齢は?」と訊かれて困ったことがある。
眼が開く前にひろったことは確実なのだが、情けないことにそれからもう何年かはっきり憶えていなかったからだ。
家に帰り、(当時はインターネットではなく、パソコン通信の時代だった)NIFTY Serveの天文のフォーラムに行って掲示板に、猫を拾った顛末を書き、
「どなたか最後に日本で金環食があったのはいつだったのか、判れば、教えて下さい」
と質問したところ、数日後天文に詳しい人から、猫の名前の由来が愉快だといって、1987年の秋だと教えてくれた。
9/23だそうだ。(文文ぶんさんありがとうございました)
知り合いと E-mailをやりとりしたり、シェアウェアのダウンロードしかNIFTYを使っていなかった私としては初めての経験で知らない人から貴重な情報をもらえて嬉しかった。情報のやりとりのまさに妙味だと思った。
だいぶ前に見たが、北欧の国の女子大生が大学の研究室に、調べものをしていて残っていたのに、守衛にドアに鍵をかけられて閉じこめられた状態になり、窓もない部屋だったのか、息苦しくなったらしく、その部屋のパソコンからどこかのBBSに繋いで助けを求めたところ、海を隔てて、アメリカの少年がそれを見て、母親に頼んで警察に通報し、そこからその国に連絡が行ってあやういところを助けたと言うニュースがあった。
近くの親類より外国のパソコン少年のほうが、役に立つ時代ということだ。
猫ブログの元記事に戻る(該当の段落には戻れませんm(_ _)m)
ナム・ジュン・パイク氏の訃報
2006-01-31
ビデオアートの先駆者、ナム・ジュン・パイク(白 南準)氏の訃報が新聞に載っていてショックです。
輝かしい経歴には出ることは無いけど、実は彼は僕の父に若い頃作曲を習いに来ていた縁があり、その後ヨーロッパやアメリカで活動されていたが日本に来るたびに時間があると家に来てくれてとても優しくしてもらった記憶があります。
しかし風貌からも言動からもああいう「天才肌」の人にはなかなか出会えるものではないです。
レッスンに来ていた後、右足は自分の靴、左足は父の靴を履いて帰り、駅まで行ったところで気づいて戻って来たとか、母親から聞かされたこともあるし、彼の送ってきた実にアーティスティック(ある意味とても子供の絵のような)な年賀状とか、思い出は尽きません。
60年代だったと思うけど、青山の草月会館でピアノを破壊するパフォーマンスを見たときの衝撃は凄かった。
小学生のころだったのだけど、もちろん会場で子供は俺くらいなものだったのだけど(爆)後ろで見ている親とは離れて、子供らしく「前で観たい」という気持ちで最前列で観ていたが、だんだん行為が激しくなりピアノ(たぶんもう商品価値のかなりなくなった縦型ピアノを持ち込んだのであって、会場の楽器ではないよもちろん(爆))をのこぎりや大きなハンマーで破壊する音に恐れをなして、親のいる方に向かった直後、ピアノが僕のいたあたりの客席に落下していた様な記憶がある。(爆)
すごい時代だったな、60年代。
今じゃ絶対にありえない。
その行為(楽器を壊すなんて!)を道徳的・倫理的にどうこう言うべきではなく、彼の名前と仕事をネットで検索すれば、如何に面白い発想でいろんなことをしてきたか理解出来るであろう。
仕事相手、ではない関係だったせいもあるだろうけど、その過激な行動とは裏腹に、お話しすると、極めて優しいおじさまでした。
前にこのブログで、「誰もやっていないこと」をするということは目立つ反面、それを評価するのに比較するものがないから、ちょっとうさんくさいことも少なくはない、みたいなことを書いた記憶があるが、彼のやってきたことも、それに対する妨害や批判のなかで負けることなく、一貫してやり続け、確実にパイオニアとして歴史に爪痕を残したわけだから、これからは歴史上の人物として、まるでコクトーやサティ、デュシャン、ケージたちのように、「時代を超えた価値感を創造し、ジャンルのボーダーを超え、その独自の世界観」が芸術のあり方にとって決して無視して通り過ぎることの出来ない1人として語り継がれていくのだろう。
彼の名前を知らないひとは名前で検索したり、フルクサス(検索すると、ジョン・レノンと結婚する前のオノ・ヨーコさんもヒットするよ)とかでいろいろ彼のやってきたことを俯瞰出来ます。
彼のやっていたことと僕がやっていることは何一つ共通するものはないが、ものすごく明晰な頭脳と、子供の心のまま大人になったような彼の「存在」は僕の意識化の奧に、一つの規範として、影響を与えてくれた「近しいおじさん」としてずっとあったし、これからも「迷うことなく続けていれば何かが生まれる」ことのよりどころになるだろう。
そういえば、高校か大学のころ、これからの人生の選択にまだはっきりしたものが見えなかった頃、優しい眼で色々助言をくれたことを思い出す。
破壊行為の先に何もない、というのではなく、硬直した世界観をリセットして、その行為の結果、とても面白いものが芽を吹くという、真に「創造的なアヴァンギャルド」を実践している芸術家に子供の頃に出会ってしまったから、単に奇をてらっているような、前衛芸術を標榜するパフォーマーには、ちょっとやそっとでは心が動かない。
本当の即興とかそういう類のものは、相当綿密な思索や計画の元に成り立っていると思うのです。
冥福は僕が祈らなくても大丈夫(意味不明)だとは思うけど、もう一度会いたかったなあ、パクおじさん。
現場でどういう人だったかは、偶然みつけたこのページにあったりします。
このページの彼の書いた「絵」みたいなものと似たようなタッチの「年賀状」がたしか実家にあったなあ。なつかしい。
輝かしい経歴には出ることは無いけど、実は彼は僕の父に若い頃作曲を習いに来ていた縁があり、その後ヨーロッパやアメリカで活動されていたが日本に来るたびに時間があると家に来てくれてとても優しくしてもらった記憶があります。
しかし風貌からも言動からもああいう「天才肌」の人にはなかなか出会えるものではないです。
レッスンに来ていた後、右足は自分の靴、左足は父の靴を履いて帰り、駅まで行ったところで気づいて戻って来たとか、母親から聞かされたこともあるし、彼の送ってきた実にアーティスティック(ある意味とても子供の絵のような)な年賀状とか、思い出は尽きません。
60年代だったと思うけど、青山の草月会館でピアノを破壊するパフォーマンスを見たときの衝撃は凄かった。
小学生のころだったのだけど、もちろん会場で子供は俺くらいなものだったのだけど(爆)後ろで見ている親とは離れて、子供らしく「前で観たい」という気持ちで最前列で観ていたが、だんだん行為が激しくなりピアノ(たぶんもう商品価値のかなりなくなった縦型ピアノを持ち込んだのであって、会場の楽器ではないよもちろん(爆))をのこぎりや大きなハンマーで破壊する音に恐れをなして、親のいる方に向かった直後、ピアノが僕のいたあたりの客席に落下していた様な記憶がある。(爆)
すごい時代だったな、60年代。
今じゃ絶対にありえない。
その行為(楽器を壊すなんて!)を道徳的・倫理的にどうこう言うべきではなく、彼の名前と仕事をネットで検索すれば、如何に面白い発想でいろんなことをしてきたか理解出来るであろう。
仕事相手、ではない関係だったせいもあるだろうけど、その過激な行動とは裏腹に、お話しすると、極めて優しいおじさまでした。
前にこのブログで、「誰もやっていないこと」をするということは目立つ反面、それを評価するのに比較するものがないから、ちょっとうさんくさいことも少なくはない、みたいなことを書いた記憶があるが、彼のやってきたことも、それに対する妨害や批判のなかで負けることなく、一貫してやり続け、確実にパイオニアとして歴史に爪痕を残したわけだから、これからは歴史上の人物として、まるでコクトーやサティ、デュシャン、ケージたちのように、「時代を超えた価値感を創造し、ジャンルのボーダーを超え、その独自の世界観」が芸術のあり方にとって決して無視して通り過ぎることの出来ない1人として語り継がれていくのだろう。
彼の名前を知らないひとは名前で検索したり、フルクサス(検索すると、ジョン・レノンと結婚する前のオノ・ヨーコさんもヒットするよ)とかでいろいろ彼のやってきたことを俯瞰出来ます。
彼のやっていたことと僕がやっていることは何一つ共通するものはないが、ものすごく明晰な頭脳と、子供の心のまま大人になったような彼の「存在」は僕の意識化の奧に、一つの規範として、影響を与えてくれた「近しいおじさん」としてずっとあったし、これからも「迷うことなく続けていれば何かが生まれる」ことのよりどころになるだろう。
そういえば、高校か大学のころ、これからの人生の選択にまだはっきりしたものが見えなかった頃、優しい眼で色々助言をくれたことを思い出す。
破壊行為の先に何もない、というのではなく、硬直した世界観をリセットして、その行為の結果、とても面白いものが芽を吹くという、真に「創造的なアヴァンギャルド」を実践している芸術家に子供の頃に出会ってしまったから、単に奇をてらっているような、前衛芸術を標榜するパフォーマーには、ちょっとやそっとでは心が動かない。
本当の即興とかそういう類のものは、相当綿密な思索や計画の元に成り立っていると思うのです。
冥福は僕が祈らなくても大丈夫(意味不明)だとは思うけど、もう一度会いたかったなあ、パクおじさん。
現場でどういう人だったかは、偶然みつけたこのページにあったりします。
このページの彼の書いた「絵」みたいなものと似たようなタッチの「年賀状」がたしか実家にあったなあ。なつかしい。
京都の最後の晩
2006-01-24
偶然ですが、関西の演奏家たちのちゅーばっか@チューバさんやゆーこ@オルガニストさんやぱつら@トランペットさんと、京都の森田ピアノの演奏会の後、山科で最初に入ったお店は入り口が席の数ほどはないにせよどこからでも入れる店(謎)で出るときも全員違う場所からでました。
そうだ、ホームページのあり方もこれでいいのだと思いました。
開設当初なら表紙のカウンターがとても気になっていました。
だから他のページに直行しないで表紙を通って来て欲しいと思ったけどそれは検索エンジンが充実した今望んでも不可能なことで、こうやってブログをやり始めたら(しかも自分は今のところ三つもやってるし)なおさらです。
色々なキーワードを通じて自分のページにいろんな人がいらっしゃるようになったわけです。
だから入り口はどこでも良い訳です。
飲み屋の話に戻ります。(何故?)
赤提灯があって引き戸を開けてみたらなんというかすぐにスツールがあってカウンタがすぐありました。
つまり座ると背中が戸に当たるので、「店の中を歩くことが不可能」な希有な店でした。
ゆえに客の出入りは各々の背中の引き戸を開けてそれを実行するのです。
そこが寒かったからか僕はすっかり体調を崩し、いつもの泥酔状態にはちっともなれず、高速バスまではまだ数時間合ったので二軒目に行きましたがなんと湯豆腐しか食べられませんでした。
お腹が壊れていたのは良い(わけがない)のですが、店に入って初めてトイレに向かうときに前触れもなく歩きながら、それまでの思い出を普通は質量のない言葉とか歓声として口から表現するのに、なぜか質量のある物体が引力に逆らって逆上してくるのを感じました。
それは酒を飲んで気持ち悪いというより、完全に体がイカレてこみ上げてくる種のものでした。
でもそのときは、実にやばそうな、まるで詰まった排水溝のような音を(うおぉ)食道からフォルテで歩きながら咆吼させ、ちょっと通り道の客はこっちを振り返ったくらいのインパクトがあり、僕の演奏のように熱いものがのど元まで押し寄せてきたものを感じましたが、ここ20年くらいは入り口から一方通行を逆送する物体を出したことはないぞ、と体内警察(なんだそれ)の検問は、僕を社会的抹殺に追い込まず、無事にトイレにたどり着かせてくれて、ウェストポーチとベルトを緩めたら一気にその高揚感(使用法が違うとおもう、この言葉)は収まり、まああの、観客を振り向かせるようなすばらしいガス抜き(違)が功を奏したとしかおもえませんが、その分、口はその場で友人に電話しながら(おい!)下半身からすばらしいカタルシスがありました。
なんてことを書いて居るんだろう。
まあいいや俺のブログだ。
普段めったに体調不良の事は書くのは趣味ではないのですがもう止められません。(爆)
でも京都にいる間は絶好調で、毎日自転車にのって鴨川沿いを走っていたことはこの数日前の記事を見れば分かるとおりでその日の演奏中も普段通りというか、演奏は緊張したけど、ネガティヴな緊張ではなく当たり前の緊張というか、本当に精神的にも調子が悪い日は演奏直後から胃けいれんみたいなのが起きるわけで、そういう兆候もまるでなかったからびっくりです。
気持ちとしては、消化器系統がその機能を放棄した感じ(昔は良く年末にこういう症状で高熱を出し寝込んだものでした)で、体全体が演奏して昂揚するのとは正反対の不快感で熱っぽくなってきたけど、関西のミュージシャンたちと実に沢山、音楽のこと楽器のこと演奏の技術のこと、その日演奏したモンポウのことプーランクのことについて、これは字義通り熱っぽく語り合えたので、脳は喜んでいました。
咳もクシャミも鼻水も出てないから風邪と言うより、疲労と寒さが突然消化器に来たかなって感じです。
でも調子が悪かったから、他人の話をあれでも良く聴いていた(爆)と思うし、僕を上回る情熱の持ち主ぱつら氏が居たから、自分で喋らなくても話題が停まることはなかったし、僕の様々な内面をずばずば指摘され面白くてしょうがなかったです。
他の二人も実に個性的な世界観をお持ちの方ですから、話が弾みいつも僕と東京で飲んでいる皆さんにもこの会話は聞かせてあげたかった。
つ、つまり、僕にも酒席で音楽論を語る時があるんだということを、、、(汗)
帰りのバスは眠れず苦労したけど家に着いてずっと寝てたから今はほとんど快復しました。
そうだ、ホームページのあり方もこれでいいのだと思いました。
開設当初なら表紙のカウンターがとても気になっていました。
だから他のページに直行しないで表紙を通って来て欲しいと思ったけどそれは検索エンジンが充実した今望んでも不可能なことで、こうやってブログをやり始めたら(しかも自分は今のところ三つもやってるし)なおさらです。
色々なキーワードを通じて自分のページにいろんな人がいらっしゃるようになったわけです。
だから入り口はどこでも良い訳です。
飲み屋の話に戻ります。(何故?)
赤提灯があって引き戸を開けてみたらなんというかすぐにスツールがあってカウンタがすぐありました。
つまり座ると背中が戸に当たるので、「店の中を歩くことが不可能」な希有な店でした。
ゆえに客の出入りは各々の背中の引き戸を開けてそれを実行するのです。
そこが寒かったからか僕はすっかり体調を崩し、いつもの泥酔状態にはちっともなれず、高速バスまではまだ数時間合ったので二軒目に行きましたがなんと湯豆腐しか食べられませんでした。
お腹が壊れていたのは良い(わけがない)のですが、店に入って初めてトイレに向かうときに前触れもなく歩きながら、それまでの思い出を普通は質量のない言葉とか歓声として口から表現するのに、なぜか質量のある物体が引力に逆らって逆上してくるのを感じました。
それは酒を飲んで気持ち悪いというより、完全に体がイカレてこみ上げてくる種のものでした。
でもそのときは、実にやばそうな、まるで詰まった排水溝のような音を(うおぉ)食道からフォルテで歩きながら咆吼させ、ちょっと通り道の客はこっちを振り返ったくらいのインパクトがあり、
なんてことを書いて居るんだろう。
まあいいや俺のブログだ。
普段めったに体調不良の事は書くのは趣味ではないのですがもう止められません。(爆)
でも京都にいる間は絶好調で、毎日自転車にのって鴨川沿いを走っていたことはこの数日前の記事を見れば分かるとおりでその日の演奏中も普段通りというか、演奏は緊張したけど、ネガティヴな緊張ではなく当たり前の緊張というか、本当に精神的にも調子が悪い日は演奏直後から胃けいれんみたいなのが起きるわけで、そういう兆候もまるでなかったからびっくりです。
気持ちとしては、消化器系統がその機能を放棄した感じ(昔は良く年末にこういう症状で高熱を出し寝込んだものでした)で、体全体が演奏して昂揚するのとは正反対の不快感で熱っぽくなってきたけど、関西のミュージシャンたちと実に沢山、音楽のこと楽器のこと演奏の技術のこと、その日演奏したモンポウのことプーランクのことについて、これは字義通り熱っぽく語り合えたので、脳は喜んでいました。
咳もクシャミも鼻水も出てないから風邪と言うより、疲労と寒さが突然消化器に来たかなって感じです。
でも調子が悪かったから、他人の話をあれでも良く聴いていた(爆)と思うし、僕を上回る情熱の持ち主ぱつら氏が居たから、自分で喋らなくても話題が停まることはなかったし、僕の様々な内面をずばずば指摘され面白くてしょうがなかったです。
他の二人も実に個性的な世界観をお持ちの方ですから、話が弾みいつも僕と東京で飲んでいる皆さんにもこの会話は聞かせてあげたかった。
つ、つまり、僕にも酒席で音楽論を語る時があるんだということを、、、(汗)
帰りのバスは眠れず苦労したけど家に着いてずっと寝てたから今はほとんど快復しました。

★10月に幕を開ける

