祈ると言う事 - 2013.02.03 Sun,20:46
昭和の番犬@親父の遺した写真から9 - 2013.01.11 Fri,09:18
こんなに近くで撮れた蒸気機関車の動輪のクランク@親父の遺した写真から8 - 2013.01.07 Mon,00:26
こんな至近距離でD51を撮れたのどかな時代@親父の遺した写真から7 - 2012.12.24 Mon,00:42
今じゃ怒られちゃうね。
撮り鉄少年白石准の少年時代の、線路を触りながらSLが近づく事を実感していた昭和40年代前半の長閑な思い出です。(のどかを長閑と書くのはたまに見かけるけど書こうと思うと思い出せない(爆))
隣の「D51が近づいている写真」と同じ時に撮っているから、それと全然縦と横の比率が違うから、撮った親父がトリミングしていたのでしょうね。今じゃ怒られちゃうけど、こんなに側でSLを撮っても怒られない時代がありました。
普通にジーンズを穿いているけど、個人的にはこの日は冬で、一緒に行った親父が、僕が半ズボンで行こうとすると、こうしろと言ったのを覚えています。
子供からすると、長ズボンを穿くのは周りの友達もみんな半ズボンで居たのでちょっと照れちゃうから嫌がった事を思い出します。
今でもローカル線で撮っている人達は同じ事を思われているのでしょうが、時に一時間以上そこで待ち続けていたはずだから、一瞬にして通り過ぎた後というのは、なんとも空しい気持ちになったものです。
かつてはこんな事も撮り鉄少年にさせてもらえるほどのどかな時代だった(爆)@親父の遺した写真から6 - 2012.12.10 Mon,14:48
昭和42〜44年頃の八高線の踏切にてD51が通ってる図@親父の遺した写真から5 - 2012.12.04 Tue,01:24
SLが現役で走っていた事も懐かしいけど、踏切に遮断機がなかったことに驚きだね(爆)
しかも、そこにへばりついて撮って居る少年はたぶん、小学五年か六年の僕です(爆)
僕はかつて、八高線限定の(爆)蒸気機関車の撮り鉄だったんです(爆)
現在でもこの路線は単線ですから、その点だけはこの写真の40数年前と変わってないということでしょうね。
僕が右側に写っているということは、父が撮った写真です。
これはフィルムからではなく、現像された印画紙からスキャンしました。
製造番号(かな)207番のD51が来ています。
実家を探して見つけた蒸気機関車の写真は撮った回数からすると凄く少なかったのが残念。
しかしその中でも、様々な製造番号の蒸気機関車の写真があったので(八高線のみ)記事にする度にその番号も書いておく事にします。
こっちの写真もこの時期に撮られたものですが、それは僕が撮りました。
左右の指の位置が完璧におかしいぞ(爆)@親父の遺した写真から4 - 2012.12.03 Mon,12:39

しかし、この方向で持つなら、右手でカメラを支えて、人差し指はシャッターに置いてあるべきだと思うし、左手でピントを合わせるべきなのだが、どうしてこういう構え方をしていたんだろう(爆)。
左手でピントを上手く合わせられなくて、業を煮やし右手を使ったとしか考えられない(爆)
というか、この滅茶苦茶な持ち方を面白がって撮ったのだろうか、、、
それと蝶ネクタイ(爆)なんかしちゃってさ。
もしかして、ワイシャツ着てるし、ピアノの発表会の日だったのかな、しかし今と同じだ、曲に集中しなければいけないのにカメラに夢中になっている。(終演後か、、)
俺は本格的には二年前にカメラに目覚めたと散々書いてきたが、もうこの時病気にはなっていたのですな(爆)
数十年の潜伏期間の後、また発症したというわけだ。
そのうち出すが、蒸気機関車の先頭に「記念運転の看板」なんか着いてない、本当に現役だった頃のSL撮りに行っていた訳だから、、、
あ、このネクタイまだタンスの中にあるのをこないだ見た記憶があるぞ(爆)
しかも、大人と子供とペアで二個。
臙脂(えんじってこう書くのか)色だった。
またレンジファインダー・カメラ欲しくなった(爆)
白猫と少女@親父の遺した写真より3 - 2012.12.02 Sun,18:30
親父の写真の趣味は、基本的に「写真には人間がどこかに入ってないと駄目だ」という主義だったので、一個目に出した静物画風はかなり例外に近いし、この猫の写真も猫が主役では亡く、きっと、猫と居る子供というのが主題なのだと思う。
だから、猫blogに出しこの猫ちゃんが親父と対峙している写真はかなり例外中の例外の写真だと思います。
「ねえ、猫ちゃん、仲良くしようよ。」

白猫逃げる。

ビルの壁面@親父の遺した写真から2 - 2012.12.02 Sun,13:28
静物@親父の遺した写真から1 - 2012.12.02 Sun,10:09
親父は筋金入りのアマチュア・カメラマンでした。
勿論、デジタルカメラの時代ではなかったので、多くはモノクロ写真で、フィルムの現像も自分でしていました。
晩年は、なんか部品を掛け合わせて自分でカメラのボディーまで作っていた(爆)僕とは全く違う(爆)、手先の器用な人でした。
実家にある家具の多くも自作だったり、電機の知識もあったので、家電もほとんど自分で修理をする人でした。
僕はカメラに凝りだしてまだ二年ですが、母親は遺伝だ、と言い張ります。
僕がここまでカメラに嵌まることがわかっていたら、さまざまなな遺産を捨てずにいたのに、とは言われますが、それはしょうが無い(爆)
で、昨日実家に立ち寄って帰ろうとしたけど、凄い睡魔に襲われ、そのまま寝てしまったので、朝、たまたま雑談の延長線上で、昔の写真をみていたら、そうだ、これらの写真やフィルムをscanすればcategoryが一つ作れると思い、やってみることにしました。
蛇腹のカメラもあるのだけど、まったく何をどうすればいいか判らないので、まだフィルムには走りませんが(爆)、最近NIKON-D5100では中古の手動でピントや絞りを設定するレンズに嵌まり始めているので危険度は上がっているとは思いますが、、、、
膨大な写真(もちろん、僕が生まれた頃から彼が死ぬまでのものが残っているが、)を掘り起こすこと自体大変だし、現像された紙の写真のほとんどを母親は処分してしまったが、ネガはかなり残っているし、もしかして増えてこのblogの容量を超えてしまったら、独立してつくるかもしれないが(爆)、とりあえず、記念の一枚がこれだ。
彼の作曲した遺産が音になることより、こっちの「作品」を世に出す方が気軽にできる(爆)
写真はいつものようにclickすると大きく見られます。
ちなみに画面上に黒光りしているのは、縦型ピアノの脚です。