男同士肩を組む - 2013.07.11 Thu,10:50
対話 - 2013.07.11 Thu,10:47
ちびっ子エイトマン! - 2013.04.18 Thu,02:09
子供の背中、建造物、西日、それを見る大人、、、 - 2012.12.17 Mon,13:01
寒いから夏の写真を - 2012.12.15 Sat,19:10
この日の陽の暮れた後の写真はこの記事で公開しています。
その数時間前、昼間の写真です。
現在この場所は、きっとスケートリンクになっているはずです。
今度行って撮ってみよう。
海のそばの場所(この左にたぶん、50mも行けば海です。)であるけど、この港は砂浜のあるタイプではないから、子供たちは大喜び。


修学旅行の記念撮影 - 2012.11.25 Sun,22:55
沖縄にて。
何時までもこの時の屈託の無い笑顔を忘れないように、、、
まるで、写真右端の路傍の草まで盛り上がっているようにさえ見える(爆)

親子の情愛 - 2012.11.01 Thu,09:25
子供が転んで泣いていました。
お母さんが走り寄ってきて、、
たぶん幼き日の、母だけが覚えている「日常」。
写真をclickして頂いてその先で一番大きくすると、驚くほど二人の表情が鮮明に判ります。
子供たちのみが聴いた「特別な音」 - 2012.11.01 Thu,07:02
もちろん、そこで聴く音が「商品」になっているわけですが、その日のConcertのトークでも触れたとおり、実はホールの前後、左右、またサントリーホールの様に演奏者の後ろに席がある場合とか、二階席以上がある場合はなおさら、上下で聞こえている音がだいぶ違います。
響きの良い大きなホールの場合は、楽器から離れている方が余計な雑音が聞こえないから美しいという事も確かにあります。
しかし、近くじゃ無いと聞こえない音もあるのです。
そういう音をこういう小さい空間の時には味わって貰えたらと思い、かつて牛窓シーサイドホールで演奏した時に、「ピアノのそばで聴いて下さい」とやったことがありました。
(今じゃ時間が経ったのでwebsiteの新聞社の記事はなくなっちゃったけど、そのときの情景を岡山のローカル記事として二つの新聞社が大々的に報道してもらったほどです。)
一昨日も、呼びかけたのですが、牛窓では、多くの大人達が面白がって来て下さいましたが、横浜の山手の西洋館では大人の聴衆の皆さんは照れちゃって(爆)どなたも動こうとはしませんでした。
大人達にも特殊な体験をして頂きたかったのですけどね、、、、残念でした。

だから、ここに何のてらいもなく来てくれた子供三人はある意味「極上の音」を他のすべての人が聴くことの出来ないレヴェルで聴いたのです。
振り返っている子供の表情が実に嬉しそうで、母親に向かって、「そこで聴いている音とは違うよ」と言っているようです。
他の子達は没頭して聴いています。
って、よく考えたら嘘だな、この段落の記述は事実と反している。
これから聴く段階だ、俺はまだ弾いてない(爆)。
実は、この位置で聞こえる音というのは、他の聴衆のみならず、たぶん演奏者が自分で聴いている音より綺麗な音です(爆)
演奏家が聞こえない音を彼らは味わう事になるのです。
それぞれの表情が実に可愛い。
もし弾いた後もああいう顔や姿をさせることが出来ていたとしたら、音楽をする側からすると、自分の仕事に誇りを持ち、何とも言えない凄く嬉しい気持ちになるのです。
自分が上手く弾けたとかじゃなくて、他人をああいう顔にさせるというのが我々の仕事なのだと思います。
自分が弾いている時には見ることが出来なかったこういう子供たちの表情をこうやって撮って頂くと再確認できて本当に幸せです。
終わった後、三人とは握手をして別れました。
これらの写真は客席に居た児玉さんのお知り合いの橋本さんという方が撮って下さいました。
(少々トリミングなどをさせて頂いていますが。)
感謝です。
ところで、なんで僕は前方を指さしているのだろう、全く覚えてない(爆)
二曲目は首を突っ込んでもらいました。
三曲目は好きなところで聴いて良いよと言うと、確かほとんど全員下に潜っていましたね。

営業中のダース・ベイダーさん、、 - 2012.10.20 Sat,16:54
Darth Vaderさんは、子供に大人気(爆)
東京の郊外、多摩川のちょっとだけ都内寄りにある、小田急線の喜多見駅前にいらっしゃいました。
今日は山猫合奏団のFM番組の収録と明日から移動する宮崎公演の為のリハーサルでした。
終了して帰ろうと駅に向かったらみんなに囲まれていました。
フォースを使って子供やお母さん達をはね飛ばすこと無く、宇宙征服の夢は、身近な営業から、資金を貯めるところから始まっているようでした。
この地道な活動を見て僕は感銘を受けました(爆)
テキ屋さんが居ないのはちょっと寂しいが、、(文章を付加して再投稿) - 2012.09.08 Sat,10:24
動物や景色、花などを主に撮っていて、人間を撮ることが極端に少ないこのblogですが、久々の「子供ネタ」です。
眼の前で起きているリアルタイムな情景なのに郷愁を感じるのはなぜだろう。やっぱりここにはデジタル的な要素がないからかな。
僕の子供時代と違うとすれば、右の人が背後に底知れぬ闇が見えるいかついテキ屋のおじさんではなく、見るからに善良そうなおばさんだということでしょうか(爆)

子供心に、夜歩き回る(今じゃ終電にも子供が乗っていたりするが)事が許されなかった時代、唯一許されたのが、お祭りの時だった。
そして、何時も通学路で見慣れているはずの神社の境内が、灯りのなかで、ばりばりに「非日常感」を漂わせているのだが、境内の横にある脇道に行くと、漆黒の闇なのだ。
そう、最近都内で仕事をして、夜遅いと橋本に帰るのがおっくうになって、年取った母親も心配だし良く実家に停まっちゃっているのだ。今朝も実家から更新している。
僕は実家のそばにある「東京のへそ」といわれる杉並区の大宮八幡宮のそばで育った(大宮幼稚園に行ってた(爆))から、あそこは都内だったけど昭和30年代は実に自然が豊かだったのです。
だから、ちょっと脇道に行ってその闇の中に入ると、やっぱり日常の夜で、喧噪も遠くなり、言い様のない不安に感じちゃうのに、境内に戻ると昼間の様に明るくなっていて、いろんな屋台が出ていることに、再びすごくテンションも上がっていた記憶があります。
子供心としては屈折していたかもしれないけど、明るい境内に居ただけでは感じないものが脇道の闇を見てから戻ると、なんか違ったのです。
そう、だいぶ思い出してきた、脇道にそれると、虫の鳴き声が喧噪より大きく聞こえていたんだ。
で、お祭りに戻ると、虫の存在なんか忘れるような世界に戻るから、やっぱり日常と非日常のギャップを、闇と灯りだけでなく、耳で感じていたのだと思います。
音楽をやるうえで、もともと沈黙という宇宙があって、そこに音がぽつんぽつんと存在して居るという基本概念みたいなものを意識したのはこういうお祭りだったのかも知れません。
だから、音楽をする(演奏でも作曲でも)とき、ポジの部分の音を出すということが行動のすべての様に思いますが、その裏にある、無限の沈黙が横たわっているというネガの部分は僕にとって大事という以前の問題かな。
昨日の様に、自分の部屋とか、ヘッドフォーンとかではなく、大きなホールの静かな空間の中で鳴っているorchestraの最弱音の中に包まれていると、スピーカーから日常空間の中で音楽を聴いているのとは別世界でしょう。
その原風景が僕にとってはお祭りの縁日だったのです。
話はどんどんものすごくそれるけど、昨日弾いたドビュッシーの「夜の香り」とか、ピアノ曲の「版画」の二曲目の「グラナダの夕べ 」に於ける、「夜っぽい音楽」の空気感の原風景は、ドビュッシーの意図していたものとは全く違うものであろうけど、たぶん僕にとっては、このお祭りの時の闇と灯りのcontrastだと思います。
たまたま、グラナダには一度旅行に行ったことがあって、その時、夜歩き回っているときには頭の中に版画の二曲目が流れまくっては居たけど(爆)、まさに昨日また別の「夜の香りの音楽」を弾いたあと、もう一度この記事の写真を見ていたら、実に個人的な思い出が蘇ってきたんです。
灯りに照らされた屋台のあちこちに、子供を相手にはしているけど、にこりともしないちょっと怖いおじさんが居て、大人達には、「悪い事をすると連れ去られるよ」とまでジョークを言われていたのですが(爆)、そのおじさんたちを普段近所では見かけない人たちだったので、そのオーラの奥にある、子供には理解不能な闇みたいなものや、同じ場所に住んでいないのだろうな、というなんか、そのころからジプシー的なものにあこがれていたのか、すごく金魚すくいや綿菓子、林檎飴など、あの灯りの中に存在して居るものはすべて子供向けなのに、テキ屋のおじさん達の雰囲気、普段幼稚園や小学校の先生達の”ウェルカム感”の無い感じに、怖さと共にあこがれを感じていました。
だから、この写真のおばさんの何とも言えない子供に歩み出しているオーラはほのぼのとして良いのだけど、かつてのそこにあった、独特の雰囲気とは違和感があるのです(爆)
ちなみに、この写真は、大宮八幡とは関係なく、先月大阪の四天王寺で撮りました。
写真は各々clickすると大きく見ることができます。
さあ、夏休みだ@Discover神奈川県相模原市 - 2012.08.01 Wed,17:14
滝の主 - 2012.05.01 Tue,22:45

わざわざ危ない所に行きたがる。
でもみんな女の子だ(爆)

そして、滝の主になる。

独立独歩 - 2012.03.09 Fri,15:55

誰か居るのと居ないのでは絵の意味が変わる - 2012.01.11 Wed,20:10
私は姉だからあなたより背がこんなに高いのよ - 2011.11.28 Mon,19:39
