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こんなに近くで撮れた蒸気機関車の動輪のクランク@親父の遺した写真から8 - 2013.01.07 Mon,00:26
ピントの合い方とか構図とか。
でもこれはホームから降りて地面レヴェルで撮ってますね。
そんなに望遠レンズを持って居たとは記憶に無いので、やっぱり近づいたのでしょう。
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D51が来た!@昭和40年代初頭の八高線 - 2012.12.28 Fri,15:54
至近距離で撮っているのは同じだけどね。
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こんな至近距離でD51を撮れたのどかな時代@親父の遺した写真から7 - 2012.12.24 Mon,00:42
今じゃ怒られちゃうね。
撮り鉄少年白石准の少年時代の、線路を触りながらSLが近づく事を実感していた昭和40年代前半の長閑な思い出です。(のどかを長閑と書くのはたまに見かけるけど書こうと思うと思い出せない(爆))
隣の「D51が近づいている写真」と同じ時に撮っているから、それと全然縦と横の比率が違うから、撮った親父がトリミングしていたのでしょうね。今じゃ怒られちゃうけど、こんなに側でSLを撮っても怒られない時代がありました。
普通にジーンズを穿いているけど、個人的にはこの日は冬で、一緒に行った親父が、僕が半ズボンで行こうとすると、こうしろと言ったのを覚えています。
子供からすると、長ズボンを穿くのは周りの友達もみんな半ズボンで居たのでちょっと照れちゃうから嫌がった事を思い出します。
今でもローカル線で撮っている人達は同じ事を思われているのでしょうが、時に一時間以上そこで待ち続けていたはずだから、一瞬にして通り過ぎた後というのは、なんとも空しい気持ちになったものです。
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謎のSL型式番号@昭和40年代初頭だと思われますが、、 - 2012.12.17 Mon,11:33
しかし、子供の頃に撮ったと思われる、このSLの写真、型番を見ると、
59674としか書いてありません。動輪は四つあるやに見えますが、どなたか蒸気機関車に詳しく、この件についてご存じの方に教えて頂ければと思います。
子供時代、昭和40年代初頭だと思われる蒸気機関車を撮った写真はいくつか残っていますが、作業している人間が写っているのは希なのでこれは僕のコレクションからすると貴重です。
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C58の立ち上る黒煙(昭和40年代初頭) - 2012.12.16 Sun,01:11
踏切を通る「現役」のD51の写真や、八王子駅で、D51の運転席に乗せて貰った時の写真の「SL写真シリーズ」の続きです。
このSLは自分が小学生の頃撮ったものなのか、一緒に行った亡くなった親父が撮ったものものかはっきりわからないけど、黒煙が後ろに行ってないということは、停車中のものに違いないから、ホームの上から撮っているとするならば、子供の視点の高さくらいな気がするから自分が撮った様な気がします。
機関車全体を撮らずに黒煙が立ち上っているのを縦に切り取って撮ったことを評価したい(爆)
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かつてはこんな事も撮り鉄少年にさせてもらえるほどのどかな時代だった(爆)@親父の遺した写真から6 - 2012.12.10 Mon,14:48
今じゃ考えられない行為だけど、待てよ、これ誰が撮ったんだ?
親父と行ったとしか考えられないな。カメラ二台持って行って機関士さんに撮って貰ったはずはないけど、機関士さん運転席に見当たらないけど良いのか(爆)
でも石炭を入れる場所とか、説明して貰った記憶があるのだけど。
とにかく熱い(暑いじゃない)記憶が今でも皮膚感覚に残っています。
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昭和42〜44年頃の八高線の踏切にてD51が通ってる図@親父の遺した写真から5 - 2012.12.04 Tue,01:24
SLが現役で走っていた事も懐かしいけど、踏切に遮断機がなかったことに驚きだね(爆)
しかも、そこにへばりついて撮って居る少年はたぶん、小学五年か六年の僕です(爆)
僕はかつて、八高線限定の(爆)蒸気機関車の撮り鉄だったんです(爆)
現在でもこの路線は単線ですから、その点だけはこの写真の40数年前と変わってないということでしょうね。
僕が右側に写っているということは、父が撮った写真です。
これはフィルムからではなく、現像された印画紙からスキャンしました。
製造番号(かな)207番のD51が来ています。
実家を探して見つけた蒸気機関車の写真は撮った回数からすると凄く少なかったのが残念。
しかしその中でも、様々な製造番号の蒸気機関車の写真があったので(八高線のみ)記事にする度にその番号も書いておく事にします。
こっちの写真もこの時期に撮られたものですが、それは僕が撮りました。
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左右の指の位置が完璧におかしいぞ(爆)@親父の遺した写真から4 - 2012.12.03 Mon,12:39

しかし、この方向で持つなら、右手でカメラを支えて、人差し指はシャッターに置いてあるべきだと思うし、左手でピントを合わせるべきなのだが、どうしてこういう構え方をしていたんだろう(爆)。
左手でピントを上手く合わせられなくて、業を煮やし右手を使ったとしか考えられない(爆)
というか、この滅茶苦茶な持ち方を面白がって撮ったのだろうか、、、
それと蝶ネクタイ(爆)なんかしちゃってさ。
もしかして、ワイシャツ着てるし、ピアノの発表会の日だったのかな、しかし今と同じだ、曲に集中しなければいけないのにカメラに夢中になっている。(終演後か、、)
俺は本格的には二年前にカメラに目覚めたと散々書いてきたが、もうこの時病気にはなっていたのですな(爆)
数十年の潜伏期間の後、また発症したというわけだ。
そのうち出すが、蒸気機関車の先頭に「記念運転の看板」なんか着いてない、本当に現役だった頃のSL撮りに行っていた訳だから、、、
あ、このネクタイまだタンスの中にあるのをこないだ見た記憶があるぞ(爆)
しかも、大人と子供とペアで二個。
臙脂(えんじってこう書くのか)色だった。
またレンジファインダー・カメラ欲しくなった(爆)
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白猫と少女@親父の遺した写真より3 - 2012.12.02 Sun,18:30
親父の写真の趣味は、基本的に「写真には人間がどこかに入ってないと駄目だ」という主義だったので、一個目に出した静物画風はかなり例外に近いし、この猫の写真も猫が主役では亡く、きっと、猫と居る子供というのが主題なのだと思う。
だから、猫blogに出しこの猫ちゃんが親父と対峙している写真はかなり例外中の例外の写真だと思います。
「ねえ、猫ちゃん、仲良くしようよ。」

白猫逃げる。

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蒸気機関車が「毎日」走っていた僕の少年時代@東京だぜ - 2010.03.06 Sat,22:39
自分が当時住んでいたところは東京の杉並区だったのだけど、井の頭線で吉祥寺まで出て、そこから国鉄(当時)の中央線に乗って八王子まで行き、そこが始発駅のローカルな単線の八高線に走っていた貨物列車はまだSLだった(写真の通り架線がないだろう。当時は電化されてなかったので客車はディーゼルカーだった)ので、それを日曜日になると父親(写真が趣味でした)とか友達とかと行って撮していた。
最近、加熱した「撮り鉄」が特別な車両が記念運行する際、線路内に立ち入って列車を停めてしまうという事件が相次いでいるけど、当時はのどかなもので、特に、単線(今でもね)だったこの路線は時代ものどかだったし、柵もなく自由に立ち入れたし、良い写真をとる場所を見つけるために良く線路の中を歩いたものです(爆)
歩くと、蛇とか蛙が列車にひき殺されているのを見たりした。しかも、西部劇の真似というか、線路に頭を乗せて横になったりしたよ。(列車が来ると線路を通じて「カタッカタッ」って音が聞こえてくるから危険に思うことはなかった。
だいたい、一時間に数本しか通ってなかったからね。
もちろん、立ち小便にうんこは野糞。
この写真は、たぶん、拝島という駅から発車した直後を撮したものです。
(推定昭和40年半ば)
アングルから良く見えないけど、たぶん、
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