
この写真がぶれているのは地震のせいではなく、なんかものすごく慌てて鳩が飛んだのをみて反射的に撮ったのです。
人を見て逃げるという感じではなく、それに釣られて思わずシャッターを切りましたがもちろんピントは合いませんでした。
この時点で鳥は何かを感じたのでしょうか。
この時点で14:47半くらいです。カメラの時計はさっき確認したら、10秒も狂ってなかったのでもうすでに現地では大変なことになっていたはずです。

ピンぼけだったから今度はちゃんと撮そうとしたのがこれ。
僕が地震に遭遇した場所は、この先建物が見える手前、縁石が切れているところを左に入ったところでした。
この時点で、14:48直前。
でも体には何も感じてなかった神奈川県相模原市の最北部地点です。

これからとんでもないことが起こるとははつゆほども知らず、白石准は再び右を見て、広場にいるおじさんを主題に、手前の梅と旨く写真にならないか苦労していました。
この場所は春はこんな感じです。
今思えば、ばっかりだけど、よく話に聞く「地震雲」って出てたのかな、空をもっと見上げてみれば良かった。
こっちはどんよりさっきみたいに曇ってるね、やっぱり。
14:48過ぎ。
前にこういう木をここで撮したときは、見るからに寒そうな感じに写っていたけど、今日はなんか葉っぱはないのに光の加減で暖かい感じがすると思って撮していました。
本当は
こういう空の下でもう一回こういう光線で撮りたいなとかいろいろ思ってました。
14:48半くらい。

公園に着いたときからギターと歌声が大きく聞こえてきていて、彼を撮しに3枚前の写真に写っているところの左に曲がりました。
14:49直前、ついにカタストロフの始まりです。

これを撮った直後から凄い揺れが地面から伝わってきて、まるで両足が別々の木の上に乗っていて、水面で揺れている様な感じの実感でした。
地面が完全に波打っている、おお、そうだ、動画で揺れているところを撮ってやろうと思ったのですが、そのうち立っていられなくなってそばの岩に腰掛けたほどだから、無理でした。
その瞬間空はとても晴れていて、前述の様に梅が咲き乱れ、余りに平和でのどかな風景の中で恐ろしいことが起きていることへのギャップを感じながら、しかも、しばらくの間はあの弾き語りのミュージシャン君は地震に気づかず歌い続けていましたから、すごく超現実的な、もしかしたら俺の脳がなんかおかしくなって平衡感覚を失ったかなと思ったくらいです。
でもなんか地鳴りみたいなのが聞こえました。
きっと家の中は様々な音がしていて猫は相当怯えたと思います。
この写真の記録から、時刻は14:49過ぎ。
ニュースで見る発生時刻からほぼ3分遅れで相模原は大きく揺れていました。
考えたらその振動の伝播速度たるやすごいスピードですね。音速を超えているのじゃないでしょうか。
素人考えですが、たぶんどんなに速い戦闘機でも、三分で仙台の方から相模原まで飛んでくることは不可能ですよね。
でも公園の中に居た人からは悲鳴などは聞こえませんでしたし、みんなきっとこういう時は何が起きているのか冷静に判断するまでちょっと時間がかかるし、とにかく地震が収まるまではじっとしてないとと思ったのでしょうね、僕も。
まあ上からものが落ちてくるような場所にいなかったので(きっと震源地だったら僕が腰掛けた岩が動いて大変だったかも知れません。)最初は呑気に「あ、地震だ」くらいだったのですが、地割れが出来そうなくらい揺れて、しかも体感的には相当長い間揺れてましたね、だから尋常じゃないことが起きているし、どう考えてもこの大きさは、震源地が東北だなんてこの時点で想像もしませんでした。
ついに東海沖地震、あるいは関東大震災の再来が来たとは思ってましたが、、。

すぐに車に戻り、家がどうなっているかと走り始めましたら、最初の信号がもう既に停電で消えていました。
この時点は14:53すぎでしたが、ここを通り過ぎるとき、日本人は本当に譲り合いの精神があってすばらしいと思いました。(この信号は写真のとおりこの時は車はほとんどいなかったけど他の場所で)
僕の家の周りのある方向は工場団地になっていて、会社も多いのですが、すべての建物から人々が外に出て避難していました。
それをみてやっぱりただ事ではないのだと思い、家路を急ぎましたが、建物が倒壊している景色を見かけないので、まあ木造は分からないがそんなに酷いことにはなってないだろうと思いながら家に着きました。
周りから火も出てないしやっぱり人々は出ているけど家に入ると
でぶの虎猫も、
スリムな雉猫も、なんか呆然としていて困っていたのですが、とりあえず怪我はしてなさそうだし、そのほかの安全を確認したら、一匹足りません。
一番社交性のない、
懐かない黒猫なんですが、二階のベランダのサッシが不自然に猫が一匹通れる位空いていて、一番非力な雌猫が開けられるはずはないのに、雨戸まで数センチ動いてる。
部屋のあちこちで呼びかけても気配がない。
結局今朝になって収納の奥底に潜んでいるのを発見しましたが、夜中窓は開けて置いてもし外に二階から飛び降りて脱出したとしても帰れるようにはしておきましたから、外から帰ってきたのか、ずっと息を潜めて隠れて居たか(きっと後者だと信じたいが)分かりません。
まあ全部無事でしたが、部屋の中は、ブラウン管テレビが転がっていてそれに伴いカップが数個割れた以外はいくつかものが落ちてましたが仕事に損害がでる種の破壊はありませんでした。
ただ、停電していたのでガスはプロパンでお湯を沸かせましたが、ガス・ストーブもお風呂も、トリガーに電気が必要なので沸かせませんでした。(ガスストーブにマッチを入れて着けるなんて馬鹿なことは一瞬考えたけど、きっと爆発しそうだからやめました(爆))
外出用にemobileのWiFi端末を持って居るので、それとMacbookなどでTwitterなどで安否確認をしたりしていましたが、外の緊急放送によると(なんでスピーカーの電源が入っていたのか良く分からんが、緊急時にそこが生きているということは大事なことだと思いました)発電所が停止しているので復旧の見込みがわからない、みたいなことを言っていたので、いつまで続くか分からないので携帯も端末も早々に落として19時頃から寝ちゃいました。
おかげで、実に久しぶりに11時間位寝て起きておそるおそるブレーカーを入れたら6時頃には通電していることが分かり、初めてテレビで恐ろしい惨状を目にすることができました。
人影がビルの屋上に写っているのは、そりゃ犠牲になっている人がいるから手放しで喜べはしないけど、救助すれば済むことなのでほっとする景色にはなりますが、街全体が津波に襲われ、まるで水田の様に家の土台だけ残ってその辺すべて持って行かれていて人影がまったくない景色には、身の毛がよだちました。
風呂などに水をためておくこと、
ご飯を炊くこと(けっこう炊いてあったからそのまま)、そして
停電時にはブレーカーを落とすこと、ガス管が歪んでいるかもしれないので、
都市ガスの人も元栓を閉めた方が良いらしいけど、というのは、阪神、中越大震災を経験した方々のアドバイスでそれは、Twitterから頂きました。
電話もmailも麻痺している中、これが唯一(きっとfacebookもだろうが、そっちには行かなかった)僕が孤立しないで済んだ手段です。
まあ電気に依存している割合が確実に20~30年前より確実に多いから、楽譜をワープロの様に、コンピュータで10数年前からしている作曲もできなくなっちゃったし、石油ストーブも今は使ってないのでこういうとき、エネルギー源は複数確保していた方が良いのかも知れないと思いました。
オール電化の家で、停電になったらと思うと、やっぱりあれは良くないと思いました。
まあ今日の夕方電力の供給が間に合わなくなって、節電をこちらがわで心がける必要があるし、もしかしたらまた停電になるかもしれないので、情報端末の充電はいまからしておこうと思います。
風呂も沸かしておいた方が良いが、風邪引くくらいなら、今日も入らなくていいかな。女じゃないし明日でかけないことになったから、、電気さえ落ちなきゃ、作曲は続けたいが、数分ごとに保存した方がよさそうだな、いつ落ちるか分からないから。
そういうときバッテリーがあるMacbookだと良いか、、、でも小さい画面で譜面を見るのは老眼にとっては辛い(爆)
まあ長々と書きましたが、もっと酷い状態になっている人たちが東北には多いので、救助を待っている人には一刻も早く救援隊が到着することを望みます。
でも、首相の視察はしょうがないのかも知れないが、不要なマスコミのヘリコプターは、がれきの下の人の救助の声や音が聞こえなくなるので本当に病めて欲しいよね。
白石准の地方、および外国の知り合いの方々、僕は全然平気で、昨夜はたっぷり飯を食えない分、今朝の血糖値はそんなに高くなかったから返って健康になりました(爆)し、良く眠れました。
朝は3度だったけど、東北や北海道の人たちに比べたらなんでもないです。