教えて貰わないことを実践する勇気が大事かな - 2012.12.22 Sat,22:18
そうでないと、話の流れがわからないからです。
CDとして録音した、元NHK交響楽団のトランペットの津堅さんと録音したものの中のアルチュニアンのトランペット協奏曲についての話です。
実はこのアルチュニアンの協奏曲、終楽章(って全部繋がっているから譜面上は別れてないけどやる人はわかる)の間奏の僕の独奏部分に仕掛を僕(実は僕だけがやってることだとは思えないが)が施していて、ごくたまに学生さんから「あそこはああいう風に鳴らすのは不可能なはずなのですが、どうやって弾いているんですか」と質問が来る箇所がある。
答えは「これは勿論ピアノの曲では無く、オーケストラが原曲なので僕はそれを忠実に『裏技』、あるいは『秘技』を使って再現しようとした」と答えます。
これじゃピアノを弾かない人には何だか判らないよね。
でも良いです。
そういうことなんです(爆)
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知らない間にウェディング用のCDに僕らの演奏が載ってた(爆) - 2012.12.22 Sat,22:06
今日、数ヶ月に一辺来る、Trumpetの津堅さんと入れたCD
一枚目、http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry-613.html
二枚目、http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry-688.html
の「夢の印税通知書」をトイレ中に見ていたら(爆)、録音した覚えのない、CDのtitleがあった。
それが、クラシック音楽でハッピーウェディング。
きっと、末尾の「。」はわざと付けたのでしょうね、最近の流行で。
iTunesで探してみると、以下の様なVarious Artistsのアルバムに、上記の1枚目のCDのなかからTrumpet tuneがその中に入って居たのだ。(上のテキストリンクも、以下のアルバムのアイコンもclickするとiTunesのサイトに飛びます。ついでに言えばこれを聴いたことが無い、僕の事を写真家だと思い、音楽家だと思いもしなかった人達は試聴できます。)
しかも、津堅さんとの録音、発売当時はCDだけだったけど、今は二枚のCDともiTunesに配信されていて、驚くことに、印税は、ハッピー・ウェディングの方が多いのだ(万歳)
要は売り方だね。
確かに各々のCDは、Trumpetが好きとか津堅さんが好きな人が買うけど、ウェディングの方がそういう事に全く関係ない人達が、もしかしたら結婚式場の人が買った可能性だってあるわけです。
もしかしたら今日からの連休、日本全国の僕の知らないどこかの結婚式で流れて居るかも知れません(爆)
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個性とオーソドックスの微妙な反映、ゲザ・アンダが好きです - 2012.12.22 Sat,17:44

奇抜なのが個性だとは限らないし、じゃあ、反面、オーソドックスは、何もしない事とは同義じゃ無いと言うこと。
これ、結構はき違えている人が多いと思う。
Classic音楽に限って述べると、理想はとても新鮮に他とは違う様に個性的に聞こえて、そして、譜面を見ると、凄く当たり前の事をしている事に気づく演奏だね。
誤解される可能性があるから、書く(猫の顔とどういう関係があるのだ、という事では無い(爆)、もともと猫と内容とは関連性は無いのだ)けど、
モーツァルトを弾くのに大事な事は何かって良く問われるんだけど - 2012.12.07 Fri,00:35
twitterをやってたころなら、省略すればあっさりそのまま書けそうな内容です(爆)が、そのうちじっくり加筆するかも知れませんし、このままほったらかすかも知れません。
Mozartを弾くのに大事な事は何かって良く問われるんだけど、その答えは決まって「音の粒を揃えること」と答える人が居る。
じゃあ、そう答える人に訊くが、BachやBeethoven、ChopinやDebussy、Ravelは粒が揃わなくても良いのか、と言いたい。
そう答える人やその答えに首を縦に振る人は、「音の粒が揃っていさえすらばMozartの様式にふさわしい」と考える。
なぜか、Beethovenにくらべたら、感情を出さないように弾くのがMozartだと。
じゃあ、Mozartに感情がなかったのか?
何も起きないのがMozartの音楽か?
僕はそれには大いに反論したいと常々思っています。
天の邪鬼白石准だから言うのでは無く、時に、MozartはBeethovenよりDionysus的な高揚感と興奮を持って居るし、逆を言えば、Beethovenの音楽にある優しさ、包容力の方が、よりApollo的な「体温」を感じる時だってある。
MozartのApollo的な部分、BeethovenのDionysus的部分を否定するわけじゃ無いけど、こと、Mozartに関しての「何もしない」のがMozartという妙な「常識」方が嫌い。
それと、「子供の弾くMozartは最高だ」という「判ったような言い方」にも文句はあるよ。
たしかに、邪心のたくさん入った大人の演奏より、真っ白い良さを感じることもあるけど、「子供は大人の経験がないから、大人の振りをできない(天才は真似を出来たりはする)が、大人の演奏の中には子供の頃から成長してないのではなく、子供の心を忘れないような純粋さを携え、そして大人じゃ無ければ感じられない機微まで表現できる演奏がある。」と僕は思っているので、子供のMozartが良かったりするのは、下手とか上手いとかじゃなく、頑張っている子供だからなだけで、(勿論上手な子供は沢山居るけど)大人が子供と同じ事をしたって、誰も面白くないからだ。
で、大体の大人は理屈だったり照れだったり、自分の技術と格闘することのみに専心するから、音楽に喜びを感じる前に技術の事ばかり考えて弾くから面白くないのだ。
だから、大人のすばらしいMozartの方が遙かに子供より面白い。
大体二楽章的なゆっくりした曲は子供に弾かせない先生が大いのが判るだろう。
子供には無理な領域もあるだからだ。
素人の人には訳解らないよね、これ。
音符がころころ動く速い一楽章や三楽章の方がゆっくりした二楽章より難しいと思っている。
だけど難しさの質がちがうんだよね。
自分で書いたことを否定するようだが(爆)、子供の頃にやらせるのは無理だというのも本当はおかしいとは思う。
それは、その大多数の先生も二楽章について何も判ってないから。
その面白さを子供に伝える事が出来たら、二楽章をすっとばして弾かせるなんて馬鹿な事もないはず。
今日の所の結論は(爆)、Mozartを面白がって弾く、というより、Mozartはどう弾いたら良いか、って会話ばかり聞くけど、それはおかしいって事。
だから、答えを求める質問をする。
正しい答えがあって、それで納得して次の瞬間Mozartの最善の演奏が出来ると思っている所が変だ。
それは、Mozartだけの問題じゃないだろうと思う。
深い理論に裏付けられた演奏は大事だけど、理屈の前に感じなければいけないことの方が本当は多いと思いますよ。
つまり、「どう生きたら幸せになりますか」という問いを持つことは大事な事だけど、それをお坊さんや牧師さんに訊いたってその答えですぐ世界が変わって見える事は、時にあるのかもしれないけど、やっぱり自分で見つけて答えを出さないといけない問題で、それは、客観的な真実というよりは、まず主観的なものだと思うのです。
だって、幸せにはいろんな形があるように、Mozartにもいろんな形があるはずだから。
それよりも、この問題を解決するのに答えが一つしかないと考える事の方が余りに恐ろしい。
ねえ、仏様。
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職人の仕事@調律師新井吉一 - 2012.11.24 Sat,12:27
そういう人達が居ないと、音楽会も芝居も成り立たない。
特に、Piano弾きにとって最も重要なスタッフが、調律師という存在だ。
「今日の演奏を褒められたとするならば、半分以上、この人のお陰。」という実感を持つ職人技を持った調律師にステージやスタジオで出会ったとき時は本当に幸せになる。
ピアノ弾きは特殊な例外を除き、演奏会場に自分の楽器を持っていけない。
演奏が成功するためには、最上の楽器と、究極の職人技を持つ調律師、そして、その楽器を響かせる最良の空間、そして、最良の楽曲、そして、演奏する技術とインスピレーションが必要である。
幸運な事に、僕は何人ものすご技の調律師に全国各地で出会う運に恵まれてきた。
その思い出だけでも、いくつも記事が書けてしまうくらいだ。
その中でも、家のPianoや、演奏会場でがPiano弾きとして最も長くおつきあいしているのが、この記事の写真に出ている、新井吉一氏だ。
若い頃は、ウィーンのベーゼンドルファー(Bösendorfer)社に学び、幾多のconcertで内外の名ピアニストとの仕事を経てきた人だ。
たぶん僕はこの人とは、20代後半から今に至るまで30年近い付き合いがある。

上下の写真は、調律するときに最も必要な道具だけど、この道具は、なんと持つところがカーボン製でとても軽い。
この人の何が一番すごいかというと、昔から、「対価に見合った時間で仕事をする」という発想がないことだ(爆)
まあ職人という事からすると、限られた時間の中で仕事をするというのがまず第一に評価されるべき事も間違いでは無いだろう。
実際、彼が演奏会でチューニングをするときは、その枠で仕事をしてきたわけだが、僕の家だけにとどまらず、訪れた家で仕事をするときは、時に半日以上も納得するまで仕事をしてしまって、まあ状況に寄ってはとても「うざがられてしまう」ことは否めない(爆)
もう今はそんな事はない事だけど、付き合いが長いからこんな例外的な事も昔あった事に、昼間に来て作業していたのに終わったのは深夜1時近くだったことだってある(爆)
しかし、仕上がった楽器は素晴らしい状態になる。
調律師というのは、音楽家以上に一匹狼であり、皆さんも知っておいた方がいいが、ある調律師の前で別の調律師の賞賛などは、もってのほかである(爆)
僕は調律師が他の調律師を評価する言葉を発するのは聞いたことがない。
(この新井氏は結構他の人の技術を褒めているがたぶん例外的だ。)
演奏家には穏やかに接してくれる調律師ではあるが、そりゃ同業者には牙をむくくらいの対抗心を感じることも多々あります。
考えたらもっと僕の最も大事な「共演者達」の写真を撮っておくべきだったと思います。
偉大な調律師のお陰でどれだけ楽しんで弾けたかという思い出の数は指で数えられるものではないからです。
僕の主催のconcertでは、特に知り合いと言って良い調律師にやって貰った時には、programmeに必ず調律師の名前を記述します。
誰の目にも留まらないかも知れないし、僕が口頭でもしかしてそこにまだいらっしゃる調律師を紹介しても調律師は困惑するだけでそんなつもりで仕事をしているわけではないとおっしゃるでしょうが、つい、先日の録音の時にも、やっぱり録音の間中隣の部屋で控えて下さった調律師のおかげで僕が二日間ずっと気持ちよく弾けているわけだから、やっぱり少なくとも僕は常に調律師には最大の尊敬と感謝を持って仕事をしていきたいと思います。
それと、この新井氏、実は筋金入りのアマチュア・カメラマンで、LEICA(もちろんフィルム専門)遣いなのです。
あと、驚くべき事にこの人は白石准というPiano弾きの影のプロデューサーだった時期もあります。
彼が紹介してくれた演奏場所は夥しい数にのぼり、元イ・ムジチのコンサートマスター、アゴスティーニ氏と引き合わせたのもイ・ムジチのチェンバロの調律をしていた彼でした。
ちなみに、アゴスティーニ氏もカメラマニアなのです。(僕と練習しているときは、一回弾くとカメラをいじりながらそれについて喋るのが15分、そして思い出したようにまた弾くという連続でした(爆))
すばらしい調律師には何人も出会ってきましたが、「持続的に」仕事の斡旋までしてくれた調律師は彼をおいてほかにいません。img height=
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明日、新作の小品の初演を含む“セロ弾きのゴーシュ”の公演があります - 2012.11.16 Fri,11:28

“セロ弾きのゴーシュ”も楽しみだけど、あっという間に終わってしまうがそっちが今とても楽しみだ。
写真はこのサイトのJokeの様式で作ったが、ワインの瓶をよく見ると、「シャトー・ゴーシュ」と書いてあって、メーカー名が、Ensemble Wild Catとなっている(爆)
あと、2005年というのにもこだわったが、それは作曲された年なのだ。
明日のconcertの情報はこっちの記事にあるが、有り難いことに満席となったようです。
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ドビュッシーの管弦楽のための「映像」は、今まで感じたことの無い感覚の中で終わりました - 2012.09.07 Fri,23:59
下の写真は、開演直前の玄関の様子です。
前にも出した、以下の写真の噴水の向こうからこっち側を撮りました。
何と書けば良いか判らないのですが、今まで長年orchestraの中でCelestaは弾いて来たんです。
でも、今日は何か根本的に違う世界に居た気がします。
それは自分が成長したとか言う問題もわずかの割合で感じ方に影響を及ぼしているのかも知れないけど、どう書こうかな、、、
チャイコフスキーの「金平糖の踊り」がこの世でCelestaという楽器のために書かれた最初の作品であることは周知の事実なんだけど、それとか、ホルストの惑星の中の印象的なCelestaなんかは、「ピアノを弾く延長線上にある世界観」と書けば良いのかな、、、。
Celestaは今までも何度も書いてきたけど、そういう意味でピアノを弾くということと繋がっている楽器でもあるが、orchestra全体の音色のパレットの中で、特にドビュッシーやラヴェルの書いた音の中に於ける役割は、あるときは、光だったり、あるときは水滴だったり、波のしぶきだったり、そこに、「演奏者の名人芸が反映する世界」とでも言おうか、そういうものとは全く無縁の、「色の要素」に過ぎない「素材」であることが良くある。
そういう事も知った上で、でも、今日は今までとは違う感覚に包まれていた。
違うというのは、この直前の段落で書いた「素材」ということを否定するという意味じゃ無くて、その先に見えたものを感じたとでも言おうか。
たしかに金平糖の踊りや、惑星、そして最近では、映画「ハリー・ポッター」の「ヘドヴィックのテーマ」のソロ部分を弾いている喜びは何度でも味わいたいと思うが、そこには、書いた通り「Solo」としてorchestraの中で抜きんでた瞬間を楽しんでいるところがある。
しかし今日弾いたドビュッシーの音は、こんなにも繊細な全体の中で溶解するCelestaの音を聴いたことがあるか、と思うほど弾いていてぞくぞくしたということです。
曲が終わるのがもったいないという感覚です。
これはピアノを弾いている時に味わう喜びではありません。
この曲をピアノに編曲されたものを弾いても味わうことはできません。
弦楽器、管楽器、打楽器、ハープの全体が混ざった「空気」の中にチェレスタの音が、ハーブの様に隠し味として入っていることの充実感なんです。
あるいは、演奏されている全体の音が、クリスタルのコップにつがれた水で、とっても響きの良いモスクみたいなところで、一滴の水が上から垂らされて「ぽちゃん」と音がする、それがチェレスタなんです、というたとえがいいかなあ。
「俺が」弾いているという事はどうでも良い。
そこには自己主張とかいう世界もない。
ただ、最高に透明な、人に寄ったら全く聞こえてないかもしれない小さなチェレスタの音の中に、しかしながら、これが無いとこの曲の全体が崩れるというか、それはチェレスタだけじゃなく、他のすべての楽器の有り様もそうだから、最後指揮者のアルミンク氏がすべて独奏的な部分を弾いた人を立たせたのには意味があったわけでしょう。
こんなに良い曲なのに、なぜこんなに演奏されないのか実に残念です。
ドビュッシーという男の頭の中に鳴っていた音というのは、視覚、触覚、味覚、嗅覚まで含んでいる様な、単純な音じゃない、音なんだよね。
残念ながら今日は空席も見える満員とは言えない状態だったけど、今日の演奏は相当ご機嫌だったはず。
この曲なら毎週演奏会があっても良いよって感じだ。
穿った書き方をするならば、「牧神の午後への前奏曲」をピアノ弾きが聴いていて、あの夢の様な、そして絵で言えば、光と影の描き方のグラデーションが凄い世界に対して、編成にピアノがないから、自分がそこに参加できないジェラシーを感じていたものが、同じような世界に今度はチェレスタで彷徨うことが出来た喜びとでも書こうか。
こういう世界に居ると、なんてピアノってデリカシーの無い楽器だろうと思ってしまったりもする(爆)
もちろん、またピアノに戻れば、「ピアノしか出来ない世界」に酔うことになるのは判った上で書いているのだが。
子供の頃からラヴェルはすぐに好きになったが、ドビュッシーとフォーレは興味を持ったのが、二十代半ばで、本当に好きになったのはどうだろう、二十代後半からだけど、今日で、その「好き」という強さはこれまでの10倍は強くなった様な気がする。

上の写真は今日の練習の始まる前のものです。
今日はまるで初めてorchestraで弾いたとか、初めてCelestaを弾いた、とかの感動を持って帰る事ができました。
ふと思うと、最近光や色について、毎日写真を撮ることに執心していることと、こういう風に今まで聞こえなかった様に音楽が聞こえてくる様になった事には、思い込みだと言われそうだけど、絶対に関係があると思っています。
でも思うな。この感覚って、きっとヤマハやシードマイヤーのCelestaでは味わえないだろうと言う事。
楽器としては一番不完全に出来てるこのMustelだからこそのドビュッシーなんだよね。
チャイコフスキーと同時代に生きていたわけだから、彼にとってもこの楽器は最新兵器だったわけだ。
この楽器に巡り会えてラヴェルもドビュッシーもその管弦楽曲にスパイスが利いたわけだ。

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大作曲家の発想を疑うことの重要さ - 2006.03.14 Tue,11:34
普段ほとんど音楽雑誌を買わないのだが、先般オーケストラのリハーサルの時に、自分の出番までちょっと待たされていたので練習所に置いてあった雑誌をめくっていたら彼が書いた曲の分析の記事を目にすることとなった。
トークも面白い彼の文章だから面白くない訳はないのだが、その分析方法、それ自体は音楽を少し専門的に知っている人からすると難しく書いてないのだけど、とっても共感したアプローチがあった。
シューベルトのイ長調のソナタの一楽章についてだったのだけど、彼は、シューベルトの発想したメロディーが如何にユニークなものか、「普通ならこういっちゃうだろう」という仮説に基づいて「常識的な」メロディー(池辺氏の本気の創造物ではないよ、もちろん)を作ってみて「比較」をして説明されている。
それを比べたら明らかにシューベルトの「意外性」がすばらしいことが分かるのだ。
メロディーを見て単純に素敵だなと思うことは大事だけど、もしかしたら「他の可能性があったか」と考えながら音楽をする(おもに練習中だけど)ということも大事だと思います。
すごく幼稚な書き方をすれば最初は台詞に「好き」と書いたかも知れないけど、「嫌い」と書き直したことによって変わる状況、それは文法的に反対の意味になったのではなく言葉として伝わる意味が、より強調されたり、演出面で言えばそれを面と向かって言わせるのと後ろを向いて言わせる違い、それを大声で言うのかそうでないのかで状況はいろいろ変わってくるでしょう。
なぞることしかできない人、こう書くと才能の問題に言及しているようで本意ではなく、なぞることしか考えようとしないひと、と書こうかな、そういう人は、それが如何にすばらしい発想であることより、「そう書いてあるからそう弾いただけ」で終わるのだ。
前述のように芝居で言う棒読みというやつだ。
常日頃、レッスンをしていて、作曲家がしくんだ「罠」について、ほとんどの人が「驚くことさえしてない」状態をみうけ、どうしてこんなに面白く書いてあるのにこの人達は「驚きを伴ってここを弾く」ことをしないのだろうとおもっていた。
そして良く言ってみるのだけど、「一度簡単な曲を作曲してみれば?」と薦めるけど、実践してくれる人は皆無(爆)
なぜそういう事が必要だと思うかという、もっとも良いたとえが、女性が美容院に行ったのに、その変化に誰も気づかないと腹をたてることと同じだからだ。
曲のある箇所のすばらしさ、特に「普通なら単純に解決するだろう」というところを「裏切って」脇道にそれるような転調があったとする。
もしかしたら最初の発想は違ったかも知れないが、この「転調」、あるいはこの「進行」が如何にかっちょいいか、理解するのは自分で書いてみた方が、「気づいてもらったとき」の嬉しい気持ちを持つことができると思うのになあ。
料理の隠し味みたいなものだ。
このメロディーが面白いのはこう出来ているからだという「物の見方」を持ち合わせるには、美容院に行くこと、つまりシステムそのものを疑うこと、つまり、音符をなぞるのではなく、それを自分で並べてみる発想、あるいは前後関係からその表情が求めている物を推理するというものが大事なんだろうなと思うのです。
といいながら、女性の髪の毛は美容院に行ったあとも前もわからないんだけど(爆)、なるべく譜面の機微を読み取るようには鋭意努力して観察しているのです。(汗)
あ、女性についてわからないのは、譜面ほどじっと見つめてないからだ。
だってじろじろみたら怒られそうで怖いし。
まあ髪の毛なんかより綺麗な脚を観る方が人生楽しいから(爆)
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★2005/9/16,17#390新日本フィルハーモニー定期演奏会@トリフォニーホール - 2005.09.15 Thu,20:31

クルターク:『シュテファンの墓碑』(日本初演)※
マーラーR.シュトラウス:交響曲第2番ハ短調『復活』
自分は、※の作品のピアノを弾く。
写真で分かるとおり(ホルン練習をしている人がいるけどこれは休憩中に練習されているだけで、この作品でここで吹くひとはいない。クリックすると少し大きな写真で見ることが出来る。)、この曲の編成はステージ上に独奏ギターと鍵盤とハープと打楽器、そして客席後方と客席には見えない位置から弦楽器と管楽器、及び笛とスライドリコーダーという珍しい編成である。
鍵盤楽器の中には鍵盤ではないが、ツィンバロン(ツィンバロムとかチンバロンとも書く)、という民族楽器も登場する。
ただしほとんどステージ上の鍵盤(この場合は音階を出す弦楽器でも管楽器でもないものと定義した方が良さそうだ)たちは最弱音を求められるので速いパッセージを弾くのに苦労するというよりは、息を潜めるような音を出す苦労に終始する。
ギターの開放弦によるアルペジオから始まるこの曲はピアノを含めその響きが微妙に変化しながらいろいろな楽器のおかずがその上に立体的に乗ってくる様な短い曲だ。
本来演奏会としては、長大なマーラーが「メインディッシュ」なわけで、曲の長さとしてもたぶん10分もかかっていないような気がする短い曲だが、静謐な響きの中では本来共演が難しい組み合わせ(ツィンバロンとチェンバロとギターとピアノ)でも響きが溶け合う不思議さを味わうことが出来る。
マーラーの音の洪水とは対照的に聞こえるはずだ。
しかしギターが静かに弾いていることと同じ事をピアノがエコーとして、より小さく響いて(遠くから響くイメージ)聴かせるのはなかなか気を遣うものだけど、普段同じ舞台に乗らない他の楽器が並んでいるのは壮観だ。さながら鍵盤楽器博物館状態。

ピアノの右がチェンバロ、その右が同じ奏者がオルガン(譜面にはハルモニウムと記されているが似ていて違う構造の楽器らしい)を弾き、その隣がピアノの祖先とも言われるツィンバロン、そしてヴィブラフォーン、チューブラーベルと並んでいる。
ギターは指揮者の真横に君臨する。
これは二日目のリハーサル時の並びで本番ではハープとチェレスタが入れ替わっているはずだ。

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Celestaを弾くときに困ること - 2005.07.23 Sat,00:07
自分の弾くCelesta(今回はシードマイーヤーのチェレスタを弾いています)のパート譜は1ページ。
いくら短いオペラだとはいえ、弾く小節数は、14小節しかない。
たぶん、プッチーニのチェレスタは、作曲当時(いまもそういうオーケストラはたくさんあるのだろうけど)は、打楽器でその瞬間演奏してないひとがチェレスタを担当したのだと思います。
だから、少ないのは、ボレロやパリのアメリカ人と同じことなのだと思います。
ボレロなんか、最後みんなが盛り上がっているのにチェレスタ奏者はなにもせず終わります。
これは、前述の理由を証明する良い例です。
他にもたまにあるけど、「音一個当たりギャラの値段が算出できそう」な仕事の時があります、チェレスタは。
数え切れない音を弾くヴァイオリンの人と同じギャラ(たぶん)なのは申し訳ない気がするときがあります。(爆)
今の日本のプロのオーケストラのほとんどは、打楽器奏者はチェレスタを担当することをしないので、もしプッチーニがチェレスタを弾くためだけに奏者がいると分かっていたらもうちょっと、いろんな場面にかり出していた可能性があるかもしれません。
もっと仕事をした気分にさせて欲しかったなあ(爆)
まあ、二本立てのもう一本のツェムリンスキーのオペラには、他のパートに比べたら多いとは言えないけど、そこそこ弾くところがあるからまあ良かったけど。
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ミュステルのチェレスタ - 2005.07.17 Sun,13:00

知らない人の為に説明すると、外観は足踏みオルガンに見えるけど、鉄琴を鍵盤で弾くものだと思って下さい。
この楽器のデビューは、チャイコフスキーの胡桃割り人形のなかの「金平糖の踊り」だったそうです。
チェレスタといえば、金平糖ってイメージは大きいものな。
その逸話はかならずこの楽器やチャイコフスキーの伝記に出てくると思うのでネットで調べればたくさんヒットするでしょう。
あとは、ホルストの「惑星」でも活躍するし、最近ではハリー・ポッターの一番有名な「ヘドヴィックのテーマ」(第一作の映画の音楽のテーマと言っても良い、かなりの人が知っているメロディー)がほとんどチェレスタ協奏曲みたいに目立ちます。
色彩的に、ハープ、フルートや、ピッコロ(フルート)と一緒に動くことも多い。
このMustel(ミュステル)というパリの楽器はいまはもう会社がないらしいのだけど、チェレスタの中では今まで出会ったブランドの中ではもっとも音に「香り」があって好きです。
職場で出会うのはこの他には、シュトゥットガルト製のシードマイヤーというブランドのものがあるけど、それは好き嫌いで言うと、たまたまその楽器の方が音域が広いので、使うって感じかな。(爆)
ミュステルもいろんな楽器があるけど、こういうオーク(かな)の色のものが多い気がします。
ピアノと鍵盤はそっくりなんだけど、メカニズムがだいぶ違っていて、弦の代わりに金属の板をハンマーで打つ、というのは似ているけど、根本的に違うのは、打ったハンマーはピアノと違って自動的に跳ね返ってこないことだ。
だから、「ピアノと同じように弾こうとすると」音がつまるというか、強く鍵盤を押しつけたままにすると、ハンマーが金属の板に「くっついた」状態になるから実際に鉄琴を弾くように「マレットで鉄筋を打ったら離す」という事をしないといけないので、ピアノでレガートを弾くようなアクションでは弾けないことがあるから注意が必要だ。
これは意識しないでも弾けることだけど、ハンマーはピアノと逆で、上から下に金属片を叩いています。
まさに鉄琴や木琴がマレットで叩かれるのと同じ方向だな。
ミュステルはオルガンも作ってるね。(以下のサイトに行くと音が鳴るので注意)
http://www.jonathanscott.co.uk/mustel-harmonium.htm
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