最近寒くなってきたから夏の京都の写真を - 2012.11.04 Sun,08:15
京都に行った記事としては、たぶん、この記事以来で、清水寺の写真は、(まったく話題は京都に関係ないけど(爆))この記事以来です。
もの凄く暑かった記憶があります。
山門です。
階段です。登るのが暑くて暑くてしんどかった。
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清水の舞台から飛び降りる、ってほどでは無いが(爆) - 2012.08.17 Fri,23:38
明日には仙台に行く。(写真は京都だけど、)
2012/8/19に山猫合奏団としては、始めての東北への演奏旅行で、“セロ弾きのゴーシュ”を弾きに行くためだ。
しかし、今回は、もう一つ感慨深いことがある。
今回の企画を持ちかけてくれたのは、大学時代の親友、千葉民和氏である。
今でこそ、白石准というと、津堅直弘氏との関わりから、Trumpetに縁の深いpiano弾きだと思われているが、白石准にとって初めてTrumpetの伴奏をしたのが、前述の千葉氏なのだ。
自分は、演劇を玉川大学で専攻したが、フランス語の授業で知り合った同級生の音楽科の学生に頼まれて、作曲の作品とか、管楽器の試験の伴奏を頼まれるようになっていって、演劇専攻生なのに音楽専攻生の演奏会とかに顔を出すようになっていたのです。
そういう僕の演奏を聴いて、Trumpet科の千葉君(呼称は学生時代に戻らせて貰う。)が僕に伴奏を頼んできた。
結構沢山引き受けてきたが、中には言っちゃ悪いがあまり上手とは言えない人も居て、もうちょっとウンザリだった部分もあって、僕はこういう今考えるといくら上級生(実は歳は彼が上だと言う事を後で知った(爆))とはいえ、相当に意地悪な質問をしたのだ。
「あなたはプロになるつもりで楽器を吹いていますか?」
(そのつもりでやっている人くらいじゃないとこっちも刺激がないと思ったからだ。でも後にも先にもこんな質問をしたのはどういうわけか彼だけだった(爆) で、今でこそ演奏家として活躍している卒業生は増えてきたが、当時は演奏家を育てると言うよりは、音楽教師を育てるコースとしての存在理由がその学科だったから、なおさら意地悪な質問であったと思う。)
そして、少しばかり考えてから彼がこう言った。
「3年頑張ってみて芽が出なければ、田舎に帰ります。田舎には田んぼや畑がありますから。」と。
その一言(もちろん30年以上前の事なので、レトリックは全然正確じゃ無いと思うが。)で、僕の気持ちはなぜか、凄く動いてしまい、一発で引き受けてしまったのだ(爆)
なんか彼の体の後ろに「のどかで緑と土のある、ものすごく広い空間の中で育ってきたオーラ」を感じたのだ。
(東京生まれだからという理由では無いと思うがこの言葉を聞いて「田舎」って良いなあと思った部分は無いとは言えない。)
実際、初共演は、Hindemith(ヒンデミット)というドイツの近代の作曲家の難しいsonataだったのだが、今思っても、その音色には、なんか技術を越えた「雄大さ」を感じた思い出があります。
彼との思い出はそれから、それこそものすごく面白いエピソードに事欠かなかったのですが、それを書きたくてこの記事を始めたのでは無いので、またconcertの話に戻ります。
しかし、僕の友人で、これほど笑いのネタに事欠かない人は居ないので、そのエピソードはいずれ彼の許可を得て記事にしようと思っています(爆)
そういう付き合いで仲良くなり、そして卒業後、彼は会社員になり(でも未だに楽器は吹いてるらしいよ、すばらしい。)、同級生の元Organ科の女性と結婚した。
もちろん、彼女に対しても僕は面識があったし、僕はOrganはもとよりpianoも上手な知的な彼女がなぜ、彼と結婚することになったのか(つまりつきあっていたとは全く知らなかったから)良くわからなかったが(爆)、結婚式にも参列してpianoを弾いた。
その結婚式も通常の結婚式を逸脱した凄い盛り上がりだったのだが、それから、数年後、二人の間には女の子が生まれた。
なんと、僕の誕生日と同じ日だった。
つまり、春生まれだった。
名前はその季節だからか、「さくら」ちゃんと名付けられた。
そして、風の便りで、Violinを勉強するようになったと聞いた。
二度ほど彼の宮城の実家に泊まりに行ったこともあって(それ以外の地方出身者の友人の家にはほとんど行ったことは無いから僕としてはとても例外的な事なのです。)、演奏旅行に仙台に行ったときには千葉君とは仙台で飲んだ事はあっても、結婚式以来、奥さんとも、そして小さな音楽家の娘さんには、実際に会った事はなかった。
そしてまた時は流れ、なんと趣味では無く、東京藝術大学に入ったという事を彼から聞いた。
Violinは子供の頃から親の協力なしには絶対に育たない種類のものだから、きっとあの知的な細君が凄く努力をしたのだろうと、思っていた。
そして、また時は流れ、「ドイツに留学している」という話になった。
そして、明後日、僕は、立派にあちこちの国際コンクールでも評価され、将来が期待される一人前の音楽家になったさくらちゃんと、“セロ弾きのゴーシュ”の前に共演することになった。
明日は早く仙台に入って、練習をするのだが、まだ見ぬさくらちゃんの事を考えると、なんか通常、どんな有名な演奏家と初共演するときでもこういう、心臓のドキドキ観というのは感じたことがない。
両親とも知り合いで、しかもアマチュアでは無くprofessionalな演奏家になったその娘と共演するなんて生まれて初めてのことだからだ。
小さい頃を知らないので、感極まって泣いてしまうなんてことにはならないとは思うのだけど、「普通の初対面」とは決定的に何かが違うはずだ。
(しかも同じ誕生日だし(爆))
とっても楽しみであると同時に、妙な恐怖感というか、なんか借りてきた猫のようになってしまうかも知れない、、とも違うな、なんかとても変な気持ちで最初、挨拶するのだろう。
音楽が始まっちゃえば関係ないとは思うのだが、それでも、その音を後ろで聴いていたら、やっぱりなんか違う事になりそうで、そのためにも明日はちゃんと練習したいとおもうのだ。
いきなり本番だったら僕が破綻してしまうかも知れないとまで思う(爆)
故に、写真と本文には全く関連性はない(写真を撮ったのは、先日Musicalの公演で滞在していた大阪に行く移動日に京都に行って撮ったもの。)のだが、titleにある文章の如く、経験したことのない覚悟がないと弾けないだろう。
そして僕との共演を聞く、両親の事を考えてもなんか、彼らも感慨深いのだろうなと思う。
今までも沢山の共演者と日本で弾くときは聴いていたはずだけど、僕と一緒に弾いていると言うことにはまた別の感想があるだろうし。
故に、さっきからずっと彼女が弾く曲を練習していて、仙台から帰ってからこの事を記事にしようと思っていたが、なんかもう既に頭の中にいろんな事が巡るので落ち着けなくなったので書いちゃった。
でも、きっとさくらちゃん、じゃないな、さくら嬢と書くべきだな、彼女だけは恐ろしく普通に冷静で、何時も初めて会う伴奏者とやるように、普通にやるつもりだろうし、僕や両親がなんか挙動不審になったら、実に訝しがるのだろう(爆)
もしかしたら彼女の鮮やかな速い演奏に着いていけず、置いてけぼりになって途方に暮れるというか、惚けて(ぼけて、ではなく、ほうけて、というつもりだが、あまり意味に違いは無いか、、、)いる自分がいるかもしれない、、、。
二度目は冷静になれるとは思うが、今日は果たして安らかに眠れるのだろうか(爆)、飲むしか無いのか。
そうだ、思い出した。
千葉君の卒業演奏は、今奥さんになった彼女の伴奏で、アルチュニアンの協奏曲だった。
そして、僕が譜めくりしたんだ(爆)
そして、その卒業演奏会(数日続く)の最終日に、当時専攻科という所に学部卒業後一年余計に大学に滞在していた僕は、修了演奏会として、数ヶ月かけて作曲した、“どんぐりと山猫”を、楠定憲と初演したんだ。
たぶん1981年の2月の終わりか3月の頭だ。
故に、今では山猫合奏団の演奏を継続的に聴いて下さるお客さんも増えてきたが、千葉夫妻は、“どんぐりと山猫”の初演を聴いている希有な人たちでもあるのだ。
そこからが始まりで、相当時間は空いたけど、2005年に“セロ弾きのゴーシュ”を書いたわけで、明後日はそっちの作品だけど、もし“どんぐりと山猫”だったら、「さくら嬢が生まれる前の作品だ」と説明できたのにな(爆)
で、“どんぐりと山猫”以降の作品を聴いて貰えると言うことも僕には光栄なことなのです。
そうそう、千葉君とは、2010年のマルチリード版の“どんぐりと山猫”にひょっこり現れて久しぶりに再会したんだ。
彼も初演以来の“どんぐりと山猫”だったと言っていた。
写真はいつものように、clickして飛んだページの写真をもう一度clickすると綺麗に見えます。
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