象の足の様だし、なんか迫力あるな。 - 2012.01.23 Mon,04:54

- 関連記事
-
- 京都嵯峨野の竹林 (2012/08/25)
- 樹の隙間から覗いた青空 (2012/08/24)
- 3色の梅 (2012/04/17)
- 桜@京都の東本願寺の飛び地の庭園、渉成園に行ってみた-2 (2012/04/10)
- 京都高瀬川にかかる桜並木 (2012/04/08)
- 師弟 (2012/03/21)
- 冬しか撮れない景色 (2012/01/24)
- 象の足の様だし、なんか迫力あるな。 (2012/01/23)
- 行く手を阻む木の根っこ (2012/01/19)
- 赤坂山王日枝神社に寒桜?が咲いていた (2012/01/13)
- 松ぼっくり (2011/12/09)
- 龍谷寺の松と月 (2011/12/07)
- おなじみのケヤキの冬支度 (2011/12/02)
- 夜目にくっきり白い木 (2011/12/02)
- 竹林の夜@大磯城山公園 (2011/11/27)
水の上に居ないことも多いとは思うがちょっと新鮮 - 2011.12.02 Fri,12:10

- 関連記事
-
- カラスの顔は可愛い (2012/01/07)
- 綺麗な鷲?、鷹? (2012/01/06)
- 幸せの?青い鳥 (2012/01/04)
- 独り (2011/12/23)
- 野生化した?インコ (2011/12/21)
- 俺は世の中のてっぺんに居る (2011/12/14)
- 卵が歩いてた (2011/12/04)
- 水の上に居ないことも多いとは思うがちょっと新鮮 (2011/12/02)
- こういう景色の中に居るとカラスも野鳥だと実感する (2011/11/18)
- 綱引きだったら負けないぜ (2011/11/16)
- 城山湖の川鵜の集会 (2011/11/16)
- 鷺先生による亀と鴨への授業 (2011/11/15)
- 鳶 (2011/11/14)
- セキレイ(wagtail) (2011/11/13)
- duck (2011/11/12)
フェデリコ・モンポウ(Federico Monpou)の罠 - 2011.12.02 Fri,11:43

以下、写真と本文には全く関連性はございません(爆)
人間は自分だけの世界観でいると、視野が狭くなる。
やはり自分の視点じゃないものの見方を本や他人の主張、僕の場合は他人の演奏や、創作などを鑑賞することによって、自分では気づかなかった価値や方法、無数と言って良いほど自分に影響を受けることになる。
全くのオリジナルを作っていると思いきや、やはりどこか誰かの真似というととても屈辱的なニュアンスに取る人はいるかもしれないが、言い直せば、「見たことのないもの、聴いたことの無いもの」を想像することは不可能だと言うことだ。
では、全く新しい価値観を我々に与えてくれる人は0からそれを思いついたのか?
先頃亡くなったApple Computerの創始者、スティーブ・ジョブスであれ、シェイクルピアであれ、バッハであれ、下敷きは他の所にあるのだ。
しかし、その加工の仕方が尋常じゃないプロセスを踏むから、前にも先にも居ないような存在感というか存在理由と創作を残すことになる。
ここ最近聴いた他人の演奏の数々で強く感じたことがある。
自分が音楽人生の中で培われた価値観を通して、評価することになると、とろけてしまうほどすばらしいもの、そしてどうしても感心しないもの。
そして、自分とは違う土台に立ってやってるんだろうな、というものを通り越す嫌悪感。
普通は前者の事しか思いつかないし、感動すると人よりその嬉しさを激しく外(会えればその創造者当人に)に表現したくなるくらい、自分の人生の気がつかなかった価値観をもたらしてくれた事への感謝で一杯になる反面、僕は失礼ながら、特に生演奏の音楽を聴いていてどうも違和感を感じると、コンサートの最後まで居られないで出て、お口直しに飲み狂いたくなるところがある(爆)
感動するから拍手をするので、その反対だったときになぜおとなしく聴いてられるか、良く分からない。
昨日もあるピアノを聴いていて、残念なことに、その楽曲のすばらしさを表現するより、客席に「演奏を歌って聴かせる」ことに執心していたゆえ、あまり良いたとえではないが、まるで歌い手の演奏の様に聞こえて感心できなかった。
この場合の歌い手というのは、字義通りの「歌い手」という職業ではなく、「歌詞になっている言葉の感情、しかも客観的に自然を詠んだものではなく、台詞の様に人間的なメッセージを直接相手にぶつけようと感情を込めて表現する」ことだけですべてが形作られている表現方法ということだ。
「音楽はすべて歌である」と思い込んでいる人たちがいる。
それは、歌の好きな人たちにとっては、気持ち良いのは器楽より声だから間違ってはいない。
だからすべてが「感情に支配されなくては行けない」ことになる。
だから、演奏というのは、「歌わなくては行けない」ということになる。
まあ、いわゆる、冷たい表現で、ちっとも嬉しそうに弾かず、「歌心」のないピアノ演奏も困ったものでそっちの方が多いので批判の矛先はそっちの方にこそすべき(Lessonではいつもそこでいらいらしているのだが(爆))なのだが、「表現することができない」ということは批判以前の問題なので、すべてが前述の様な感情を込められると器楽の音楽では困っちゃうことになることがある。
建築物や山の風景には、そこから影響を受けてエモーショナルになる人間の心はあったにせよ、それ自体には何も感情はないはずだ。
器楽の音楽、特にハーモニーを自分で構築できるピアノの演奏というのは、全く機械的とは言わないまでも即物的に音象を空間に放り投げる瞬間が必要な時がある。
それが例え歌曲であろうと、オペラであろうと、後ろに居る管弦楽がすべて歌い手と同じ気分で居たら音楽は崩壊する。
その中にまるで映画のセットのように、登場人物がでてきて歌うときに冷たい背景が活き活きとしてくるのだ。
背景までが感情を持ち過ぎている(もちろん歌の感情に寄り添う必要のある場所も多いことは大前提の上で)とその歌は響かないし、僕だけかもそう思っているのかも知れないが、ここで撮している写真の生き物が出てない景色には、何も感情がないからクールな気分になれるものもあると思うのだ。
それは、作曲の視点にもある。
風景画に徹する必要のあるとこが場所によってはあるわけなのだ。
(まあ美術の専門家ではないから、風景画だってゴッホのそれと他の同時代人とは全く違うのだからつっこまれると返答のしようがないが、風景や静物をあまり感情的に描かないということ)
話は飛ぶが、僕の大好きな、フェデリコ・モンポウの音楽には罠が多い。
よくサティとかと類似点を引き合いに出す大馬鹿野郎が居るて困るのだが、この二人の作曲家の根本はまったく違う地平線に立っている。
似ているとすれば、時にゆっくりで静かな雰囲気が支配しているという物理的なことだけだ。
それは全く似て非なるものなのだが。
サティは、当時ヨーロッパを席巻していたドイツの表現主義に対してどこか斜めに醒めて見て、破壊に走る1910年代のパリのダダからシュールレアリスムの影響を無視できない、どこか諧謔、しかしながら、彼独自の内面ではものすごく古いフランスの時代の禁欲的な音楽の風情を内在する、どこか、中世の絵の中にある、感情を殺しているような静けさが全体を支配しているのだ。
だから、サティは「教会ではキャバレーの中に居るように振る舞い、キャバレーでは教会に居るが如く振る舞った」と言われてしまうのだ(爆)
それに引き替え、モンポウというのは同時代にパリには居たけれども、無口で社交があまり得意ではなかったと言われる彼の飽くまで個人的な内省が全体を支配しているのであって、そういう意味じゃ、少ない音の中で、「歌い込む」という意味じゃサティよりは、歌が全体を支配しているようにも見える。
そこにモンポウの罠がある。
モンポウは教会の鐘を作っている工場の息子だったらしい。
ゆえに、フルートやヴァイオリンなどが表現しにくい、とても打楽器的というか、ゆっくりだけど、鐘が鳴って減衰していくピアノが表現できるソノリティというか、その響きの中では人間の感情なんて霧散していくのだ。
湖という曲があるが、完全にそこは、白黒でソフトフォーカスで霧のなかに浮かび上がる湖が見える様な気がするが、それに一喜一憂しているような歌はない。
できるだけ感情を抑えて弾くべきだと思うのだが、だからといって、コンピュータで打ち込みをした感情のない平坦な表現が良いのかというとそれとも違うから、難しいのだ。
そういう所はある意味サティなんかより、ドビュッシーの表現に近いところもあるのだろう。
だから僕はモンポウを知ってからの方がドビュッシーの音楽が好きになったものだし、モンポウ夫人にLessonを受けた時、その辺の感情表現とピアノを響かせるということの調整に苦しんだものです。
そういう意味だと昨夜あるピアニストが演奏したモンポウを聴いたのだが、その前の訥々としたトークと全く同じように、フレーズの最初だけ感情を噴出させて、語尾が消えてしまう感じでした。
気持ちが入るフレーズの長さが一定だし、途中で妙に感情が途切れる瞬間が訪れるのです。
たしかにモンポウ自身の演奏は自由なルバートがそこかしこにあるのだが、動いては行けないと思う部分も常に動き回るから、(それがピアニストの若さゆえのことなのかもね)、停まってじっくり観たいという「視覚に訴える建築物のような音楽」にはならなくて、いつもピントが流し撮りみたいな写真に見えてしまって残念だった。
動いたり停まったり、楽曲のテンポの問題ではなく、「内面の鏡の中に映る景色のスピードが一定」だったのだ。
強調して欲しい音が全く強調されず、強調しなくて良いと思う音が強調されているのは、もう趣味の問題だから弟子でもないし(爆)、許容することにしたのだが、でも時折ピアノの響きのピントに神経を使ってるなという瞬間があるのだが、それが点で浮かび上がるのであって線にはならないのだよな。
もっと音域が違うところででてくるメロディーに人格が与えられ、別の人物が複数居る感じに聴きたかったが、「ピアノの演奏」になっていたな。
たぶん、「彼を聴きに来たのだから、それの何処が悪い」とファンの人は言うのだろうが。
音楽の演奏も、我慢が必要という作品は多い。
表現を豊かにしようと思うと、つい、動いてしまうのは良く分かります。
でもモンポウの罠にはまっているなと思いました。
でも自分も苦労している技術的に難しいところは、僕より何倍も技術をもっている彼にとっても苦労しているのを見て少し安心した(爆)
でも彼に感謝すべきは、あまり取り上げられる頻度が多くないこういう作品を取り上げようとする意欲、そこにはモンポウの一ファンとして嬉しかった。
トークで「客席の99%はこの曲を聴くのは初めてだとは思いますが」とあったが、その1%の存在だったことに誇りを持つし、久しぶりにこの曲を弾いてみたくなった気分にさせてくれたことに感謝です。
こう考えると、結局は音楽の内面を表現したいという気持ちと、演奏家なら誰でも持って居る自己顕示欲に基づく、感情表現というのは何時の時代も陣地争いの戦いなのでしょう。
でも本当に感情的に爆発する場面である種の違う次元に魂が飛躍するためには、体や心が触れまくるとろくな事はないと思います。
彼がそうだった訳では決してないのですが、だから、僕は体を「常に」動かしまくる演奏が嫌いなのです。
動かしまくる人で好きな人もいるけど、どういうんだろうな、それは必然性を感じるから不愉快には思えないのだけど。
その必然性とは、「内容が先にあるから、それに従って動いている」風に見えるのと、
「体を動かすことによって表現豊かだということを思わせる」のとの違いだな。
新興宗教のなかには、音楽で煽って、情感の強い信者には、体を痙攣させるようにして信じ込ませてしまうものがありますが、あれは、ロックを聴いて興奮している若者と似ていますが、逆に純粋にロックを聴いて陶酔しているよりは、その裏に邪悪な洗脳の意図があるから、すごくたちがわるい。
座禅の様に何も動かないところに、最高の表現の原泉があるように思います。
でも主義の違いや、趣味の違い、その日の調子悪さ、楽器の状態、様々な障害や違いの中で起こることは、普通に演奏を聴いた感想として出てくるのであって、違和感を感じつつも、怒りの気持ちまではなかなかでてきたりしないし、自分だったらこうやるのにな、程度でその日一日を終えることができるのです。
- 関連記事
-
- マニュエル・デ・ファリャの「三角帽子」の、そもそも三角の帽子って? (2013/03/20)
- 今日はアルペン登山の練習(爆) (2013/01/08)
- 教えて貰わないことを実践する勇気が大事かな (2012/12/22)
- 憧れのハインツ・ホリガーさんと共演できた! そして、ピアノの内部奏法について (2012/10/11)
- ドビュッシーの管弦楽のための「映像」は、今まで感じたことの無い感覚の中で終わりました (2012/09/07)
- ドビュッシーの管弦楽のための「映像」は情景だけでなく、香りも漂う音楽に感じます (2012/09/07)
- フェデリコ・モンポウ(Federico Monpou)の罠 (2011/12/02)
- Pianoでハ長調は難しい、「猫踏んじゃった」は簡単@ちょっとした事なんだけどね (2011/09/01)
- Carl PilssのTrumpet Sonataは本当に美しいと思う。 (2011/02/04)
- ディーヴァという言葉 (2010/12/24)
- 3/4と6/8拍子の違いを説明しろというなら、 (2010/10/22)
- 昔はストレートプレイでもピットでオーケストラが劇音楽を演奏していたわけか。 (2010/09/16)
- 普通は音がでかすぎると言われるんだけど(爆) (2007/09/16)
- プーランク先生へ (2006/12/01)
- ハイドンとモーツァルトのアイデアの類似性・違い (2006/11/24)
赤い葉っぱ2 - 2011.11.17 Thu,10:31
撮った場所は違うが、写真の傾向はこの記事に通じます。
もっと葉っぱを水側に押し出して、手前の岸が写らない様にすれば良かった。
- 関連記事
-
- 楓と椛 (2011/11/30)
- 木の葉のぶら下がり方が、、(爆) (2011/11/28)
- 線の構成2 (2011/11/25)
- 線の構成 (2011/11/23)
- 楓と椛 (2011/11/22)
- 一番赤いのが紅葉だ、いいや、黄色いのが紅葉だ、わかってないな、色褪せてるのが紅葉だ、この時期に緑なのが一番偉いんだよ! (2011/11/19)
- 木漏れ日 (2011/11/18)
- 赤い葉っぱ2 (2011/11/17)
- 色鮮やかな紅葉 (2011/11/17)
- 紅葉 (2011/11/16)
- 赤い葉っぱ (2011/11/14)
- Autumn Leaves 12,Oct.2011-2 (2011/11/13)
- 迷惑な獲物 (2011/11/13)
- Autumn Leaves:12,Oct.2011-1 (2011/11/12)
- 生垣の上の紅葉 (2011/11/07)
小石川後楽園を歩く - 2011.11.17 Thu,09:48
樹の奥の左側に見えるのが東京DOMEです。
- 関連記事
-
- Turkish Restaurant (2012/02/25)
- 洒脱 (2012/02/16)
- 横浜みなとみらい、赤レンガ倉庫の昼 (2011/12/18)
- 黄昏の新宿 (2011/12/14)
- 神楽坂2011/12/09 (2011/12/09)
- 縦縞、横縞@Discover神奈川県相模原市 (2011/11/26)
- 鏡の中の秋 (2011/11/22)
- 小石川後楽園を歩く (2011/11/17)
- 散歩 (2011/11/10)
- 渋谷の窓2 (2011/11/07)
- 道玄坂の三つの窓 (2011/07/13)
- Monochrome vs Color (2011/06/12)
- Red & Gray (2011/06/12)
- 渋谷のrestaurant (2011/06/12)
- この下手な写真じゃ、この坂の勾配の凄さは、伝わりにくいが、、、 (2011/05/31)
鷺先生による亀と鴨への授業 - 2011.11.15 Tue,09:26
- 関連記事
-
- 野生化した?インコ (2011/12/21)
- 俺は世の中のてっぺんに居る (2011/12/14)
- 卵が歩いてた (2011/12/04)
- 水の上に居ないことも多いとは思うがちょっと新鮮 (2011/12/02)
- こういう景色の中に居るとカラスも野鳥だと実感する (2011/11/18)
- 綱引きだったら負けないぜ (2011/11/16)
- 城山湖の川鵜の集会 (2011/11/16)
- 鷺先生による亀と鴨への授業 (2011/11/15)
- 鳶 (2011/11/14)
- セキレイ(wagtail) (2011/11/13)
- duck (2011/11/12)
- Hallo! (2011/11/11)
- 俺の家だ (2011/11/10)
- 秋の彩り?紅葉より俺のほうが派手だな (2011/11/07)
- 驚いているのではないのだろうが、 (2011/11/03)
ウヒヒヒヒ - 2011.11.15 Tue,07:37

- 関連記事
-
- 怪人二十面相の遺留物か (2012/12/17)
- 「福笑い」ならぬ、「馬鹿笑い」が泳いでいました (2012/11/12)
- うほっ (2012/11/06)
- 水紋が綺麗だと思って撮ったのだが (2012/10/17)
- 微笑む草花 (2012/06/28)
- 微笑の横顔 (2011/11/21)
- 下を向いて歩いていたら励まされた (2011/11/20)
- ウヒヒヒヒ (2011/11/15)
- 暴風雨の沖縄から脱出しました@山猫合奏団沖縄tour2011-14 (2011/08/07)
- 微笑む球体 (2011/07/26)
- craneもskytreeの完成が近づいて嬉しいらしい。 (2011/07/24)
- Mr.Shredder is cheerful. (2011/05/27)
- Good Morning! (2011/05/20)
- 電線マンの微笑み (2011/03/27)
- こんな時こそ笑顔が必要だ (2011/03/13)
こういうSituationには中高年の男が似合う - 2011.11.09 Wed,00:28
先日訪れた東京の小石川後楽園にて。
- 関連記事
-
- 桜の中を駆け抜ける (2012/04/17)
- Cello (2012/04/09)
- 撮る (2012/03/29)
- 教祖 (2012/03/14)
- 仲良し釣りおじさん (2012/01/08)
- 恋人たち (2011/12/02)
- 一服-2 (2011/12/01)
- 一服-1 (2011/11/11)
- こういうSituationには中高年の男が似合う (2011/11/09)
- 2011/06/07日本代表vsチェコ代表の帰り (2011/06/11)
- 走ってないで、踊ろうよ (2011/06/03)
- Mama,頑張れ@岡山後楽園に行った4 (2011/05/24)
- オマーンの人がたくさん居ました (2010/12/21)
- 救世軍!Guys and Dollsを思い出したよ。 (2010/12/11)
- 孤独、落ち葉、恋人 (2010/11/09)
11月なのに桜が咲いてました - 2011.11.07 Mon,09:08
寒桜とかなのかなあ。
でもきっと春には凄い花をつけそうなんだが。


- 関連記事
-
- Red,White & Green (2011/11/10)
- 近づいて撮さなかったらこんな花があることに気づかなかった。 (2011/11/10)
- 筆で書いたような花びら (2011/11/10)
- 眼にとまったもの (2011/11/10)
- 菊 (2011/11/09)
- Flowers (2011/11/08)
- 蕾 (2011/11/07)
- 11月なのに桜が咲いてました (2011/11/07)
- 横浜イギリス館の裏にある薔薇園にて (2011/11/03)
- Cosmosは秋の彩り (2011/10/22)
- Elizabethan collarみたいな葉っぱ(爆) (2011/10/21)
- 唐辛子 (2011/10/18)
- Clematis (2011/10/13)
- 秋の彩り (2011/10/12)
- 赤い情熱 (2011/10/12)
小石川後楽園の紅葉 - 2011.11.05 Sat,00:00
一眼レフを持ってなかったので、Compact Cameraで撮りましたが、なかなか落ち着く庭園でした。
あちこちの風景を撮りましたが、せっかくこの記事が、3000件目の記事になった(かつて投稿して削除したものがあるので、本当に3000件目になるのはあと6個ほど投稿した時が実際の数になるが)ので、色づいている葉っぱの写真にしました。
この池にはいろんな鳥も集まるみたいで、多分カワセミ狙いの方々が三脚を拡げて待ってました。
同じ場所の紅葉(他の木はまだほとんど緑でした。)を違う場所から撮った三枚です。
clickすると大きくなります。
- 関連記事
-
- 横浜イギリス館 (2012/09/12)
- 浜離宮恩賜庭園 (2012/09/01)
- 苔に覆われた銀閣寺の庭園 (2012/08/30)
- 相模原北公園に葉っぱが生い茂る季節がやって来た (2012/05/06)
- 侵雪橋(しんせつきょう)@京都の東本願寺の飛び地の庭園、渉成園に行ってみた-3 (2012/04/10)
- 京都の東本願寺の飛び地の庭園、渉成園に行ってみた-1 (2012/04/09)
- 旧安田庭園から見えるスカイツリー,両国公会堂 (2012/01/05)
- 小石川後楽園の紅葉 (2011/11/05)
- 静寂に包まれた景色にみえるが (2011/10/24)
- 鶯啼庵の日本庭園 (2011/01/15)
- 空は広い、地面も広い (2011/01/14)
- 今朝の相模原北公園の薔薇 (2011/01/04)
- 午睡 (2010/11/16)
- 新宿御苑の小道 (2010/11/16)
- 新宿御苑の遠近法(爆) (2010/11/14)