しだれ桜3@京都府立植物園に行った-12@2011/04/17朝 - 2012.11.30 Fri,15:03
今日の天気があまりに雲がどんより陰鬱になるので気分を晴れやかにしたくて昨年の春に京都で撮ったものを蔵出しします。
撮っている数の方がここで紹介する数をどんどん上回って、出し忘れている写真の多い事(爆)
50mm単焦点
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しだれ桜2@京都府立植物園に行った-11@2011/04/17朝 - 2012.10.19 Fri,19:23
しかし、技術を進歩させようと思ったら、ある意味過去を振り返らないと駄目なことは自分のやっている演奏と同じなので、自分の過去の作品を批評することで気づくことがあるかもしれませんのでよく見てみましょう。
京都府立植物園に行ったという記事は、シリーズとして、これ以来、そして、その中の枝垂れた桜の写真としてはこれ以来一年半以上ぶりになります。
これを撮った頃は、しだれ桜にピントがあたって、奧の景色が暈けているだけで満足していたんだよね(爆)
下の写真、カメラ女子が一生懸命撮っていましたが、若い女性と桜はとても似合いますね。
(プロだったら失礼な書き方だが、カメラの持ち方がプロだとは思えないんだが、どうなんだろう。レンズを左手で持ってないのは、やばいと思うのだが、眩しいから単にファインダーや液晶を日光から守るためにああいう手になっているのだろうか、、、)
この写真は彼女がそこに居なければきっと僕は投稿したくなる写真にはなってなかったと思います(爆)し、この写真を撮った時の事を思い出せば、意識していた主役は桜では無く彼女だったな。
もちろん、花にfocusを当てて、彼女を暈かす(ぼかすってこう書くのです)は確信犯だったけど。
今思えば、暈けの写真が撮りやすい、50mmの単焦点で撮っていた(前に持って居たCANONのKissXだったことを懐かしむ(爆))けど、彼女のボケがちょっと中途半端に見える。
きっと、開放にすると桜のこの塊の中でピントの合わない部分が増えるから、きっと絞っていた設定だったのだな。
いや、そこまで考えていたのかな(爆)
でも、同じレンズで絞りが変わっているのはきっと、絞り優先モードでは無く今じゃ全く使わないオートで撮っていたからかもしれないので、被写体が変わった瞬間に光量を考慮して設定が変わったのかも知れません。
今だったら、レンズの絞りをもっと開けて(f値を下げて)彼女の暈けをもっとソフトにしようとすると思います。
一枚目の背景の暈けの方が「暈けてる」って感じがするでしょ。
今データを見たら、一枚目は、f2.8でこっちは、f5.6だ。
違いは歴然としている。
しかも、この絵では、明るさが元々、投稿準備のプロセスでアップロードした元写真ではすべての被写体に対して一定の感じで、色々はっきりみんな映し出しているけど「何を撮っているのかが不明瞭」な写真になっていた(pianoの演奏でも良くあるんだなこれが(爆))ので、桜を明るく、彼女の黒いところはより黒くして再びアップロードしたのがこれだ。
明るさはちょっとはマシになったけど、それでも、やっぱりボケが中途半端な事がとても気になる(りだした)し、よく見ると、桜そのものに魅力を感じられない写真だったことにも気づいた。
原因は、桜の向こう側に人が立って居た偶然にある。
(恥ずかしながら、撮った当時、Macで見ててもあまり気づかなかったというか、気にならなかった訳で、、、)
一枚目は素通しで向こう側が見えているから二枚目に比べたらずいぶん花が引き立っている。
細かい写真の状態を僕と一緒に(爆)精査したい人は、写真をclickすると、撮影データは、そのページに表示されるし、そこで表示されている同じ写真を再びclickすると大きくなってここまで長々書いている事がより理解できると思います。
もちろん、今思えば、一枚目の写真だって花の塊の部分の二列目くらいに咲いている桜の花にもはもっとピントが合って欲しいと思うから、二枚目とは逆に、撮った結果f2.8よりはちょっと絞って被写界深度を深くして花全体にピントが合うようにする方が良かったかも知れないと思っていますから今なら結果を見てもう一回撮り直そうとするでしょう。
しかしこの頃は、「桜だ!、すげえ綺麗だ、とりあえず撮ろう」って感じで、それなりに「綺麗に撮ろう」という意識しかなかっただけで、「どう撮ればもっときれいになるか」ということまで深くは思い浮かばなかった。
一眼レフを手にして日が浅く、カメラの設定については完全な初心者だったから、高級なカメラを持って居ればカメラが何とかしてくれるだろう、という気持ちが強かったかも知れない。
機械に安心しているというか、ちゃんとしたカメラになればなるほど、自分が手動で(主導でという事も含め)主張をはっきり込めないと写真なんか撮れないということにはまだ至らなかった。
反省するというよりは、今じゃないとこういう事に気づかなかったのだから、だてにそれ以来沢山の写真を漫然と撮っていなかったと思えば良い。
こうやって前の作品について後になって反省することが先に進む力になるのは、pianoの練習と同じ。
結論としては一枚目はもっと絞って、手前の主役の桜の花はもっとはっきりして、後ろが暈けていればよかったし、二枚目はもっと絞りを開放に近づけて、かつ桜の向こうに人が居なければ最高だったろうけど、カメラを構えている彼女が何時そこから立ち去るか、というタイミング勝負だったからとっさに撮ったし、しょうがないとは言えるね。
でも、また来年自分がこの記事を見たとき、そして今の時点だってプロの写真家のアドヴァイスを受けたらまた違う視点が出来るかも知れないね。
pianoも独学で凄い人は確かにいるが、やっぱり専門家のアドヴァイスは有効なことは百も承知なので、今度写真教室に行ってみようかなと思っています。
室内で静物を撮るのではなく、外で写真を撮るには、ホント、「面白い被写体」に出会う事、それ以前にそういう被写体を見つけること、そして「待ち」と「天候」、しかも、「陽光の向き」、そして、「被写体の偶然の組み合わせ」と、時には「演出」と、家に帰ってからの現像(デジタルだって現像が必要なモードがあります(僕はRAWという現像が必要なモードで95%は撮っています)し、jpgで撮ったとしても、そのまま出すことは僕はあまりしてなくて、色調や明るさなどは結果的にいじらなくても細かく確認する作業は経ています。)の総合的な運と、カメラの構造に対する理解、そしてそれを扱う技術が必要ですね。
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