ビルの壁面@親父の遺した写真から2 - 2012.12.02 Sun,13:28
sepiaなのは、Photoshopのエフェクトではなく、写真をscanしたから本当の色です、と書いてみたのだが、これは紙からでは無く、フィルムから直接スキャンしたはずなので、どうして勝手にsepiaになったか、不思議に思えてきました。
息子も「壁」ではないけど、窓拭きの写真を撮っていたことが判明。
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静物@親父の遺した写真から1 - 2012.12.02 Sun,10:09
親父は筋金入りのアマチュア・カメラマンでした。
勿論、デジタルカメラの時代ではなかったので、多くはモノクロ写真で、フィルムの現像も自分でしていました。
晩年は、なんか部品を掛け合わせて自分でカメラのボディーまで作っていた(爆)僕とは全く違う(爆)、手先の器用な人でした。
実家にある家具の多くも自作だったり、電機の知識もあったので、家電もほとんど自分で修理をする人でした。
僕はカメラに凝りだしてまだ二年ですが、母親は遺伝だ、と言い張ります。
僕がここまでカメラに嵌まることがわかっていたら、さまざまなな遺産を捨てずにいたのに、とは言われますが、それはしょうが無い(爆)
で、昨日実家に立ち寄って帰ろうとしたけど、凄い睡魔に襲われ、そのまま寝てしまったので、朝、たまたま雑談の延長線上で、昔の写真をみていたら、そうだ、これらの写真やフィルムをscanすればcategoryが一つ作れると思い、やってみることにしました。
蛇腹のカメラもあるのだけど、まったく何をどうすればいいか判らないので、まだフィルムには走りませんが(爆)、最近NIKON-D5100では中古の手動でピントや絞りを設定するレンズに嵌まり始めているので危険度は上がっているとは思いますが、、、、
膨大な写真(もちろん、僕が生まれた頃から彼が死ぬまでのものが残っているが、)を掘り起こすこと自体大変だし、現像された紙の写真のほとんどを母親は処分してしまったが、ネガはかなり残っているし、もしかして増えてこのblogの容量を超えてしまったら、独立してつくるかもしれないが(爆)、とりあえず、記念の一枚がこれだ。
彼の作曲した遺産が音になることより、こっちの「作品」を世に出す方が気軽にできる(爆)
写真はいつものようにclickすると大きく見られます。
ちなみに画面上に黒光りしているのは、縦型ピアノの脚です。
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山猫合奏団のメンバーの今から30年以上前の姿 - 2010.08.14 Sat,00:09

チェロの大島君を除く、白石准と楠定憲と高山正樹は、全員玉川大学の演劇専攻出身であります。
(ちなみに有名な演出家の宮本亜門君や高瀬久男君も同級生、CHICAGOで僕を雇ったのも同い年の清水恵介君@ミュージックマンの指揮者、あとまだこのブログで記事にしてないけど、CHICAGOのころ、劇団EASTONESというところの芝居を下北沢で観に行っていたく感動したのだが、その主宰、脚本、演出の清水東君も同級生)
ゆえにこの記事のカテゴリ分けは変ではあるが、他に分類しようがないので、現在のつながりということで、ここにする。
高山正樹氏が俺の泥酔撃沈写真を世間に晒した報復として(自分でも出してしまったが)、彼の学生時代の勇姿をここに貼り付けておきます。
きっと本人も知らない写真かも知れません。
この写真は、僕らの師匠加藤新吉先生の追悼パーティーがあったときに、その会場に貼られていたものです。
蛇足ですが最前列の一番右側に座っているのは「怪物ランド」で有名な郷田ほづみ(このころは本名の合田穂積)君です。
ドコモダケの最初のコマーシャルの時に出てましたね。あと、田村正和さんが総理大臣をやったドラマでも秘書をやってました。
僕が学生時代に作曲したオイディプス王では、たしかタイトルロールを彼がやったんじゃないかな。
この芝居がなんなのかは高山正樹君の登場を待ちましょう。
だってなんかどこまでが出演者でどこからお客なのか良く分からない芝居だったもんね。この写真に映っているのはたぶん全部出演者のはずだ。

最近の写真は、こんな記事どもにたくさんあるよ(爆)
ああ、そういえばこの時も泥酔して二人で外で写真家志望の若者にポーズをとって撮して貰っていたんだ。
このころ、既にこの二人は同じアパートに住んでいて(もちろん部屋は違うよ)、またその数年後、高山正樹もこそのアパートに住むことになるわけです(爆)
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