Sunday in the Park with Georgeの視覚効果の仕掛けは相当面白いです
2009-07-04
ソンドハイムのミュージカル、サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージはついに明日渋谷のPARCO劇場で開幕しますが、昨日劇場で通し稽古をしていました。
その時点では自分が全部弾いていたので観ることができなかったけど、その前のリハーサル中には、僕と分担し全公演のうち何割か弾いて貰う、もう一人のピアニストに演奏を頼み、二幕の半分くらいは客席にいて、客の視点で観、聴く事が初めて出来ました。
今回のこの舞台は、視覚的には画家、ジョルジュ・スーラーの話だし、チラシにある有名な“グラン・ジャット 島の日曜の午後”がチラシにもなっているので、当然「眼」に訴える演出がされるんだろうなとは漠然と想像していたけど、やっぱり自分は演出家ではないので、具体的には予想もなにも思い浮かんではいなかった。
しかし、こんなにまで「網膜」、あ、だまされてはいけない、表面的な視覚の悦びではなく、二次元だったものが三次元になったり、そこにいろんな人間の人生が重なり合ってリアリティをうきだたせるイメージなんだな、そう、それを観ている人に楽しませるこんなに凝ったしかけのある作品だとは思わなかった。
だからあんなにシンプルな舞台装置だったんだ。
同様に、ほとんど舞台装置がなかった、CHICAGOのシンプルさとは全然違う。
あっちが黒の上に成り立っているシンプルな世界だったらこっちは、根本が真っ白でなくてはいけない世界観だし、あっちは、バンドが客に見えているということが象徴的に大事だけど、これは音楽がとても大事なんだけど、もしかしたら音質には影響があることは承知の上で、客席から見えないところから音楽が鳴ってくるというのは視覚効果を最大限に強調するためには必然かも、、とはこれを書いていて思えてきた。
さっきまでは、なんで、せっかく生演奏なのに、マイクを通した音しか客席に聞こえないのか、いくらピットの無い劇場とはいえ、あんまりじゃねえか、とずっと劇場にいるときから、弾いている場所で自分が聴いている「生の音」と客席で聞こえてくる音の質感の乖離にいらいらしていたんだけど、やっぱりこうやって文章にしていくあいだに点と点がつながってくることもあるんだな。
これこそ点描に通じるといったら無理矢理な感じがするけど(爆)
話を元に戻そう。
映画の特殊撮影を楽しむというのとはちょっと違うけど、舞台なのに映画を観ているような錯覚、だけど、やっぱりこれが舞台で起きていることが面白いといえばよいのか、とにかく観にいらっしゃってその部分も含めて楽しむに限ります。
自分の仕事としては、かなりピアノ単独の状態から間髪を入れず、ピアノとキーボードを左右の手で同時に演奏することに移動しながら早い曲の譜面から眼がそれない状態で棒を見ながら周りの音を聴いてアンサンブルすることにも慣れてきたので、今日のゲネ・プロでたぶん初日を迎える自信を確実にすることができそうです。
それはそうと、数日前にも感極まって涙してしまったことを書いたが、もう何が起こるか分かっているのに同じ場所でまた涙を抑えることができなかった。
その瞬間、客席は暗かったし、周りに人がいないところで涙をぬぐえてよかったと思いつつ、やっぱり長い間練習してきたセクションとは違い、まだこの作品に知り合ったばかりだとはいえ、またもや涙腺が緩んでしまう心理っていったい自分がどうしたんだろうと思って、楽器のところに戻ったら何人か同じ事を言ってきた。
ということは、みんなそれぞれの私生活に投影しがちで(爆)、なんか思い当たるふしか、心の中の理想を見たのか、どうかわからんけど、これはやっぱりこの手の仕事をしている輩にとっては、低くない確率で心の琴線に触れる内容なのかもしれません。
さすがに弾いているときには大丈夫になったけど、観たらだめだ(爆)
画家の人生なんて知らないわけで、そのリアリティとかが真に迫っているとかいうんじゃないところなんだけど、なんかいろんな場面が重なったあと出てくるある台詞がツボなんですね(爆)
もちろん今回の仕事に関わって居る人全員泣いているわけじゃないから(爆)、これから観る人(音楽家であれそうでなくたって)にとってはもちろん泣けなくても恥じることはないし、ましてや僕に、年取ったから涙腺弱くなったんじゃないの?と言いたくなったとしても、自分の人生に作品を投影して涙するくらいの権利は俺にもあるわけだから、聞く耳を持ちません(爆)。
そんなことより、観にいらっしゃる方は、もしかしたら、
"グランジャット島の日曜の午後"という絵を今一度よ〜く、このページや、画集などでじっくり観てから劇場にいらっしゃると、より楽しめるかもしれません。
関連する作品と本作の習作もそこにあるから見比べると興味深いね。
スーラーに着いては、このページに情報があります。
その時点では自分が全部弾いていたので観ることができなかったけど、その前のリハーサル中には、僕と分担し全公演のうち何割か弾いて貰う、もう一人のピアニストに演奏を頼み、二幕の半分くらいは客席にいて、客の視点で観、聴く事が初めて出来ました。
今回のこの舞台は、視覚的には画家、ジョルジュ・スーラーの話だし、チラシにある有名な“グラン・ジャット 島の日曜の午後”がチラシにもなっているので、当然「眼」に訴える演出がされるんだろうなとは漠然と想像していたけど、やっぱり自分は演出家ではないので、具体的には予想もなにも思い浮かんではいなかった。
しかし、こんなにまで「網膜」、あ、だまされてはいけない、表面的な視覚の悦びではなく、二次元だったものが三次元になったり、そこにいろんな人間の人生が重なり合ってリアリティをうきだたせるイメージなんだな、そう、それを観ている人に楽しませるこんなに凝ったしかけのある作品だとは思わなかった。
だからあんなにシンプルな舞台装置だったんだ。
同様に、ほとんど舞台装置がなかった、CHICAGOのシンプルさとは全然違う。
あっちが黒の上に成り立っているシンプルな世界だったらこっちは、根本が真っ白でなくてはいけない世界観だし、あっちは、バンドが客に見えているということが象徴的に大事だけど、これは音楽がとても大事なんだけど、もしかしたら音質には影響があることは承知の上で、客席から見えないところから音楽が鳴ってくるというのは視覚効果を最大限に強調するためには必然かも、、とはこれを書いていて思えてきた。
さっきまでは、なんで、せっかく生演奏なのに、マイクを通した音しか客席に聞こえないのか、いくらピットの無い劇場とはいえ、あんまりじゃねえか、とずっと劇場にいるときから、弾いている場所で自分が聴いている「生の音」と客席で聞こえてくる音の質感の乖離にいらいらしていたんだけど、やっぱりこうやって文章にしていくあいだに点と点がつながってくることもあるんだな。
これこそ点描に通じるといったら無理矢理な感じがするけど(爆)
話を元に戻そう。
映画の特殊撮影を楽しむというのとはちょっと違うけど、舞台なのに映画を観ているような錯覚、だけど、やっぱりこれが舞台で起きていることが面白いといえばよいのか、とにかく観にいらっしゃってその部分も含めて楽しむに限ります。
自分の仕事としては、かなりピアノ単独の状態から間髪を入れず、ピアノとキーボードを左右の手で同時に演奏することに移動しながら早い曲の譜面から眼がそれない状態で棒を見ながら周りの音を聴いてアンサンブルすることにも慣れてきたので、今日のゲネ・プロでたぶん初日を迎える自信を確実にすることができそうです。
それはそうと、数日前にも感極まって涙してしまったことを書いたが、もう何が起こるか分かっているのに同じ場所でまた涙を抑えることができなかった。
その瞬間、客席は暗かったし、周りに人がいないところで涙をぬぐえてよかったと思いつつ、やっぱり長い間練習してきたセクションとは違い、まだこの作品に知り合ったばかりだとはいえ、またもや涙腺が緩んでしまう心理っていったい自分がどうしたんだろうと思って、楽器のところに戻ったら何人か同じ事を言ってきた。
ということは、みんなそれぞれの私生活に投影しがちで(爆)、なんか思い当たるふしか、心の中の理想を見たのか、どうかわからんけど、これはやっぱりこの手の仕事をしている輩にとっては、低くない確率で心の琴線に触れる内容なのかもしれません。
さすがに弾いているときには大丈夫になったけど、観たらだめだ(爆)
画家の人生なんて知らないわけで、そのリアリティとかが真に迫っているとかいうんじゃないところなんだけど、なんかいろんな場面が重なったあと出てくるある台詞がツボなんですね(爆)
もちろん今回の仕事に関わって居る人全員泣いているわけじゃないから(爆)、これから観る人(音楽家であれそうでなくたって)にとってはもちろん泣けなくても恥じることはないし、ましてや僕に、年取ったから涙腺弱くなったんじゃないの?と言いたくなったとしても、自分の人生に作品を投影して涙するくらいの権利は俺にもあるわけだから、聞く耳を持ちません(爆)。
そんなことより、観にいらっしゃる方は、もしかしたら、
"グランジャット島の日曜の午後"という絵を今一度よ〜く、このページや、画集などでじっくり観てから劇場にいらっしゃると、より楽しめるかもしれません。
関連する作品と本作の習作もそこにあるから見比べると興味深いね。
スーラーに着いては、このページに情報があります。
いけないことなんだが、泣いてしまった
2009-07-02
Sunday in the Park with Georgeのリハーサルで、昨日から劇場に通っている。
オーケストラの配置は、戸田恵子さんのブログのこの記事に出ているとおり。
これは劇場に入る前に別の場所で稽古していたときのもの。
僕の後ろ姿は一番左だけど、見えているキーボードは、ほとんど右手だけで弾くことが多い。
その90度左に劇場では、Steinwayのフルコンサートグランドが置いてあり、そっちがメインなんだけど、両手で両方の鍵盤を弾いていることも結構ある。
僕のすぐ右に長髪のマルチ・リードの大下君(@2004年のMiss Saigonで共演した)が居る。
その右隣には、Harpが居て、その奥に見えているのが、キーボード(こっちは様々な楽器の音色を担当)の荻野清子ちゃん。彼女の事は、この記事なんかに出ている。
そして、僕の斜め前に、ViolinとViolaとCelloが扇形に拡がって座っている。
固有名詞を出してないプレイヤーのみなさんはみんな初共演の方々です。
一部の人とは飲みましたが、そのうち追々打ち解けてくるでしょう。(演奏上はもうすっかり仲良しだけど)
画面には見えてないが、この写真だと左側に指揮者がいて、僕らは舞台上手の袖の奥で弾いている。
客席からは一切見えないし、きっと生の音は聞こえない。
そうして、僕らは演技も装置も見えない。
練習の最中もついぞ、全貌を見ることができなかったから、視覚的には未だによく分かってないことも多い(爆)
これはCHICAGOみたいに舞台上に乗っかってればまだしも、いつものことだからしょうがない。
台本も渡されないことがあたりまえだし、、
しかし、台詞と歌は聞こえてくるのでストーリーは大体分かる。
この写真の日だったか、最後の場面に来て、台詞のやりとりを聴いているだけで、胸が熱くなった。
泣きそうになってしまい、完全に譜面の繰り返しの回数が分からなくなってやばくなった。
まあ、練習中だからいいや。その瞬間は完全に客になってた。
本番ではもう大丈夫。
すばらしい作品だと日に日に思えてきた。
指揮者用のモニターが僕のすぐ後ろにあって場当たりをしているときに見ると実に綺麗な舞台だ。
やっぱり宮本亜門がこの作品を取り上げようと思った動機の中に、いくら大学の同級生とはいえ、当人に訊いた訳じゃないから僕は知らないが、Candideにあったものとある部分共通して存在する「生きる力を鼓舞する」というテーマがあるのかなって思った。
これは、果たして主婦や、会社員や公務員の人が同じ場面で僕と同じ気持ちになって泣けるかどうかわからないけど、僕はものすごくツボにはまってしまい絵描きの話だけどなんか泣けてしまいました。
スーラーに興味があるひとはもちろんだけど、伝記として見るのではなくとにかく、ドラマとして、そして音楽が面白いです。
生きる力がわいてくる。
初日に向けては今戦争状態にすべてのセクションが入ったので大変で、僕も試行錯誤の繰り返しで失敗も多いけど、なんか客席のそばで弾けないことを除けば(ああだと、生演奏してないと思い込む客が相当居るかも知れない)大変だけど精神的にはちっともつらくなく楽しい。
この時期の劇場のロビーは、幕が開けた時とは大違いの様相を呈しています。
詳しくは伝えるつもりもないけど、本当にどれだけ多くの人がここにいて様々な仕事をしているか実感できるという感じです。
休憩中もロビーなんかに居場所というかスペースはない様な状態だから(楽屋がとても遠い場所にあるからいちいち行きたくならない)、結局楽器のところにいて何かしらしています。
ふと思った。
かつてやはり宮本亜門の演出だったときにSound of Musicも弾いていたけど、昔のミュージカルって曲を演奏した後、台詞の場面が長くて時に、15分くらいは演奏がなく、ミュージシャンがタバコなんかを吸いにピットの外にでていっちゃうというのがあったけど、最近のミュージカルというかこれだって20年くらい前のものだろうけど、結構間が空かずに弾き続けているというやつが多い気がするね。
そういう方がだれないで集中力が続くから良い。
そういえば、ミュージカルって、曲ごとにナンバーが着いていて、たとえば、最初の曲がM1で次がM2とか呼ぶ。
関連している曲や続けざまに来る曲の中には、その後に接尾辞みたいに、アルファベットが続いたりする。
M1AとかM1Bとか。
しかし、今回のこの作品の二幕のM29と名付けられた曲からは、ずっと曲が続いて来て、なんとM29Pまであったりする(爆)
こんなのは初めてだ。
しかも譜面を初めて見たとき、その一曲前は自動的にM29Oと書いてあって、ハイフンが入ってればまだしも、最初「290曲め?」ってジョークが飛んだのはお約束通りだった(爆)
オーケストラの配置は、戸田恵子さんのブログのこの記事に出ているとおり。
これは劇場に入る前に別の場所で稽古していたときのもの。
僕の後ろ姿は一番左だけど、見えているキーボードは、ほとんど右手だけで弾くことが多い。
その90度左に劇場では、Steinwayのフルコンサートグランドが置いてあり、そっちがメインなんだけど、両手で両方の鍵盤を弾いていることも結構ある。
僕のすぐ右に長髪のマルチ・リードの大下君(@2004年のMiss Saigonで共演した)が居る。
その右隣には、Harpが居て、その奥に見えているのが、キーボード(こっちは様々な楽器の音色を担当)の荻野清子ちゃん。彼女の事は、この記事なんかに出ている。
そして、僕の斜め前に、ViolinとViolaとCelloが扇形に拡がって座っている。
固有名詞を出してないプレイヤーのみなさんはみんな初共演の方々です。
一部の人とは飲みましたが、そのうち追々打ち解けてくるでしょう。(演奏上はもうすっかり仲良しだけど)
画面には見えてないが、この写真だと左側に指揮者がいて、僕らは舞台上手の袖の奥で弾いている。
客席からは一切見えないし、きっと生の音は聞こえない。
そうして、僕らは演技も装置も見えない。
練習の最中もついぞ、全貌を見ることができなかったから、視覚的には未だによく分かってないことも多い(爆)
これはCHICAGOみたいに舞台上に乗っかってればまだしも、いつものことだからしょうがない。
台本も渡されないことがあたりまえだし、、
しかし、台詞と歌は聞こえてくるのでストーリーは大体分かる。
この写真の日だったか、最後の場面に来て、台詞のやりとりを聴いているだけで、胸が熱くなった。
泣きそうになってしまい、完全に譜面の繰り返しの回数が分からなくなってやばくなった。
まあ、練習中だからいいや。その瞬間は完全に客になってた。
本番ではもう大丈夫。
すばらしい作品だと日に日に思えてきた。
指揮者用のモニターが僕のすぐ後ろにあって場当たりをしているときに見ると実に綺麗な舞台だ。
やっぱり宮本亜門がこの作品を取り上げようと思った動機の中に、いくら大学の同級生とはいえ、当人に訊いた訳じゃないから僕は知らないが、Candideにあったものとある部分共通して存在する「生きる力を鼓舞する」というテーマがあるのかなって思った。
これは、果たして主婦や、会社員や公務員の人が同じ場面で僕と同じ気持ちになって泣けるかどうかわからないけど、僕はものすごくツボにはまってしまい絵描きの話だけどなんか泣けてしまいました。
スーラーに興味があるひとはもちろんだけど、伝記として見るのではなくとにかく、ドラマとして、そして音楽が面白いです。
生きる力がわいてくる。
初日に向けては今戦争状態にすべてのセクションが入ったので大変で、僕も試行錯誤の繰り返しで失敗も多いけど、なんか客席のそばで弾けないことを除けば(ああだと、生演奏してないと思い込む客が相当居るかも知れない)大変だけど精神的にはちっともつらくなく楽しい。
この時期の劇場のロビーは、幕が開けた時とは大違いの様相を呈しています。
詳しくは伝えるつもりもないけど、本当にどれだけ多くの人がここにいて様々な仕事をしているか実感できるという感じです。
休憩中もロビーなんかに居場所というかスペースはない様な状態だから(楽屋がとても遠い場所にあるからいちいち行きたくならない)、結局楽器のところにいて何かしらしています。
ふと思った。
かつてやはり宮本亜門の演出だったときにSound of Musicも弾いていたけど、昔のミュージカルって曲を演奏した後、台詞の場面が長くて時に、15分くらいは演奏がなく、ミュージシャンがタバコなんかを吸いにピットの外にでていっちゃうというのがあったけど、最近のミュージカルというかこれだって20年くらい前のものだろうけど、結構間が空かずに弾き続けているというやつが多い気がするね。
そういう方がだれないで集中力が続くから良い。
そういえば、ミュージカルって、曲ごとにナンバーが着いていて、たとえば、最初の曲がM1で次がM2とか呼ぶ。
関連している曲や続けざまに来る曲の中には、その後に接尾辞みたいに、アルファベットが続いたりする。
M1AとかM1Bとか。
しかし、今回のこの作品の二幕のM29と名付けられた曲からは、ずっと曲が続いて来て、なんとM29Pまであったりする(爆)
こんなのは初めてだ。
しかも譜面を初めて見たとき、その一曲前は自動的にM29Oと書いてあって、ハイフンが入ってればまだしも、最初「290曲め?」ってジョークが飛んだのはお約束通りだった(爆)
寝ている時間よりピアノを弾いている時間の方が長い生活もたまには楽しいものです。
2009-06-27
6/22からSunday in the Park with Georgeの練習に参加しているけど、蓋を開けてみるとかなりの重労働にも関わらず、どういうわけだか楽しくてしょうがない。
ピアノのパートは、CHICAGOのときは、自分の位置じゃかなり全体の中で大事な音を弾いていたけれども、録音したバランスで聴く限り、ほとんどピアノの美味しい場面は聞こえてなかったから残念だったけど、これはたぶん良くも悪くもたくさん聞こえるだろう。
今日(昨日)から、ピアノの横にセッティングされたキーボードと一緒に二台を渡り歩く練習も兼ねて歌合わせに臨んだ。
7人の音楽家が奏でるそれぞれのパートが無くてはならない役割をもっていて、まるで絵を描くための絵の具の様だ。
家に帰っても久しぶりに、丑三つ時に近い時刻まで練習したりしてみても、楽しくてやめられないが、ゴーシュみたいに寝不足で行くと歳だしろくな事がないから寝てみるけど、一日中頭のなかにはこの作品の音が鳴っている矢先、明日じゃない今日からこの仕事のリハーサルが始まるのだけど、これも午前中から夜まで一回のリハーサルが二日間を二回やるのだけど、この一ヶ月だけ区切っても自分が舞台で弾く本の厚さを重ねると結構な腰掛けになるかもしれないのだが、やっぱりマイペースだの、自分が自発的にやろうとしていることの処理能力なんかたかが知れていて、たまにこういうタイトなスケジュールのなかで、いくつもの作品と同時につきあわなければいけない様な異常な負荷がかかっている状態だと、疲労しているはずなのに、面白さが先に立ってすぐに忘れる。
傍から見てるとすっごく楽しそうに見えるこういう仕事でも、実にくだらないパワー・ハラスメントを受けるような仕事をしたりすると、それは他の仕事同様、精神的に重くなってきてとほほになるけど、最近は共演者もこっちが楽しくやる人ばかりだし、このカンパニーは音楽家は初めての人がほとんどだけど、雰囲気も良いし、今日(じゃない昨日)初めて役者と対面したとき手を振ってくれる人が半分近くいたので嬉しかった。
この間から稽古ピアノの人がそばで聴いているんだけど、自分が他の作品でその役割を担っていたときの気持ちを考えると「下手に弾いたら」ある部分役者以上に傷つくのはそういう人たちだと(俺なら毒づく)分かっているので、せっかく育ててきた作品を嫁に貰うよというくらいの責任感を感じ、特にピアノのパート(当初は電子ピアノで弾くことになっていたけど、劇場にあるSteinwayで弾くことになった。この劇場で演奏したという思い出は1985年くらいに武満徹さんのやっていたMusic Todayでの思い出に遡るから同じ楽器じゃないだろうけど、それ以来だから興奮している)だし、初日に彼女たちと乾杯できたらと思う。
客よりもそっちをまず何よりも喜ばしたいくらいだ(爆)
今回はピアノのパートにはBGMの最中アドリブして良い箇所が珍しくあるのでそれを数十回遊べるのも自分の楽しみの一つ。
今日はそっちの練習はお休みだけど、子供たちのヴァイオリンと一日中戦う。
戦うけど遊ぶ。
日曜日もそっちに行くからMusicalは二日間お休み。
二日間は、ベートーヴェンやモーツァルトやヘンデルや諸々クラシックの演奏家みたいに(爆)、弾いてくる。
最近僕のジャンルはどこにあるのか分からなくなりつつありますね。
「負荷負荷な寝心地」は魂の強化には必要な土台だ。
どだい、マイペースで上手く行ったことはよく考えたら俺の人生で何もない。
筋肉や骨は負荷をかけないと強化されないのと似たようなものだ。
病気は気からというけど、人生を面白くするのも、その気になってさえ居ればあっというまに幸せを感じられるものだな。
元来怠惰に出来ている性格だから、趣味なんかないし、ある意味音楽は趣味で一日中遊んでいる様なものだから、上手い具合な巡り合わせと、任侠の気持ちを起こさせてくれる何かの要素が、自分が誰かの為に役にたっているかもしれないという気持ちを産み、自分が予想も出来ないハイテンションになるのが楽しい。
面白い作品に出会うことは運でもあるだろうけど、面白くするのはやる側の気持ち一つで堂にでもなるからね。
演奏という言語以外のコミュニケイションの方法でいろんな人たちと楽しい時間を過ごすことが出来るというのはありがたいと思いますし、作品と共演者に感謝だ。
このハイな気分を習いに来ている人たち(特になんかつらそうに演奏して居る人がいたりすると)に伝えたいのだけど、いくら得意の言葉の洪水をもってしても、言葉はあくまで言葉に過ぎないわけで、それが全くできないのがもどかしい、どうしたらいいのかなあ。
楽しかったCHICAGOの次にこのすばらしい作品に出会えてこれはまた忘れられない作品になると確信した。
ピアノのパートは、CHICAGOのときは、自分の位置じゃかなり全体の中で大事な音を弾いていたけれども、録音したバランスで聴く限り、ほとんどピアノの美味しい場面は聞こえてなかったから残念だったけど、これはたぶん良くも悪くもたくさん聞こえるだろう。
今日(昨日)から、ピアノの横にセッティングされたキーボードと一緒に二台を渡り歩く練習も兼ねて歌合わせに臨んだ。
7人の音楽家が奏でるそれぞれのパートが無くてはならない役割をもっていて、まるで絵を描くための絵の具の様だ。
家に帰っても久しぶりに、丑三つ時に近い時刻まで練習したりしてみても、楽しくてやめられないが、ゴーシュみたいに寝不足で行くと歳だしろくな事がないから寝てみるけど、一日中頭のなかにはこの作品の音が鳴っている矢先、明日じゃない今日からこの仕事のリハーサルが始まるのだけど、これも午前中から夜まで一回のリハーサルが二日間を二回やるのだけど、この一ヶ月だけ区切っても自分が舞台で弾く本の厚さを重ねると結構な腰掛けになるかもしれないのだが、やっぱりマイペースだの、自分が自発的にやろうとしていることの処理能力なんかたかが知れていて、たまにこういうタイトなスケジュールのなかで、いくつもの作品と同時につきあわなければいけない様な異常な負荷がかかっている状態だと、疲労しているはずなのに、面白さが先に立ってすぐに忘れる。
傍から見てるとすっごく楽しそうに見えるこういう仕事でも、実にくだらないパワー・ハラスメントを受けるような仕事をしたりすると、それは他の仕事同様、精神的に重くなってきてとほほになるけど、最近は共演者もこっちが楽しくやる人ばかりだし、このカンパニーは音楽家は初めての人がほとんどだけど、雰囲気も良いし、今日(じゃない昨日)初めて役者と対面したとき手を振ってくれる人が半分近くいたので嬉しかった。
この間から稽古ピアノの人がそばで聴いているんだけど、自分が他の作品でその役割を担っていたときの気持ちを考えると「下手に弾いたら」ある部分役者以上に傷つくのはそういう人たちだと(俺なら毒づく)分かっているので、せっかく育ててきた作品を嫁に貰うよというくらいの責任感を感じ、特にピアノのパート(当初は電子ピアノで弾くことになっていたけど、劇場にあるSteinwayで弾くことになった。この劇場で演奏したという思い出は1985年くらいに武満徹さんのやっていたMusic Todayでの思い出に遡るから同じ楽器じゃないだろうけど、それ以来だから興奮している)だし、初日に彼女たちと乾杯できたらと思う。
客よりもそっちをまず何よりも喜ばしたいくらいだ(爆)
今回はピアノのパートにはBGMの最中アドリブして良い箇所が珍しくあるのでそれを数十回遊べるのも自分の楽しみの一つ。
今日はそっちの練習はお休みだけど、子供たちのヴァイオリンと一日中戦う。
戦うけど遊ぶ。
日曜日もそっちに行くからMusicalは二日間お休み。
二日間は、ベートーヴェンやモーツァルトやヘンデルや諸々クラシックの演奏家みたいに(爆)、弾いてくる。
最近僕のジャンルはどこにあるのか分からなくなりつつありますね。
「負荷負荷な寝心地」は魂の強化には必要な土台だ。
どだい、マイペースで上手く行ったことはよく考えたら俺の人生で何もない。
筋肉や骨は負荷をかけないと強化されないのと似たようなものだ。
病気は気からというけど、人生を面白くするのも、その気になってさえ居ればあっというまに幸せを感じられるものだな。
元来怠惰に出来ている性格だから、趣味なんかないし、ある意味音楽は趣味で一日中遊んでいる様なものだから、上手い具合な巡り合わせと、任侠の気持ちを起こさせてくれる何かの要素が、自分が誰かの為に役にたっているかもしれないという気持ちを産み、自分が予想も出来ないハイテンションになるのが楽しい。
面白い作品に出会うことは運でもあるだろうけど、面白くするのはやる側の気持ち一つで堂にでもなるからね。
演奏という言語以外のコミュニケイションの方法でいろんな人たちと楽しい時間を過ごすことが出来るというのはありがたいと思いますし、作品と共演者に感謝だ。
このハイな気分を習いに来ている人たち(特になんかつらそうに演奏して居る人がいたりすると)に伝えたいのだけど、いくら得意の言葉の洪水をもってしても、言葉はあくまで言葉に過ぎないわけで、それが全くできないのがもどかしい、どうしたらいいのかなあ。
楽しかったCHICAGOの次にこのすばらしい作品に出会えてこれはまた忘れられない作品になると確信した。
“どんぐりと山猫”から“笛吹きの滝”の場面の動画@山猫合奏団
2009-06-26
5/3に川崎の新百合ヶ丘の駅前で行われた「アルテリッカしんゆり2009」の山猫合奏団の演奏のなかから、宮沢賢治の“どんぐりと山猫”の中の“笛吹きの滝”の冒頭です。
このコラージュが面白い(Sunday in the Park with Georgeの広告)
2009-06-24
![]() | Sondheim: Sunday in the Park with George [Original Cast Recording] (2007/04/03) Stephen Sondheim、 商品詳細を見る |
昨日の記事で紹介した、“サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ”のロンドンのカンパニーのアートワークやもともと貼り付けているPARCO劇場のチラシと違い、こっちはオリジナルキャストのものらしいのだけど、スーラーの元の絵の下に現代の男女の下半身がくっつけてある。
これの意味するところがストーリーの中身なので興味のあるひとは是非とも劇場に来て頂きたいけど、この絵はなかなかユーモアに富んでるね。
![]() | Sunday in the Park With George [DVD] [Import] (1999/03/23) Mandy PatinkinBernadette Peters 商品詳細を見る |
Youtubeを探しても結構出てくるね、この作品のことは。
一昨日は1幕だけ、昨日は2幕の音楽をあたった。
そしてその後、1幕をもう一回やった。
どうやら、僕は、当初、キーボードでピアノの音を出す予定になっていたが、本当のピアノを弾くことになったらしい。
それはかなりありがたいけど、それに加えていくつかの別の楽器の音を右手でキーボードで弾く事になったからそれの仕込みを今してもらっているので、それの手順や譜面の書き換えなどでこれからまた作業が増えた。
僕だけで弾くならまだ気楽だけど、今回は一人を残して指揮者を含め演奏者全員がエキストラ(代役)を抱えているので、引き継ぎも大変だ。
26日にはついに、役者たちとご対面ののち、お互い初めて一緒に演奏する。
今回は昨年のCHICAGOとは違い、本番だけ弾けばいいので、前述の様に技術上は楽とは言えないけど、メンタル的にはとても気楽に今のところいるのだけど、昨日の稽古場に、稽古ピアノを担当していた方が二人見学に来て知り合いだったので、終了後何年ぶりかで一緒に飯を食って話を聞くと、やっぱりこれを一人で弾くのは、弾くのも大変だけど役者に音取りをする苦労は並大抵の事じゃないなって同情しました。
予想と裏切り(加筆訂正再投稿)
2009-06-23
人間は、未知のものに向き合ったとき、否、向き合うことが分かっていて、それを実際に味わう直前に、多くの場合、それまでの経験値で何か似ているものを探してどう味わったらよいかというような、予想を立てる。
それが良い悪いといっているつもりじゃないが、実際、自分が作曲して演奏し続けている一連の山猫合奏団による宮沢賢治作品(“どんぐりと山猫”、“セロ弾きのゴーシュ”、“注文の多い料理店”)を、それをご覧に(お聴きに)なっていらっしゃらない人々に口で説明を試みるとたぶん、こっちが期待したものと先方が予想するものの乖離は相当に大きい。
先頃、川崎市のあるフェスティヴァルで演奏させて貰ったが、事前のいくつかの取材でも、僕は参加していないが、スタッフとの打ち合わせでも、同じ日本語で、同じ事を話題にしているのに、僕らと先方では恐ろしく違うものが頭に浮かんでいただろうということは、上演後再び同じ人たちとの会話で実感したものだ。
逆に一度理解して貰うと「安心して」先方も僕らの評価ができるし、ありがたいことなのだが、それは好意を持って貰ったときであって、逆の場合は発信者にとってとても凹む。
しかしそれは宿命なんだけど、別に自分の作品のオリジナリティをここで自慢するためにかいたんじゃないだ。

昨日から"Sunday in the Park with George"のオーケストラの稽古が始まった。
この仕事が決まって事務所から参考の音資料が来るだいぶ前に、表示されているアルバム(ロンドンのカンパニーの演奏)をiTunes Storeからダウンロードしを聴いてみた。
ソンドハイムのこの音楽について、聞いてみるのと弾いてみるのでは、こういう状況だといつものことではあるけど、印象が違う。
やっぱり聴く以上に弾いてみると実に面白い。
しかも、なんで今日これからリハーサルに行かなくてはいけない忙しい時刻にこんなことを支離滅裂になりながら書くかというと、まだ歌合わせ(ごく一部あれが歌といえるのか、音楽に乗せた台詞といえるのかどっちともつかないものなのだけど)がないので、完全な実感とはまだ違うのだけど、歌が乗ったロンドンのカンパニーの演奏を聴くと、完全におこがましいのだけど、言葉と音楽の関わりに於いて、自分が作曲していて模索している根本的な事についてとても、あこがれるというか納得というか、実に示唆が富むサンプルを、しかも実際に演奏しながら味わえるという幸運に遭遇したと感じたからだ。
ただ、他の人が同じように思っているかは知らないし、これから一般の聴衆がこの作品、特に音楽の面に関して、「なんじゃこれ」とか「難しい」、逆に「ユニーク」、「面白い」と思うかそれは、事前に簡単に予想できるものではない。
これのどこがミュージカルなんだ、オペラじゃないかと思うかもしれないし、オペラだって?こんなミュージカルっぽいのに、とか、これは、ストレートプレイの音楽の部分を増やしたものじゃないかとか、なにを言っているのかどれもあたらないようで当たっているような微妙な感じがする。
ボーダーレスだの、ボーダーラインにあるものとか言ってしまえば簡単だけど、この作品が最初からそこを狙ってビジネスしているわけではないのは明白だ。
そうは言っても、自分だって最初聴いたときは、何じゃこれっぽいところはなかったわけではない。
でも、それって「Musicalを聴いている」という予見から出てくる感想であって、単に「音楽」を聴いているという感覚からすると何もびっくりすることはないのだけど、ここの微妙な差異がやっかいだったりするのだ。
でも、何回か聴いたり、こうやって弾いてみるとそのおもしろさに気づくんだけど、聴衆は一回しか観ない(一回も観ない人の方が圧倒的に多いわけだけど(爆))人がほとんどで、その人たちにどう伝わるのかは僕らの責任も相当あるけど、なんかいわゆる安全パイっぽいテイストがあふれている作品に関わるより、実にやりがいを感じます。
今回のミュージシャンたちは、もう一人のキーボード(CHICAGO以来の共演です)とマルチのリード奏者(大下君といって何年か前のMiss Saigonの時に一緒でした)の二人以外指揮者も音楽監督もアレンジャーたちもみんな初めての人ばかりでそれも新鮮です。
この作品は80年代のものなのかな。
ちょっと70年代から現代音楽の分野で流行っていたスティーヴ・ライヒのミニマルミュージックの作品のテイストがする箇所もある。
でも、弾き続け、聴き続けているとやっぱり、Musicalってこうじゃなきゃ、とも思えてくる。
それが良い悪いといっているつもりじゃないが、実際、自分が作曲して演奏し続けている一連の山猫合奏団による宮沢賢治作品(“どんぐりと山猫”、“セロ弾きのゴーシュ”、“注文の多い料理店”)を、それをご覧に(お聴きに)なっていらっしゃらない人々に口で説明を試みるとたぶん、こっちが期待したものと先方が予想するものの乖離は相当に大きい。
先頃、川崎市のあるフェスティヴァルで演奏させて貰ったが、事前のいくつかの取材でも、僕は参加していないが、スタッフとの打ち合わせでも、同じ日本語で、同じ事を話題にしているのに、僕らと先方では恐ろしく違うものが頭に浮かんでいただろうということは、上演後再び同じ人たちとの会話で実感したものだ。
逆に一度理解して貰うと「安心して」先方も僕らの評価ができるし、ありがたいことなのだが、それは好意を持って貰ったときであって、逆の場合は発信者にとってとても凹む。
しかしそれは宿命なんだけど、別に自分の作品のオリジナリティをここで自慢するためにかいたんじゃないだ。

この仕事が決まって事務所から参考の音資料が来るだいぶ前に、表示されているアルバム(ロンドンのカンパニーの演奏)をiTunes Storeからダウンロードしを聴いてみた。
ソンドハイムのこの音楽について、聞いてみるのと弾いてみるのでは、こういう状況だといつものことではあるけど、印象が違う。
やっぱり聴く以上に弾いてみると実に面白い。
しかも、なんで今日これからリハーサルに行かなくてはいけない忙しい時刻にこんなことを支離滅裂になりながら書くかというと、まだ歌合わせ(ごく一部あれが歌といえるのか、音楽に乗せた台詞といえるのかどっちともつかないものなのだけど)がないので、完全な実感とはまだ違うのだけど、歌が乗ったロンドンのカンパニーの演奏を聴くと、完全におこがましいのだけど、言葉と音楽の関わりに於いて、自分が作曲していて模索している根本的な事についてとても、あこがれるというか納得というか、実に示唆が富むサンプルを、しかも実際に演奏しながら味わえるという幸運に遭遇したと感じたからだ。
ただ、他の人が同じように思っているかは知らないし、これから一般の聴衆がこの作品、特に音楽の面に関して、「なんじゃこれ」とか「難しい」、逆に「ユニーク」、「面白い」と思うかそれは、事前に簡単に予想できるものではない。
これのどこがミュージカルなんだ、オペラじゃないかと思うかもしれないし、オペラだって?こんなミュージカルっぽいのに、とか、これは、ストレートプレイの音楽の部分を増やしたものじゃないかとか、なにを言っているのかどれもあたらないようで当たっているような微妙な感じがする。
ボーダーレスだの、ボーダーラインにあるものとか言ってしまえば簡単だけど、この作品が最初からそこを狙ってビジネスしているわけではないのは明白だ。
そうは言っても、自分だって最初聴いたときは、何じゃこれっぽいところはなかったわけではない。
でも、それって「Musicalを聴いている」という予見から出てくる感想であって、単に「音楽」を聴いているという感覚からすると何もびっくりすることはないのだけど、ここの微妙な差異がやっかいだったりするのだ。
でも、何回か聴いたり、こうやって弾いてみるとそのおもしろさに気づくんだけど、聴衆は一回しか観ない(一回も観ない人の方が圧倒的に多いわけだけど(爆))人がほとんどで、その人たちにどう伝わるのかは僕らの責任も相当あるけど、なんかいわゆる安全パイっぽいテイストがあふれている作品に関わるより、実にやりがいを感じます。
今回のミュージシャンたちは、もう一人のキーボード(CHICAGO以来の共演です)とマルチのリード奏者(大下君といって何年か前のMiss Saigonの時に一緒でした)の二人以外指揮者も音楽監督もアレンジャーたちもみんな初めての人ばかりでそれも新鮮です。
この作品は80年代のものなのかな。
ちょっと70年代から現代音楽の分野で流行っていたスティーヴ・ライヒのミニマルミュージックの作品のテイストがする箇所もある。
でも、弾き続け、聴き続けているとやっぱり、Musicalってこうじゃなきゃ、とも思えてくる。
Sunday in the Park with GeorgeのOrchestraのリハーサルが始まりました。(再投稿)
2009-06-22
今日から、Musical "サンデー・イン・ザ・パーク・ウィズ・ジョージ"のオーケストラ(といっても十人未満)のリハーサルが始まります。なかなか難しそうな曲なので苦労しそうだけど実に楽しみです。
編成は、Violin,Viola,Cello,Harp,Multi Reed,Keyboard,Piano(Keyboardも一部あり)の7人です。
年末年始公演のSHE LOVES ME に関わります
2009-06-21
東宝のWebsiteにやっと告知が出たのでここに報告します。
どうやら、オリジナルとは演奏者の編成がかなり小さなものなるゆえに、指揮者なしで、僕は2000年の“The Kitchen”(ウェスカーの「調理場」と言った方が演劇ファンにはおなじみの作品)、そして、2008年の二月と三月に公演があった、ベガーズ・オペラ(「三文オペラ」と言った方がストーリーがぴんと来る人が多い、厳密にはブレヒトとワイルの作品の原作に当たるものだけど)という作品と同様、コンダクター・ピアノ(弾きながら役者と音楽家にいろいろ合図を出す)で関わることになりました。
The Kitchenと同様、本番だけではなく、ずっと前から稽古ピアノでも参加するつもりなので、この作品にはかなり長い間おつきあいすることになりそうです。
実はもう、6/10の日に音楽スタッフだけで、最初の仕事を開始しています。
ということは、千秋楽の来年の一月末まで、この作品に関わっていくということになったので、本格的な稽古は秋からなのだけど、また忘れられない作品になりそうです。
明日から稽古が始まる“Sunday in the Park with George”も、この作品も、初めて出会う人、そしてかつて別の公演で共演した人たちとの懐かしい邂逅を楽しみにしています。
どうやら、オリジナルとは演奏者の編成がかなり小さなものなるゆえに、指揮者なしで、僕は2000年の“The Kitchen”(ウェスカーの「調理場」と言った方が演劇ファンにはおなじみの作品)、そして、2008年の二月と三月に公演があった、ベガーズ・オペラ(「三文オペラ」と言った方がストーリーがぴんと来る人が多い、厳密にはブレヒトとワイルの作品の原作に当たるものだけど)という作品と同様、コンダクター・ピアノ(弾きながら役者と音楽家にいろいろ合図を出す)で関わることになりました。
The Kitchenと同様、本番だけではなく、ずっと前から稽古ピアノでも参加するつもりなので、この作品にはかなり長い間おつきあいすることになりそうです。
実はもう、6/10の日に音楽スタッフだけで、最初の仕事を開始しています。
ということは、千秋楽の来年の一月末まで、この作品に関わっていくということになったので、本格的な稽古は秋からなのだけど、また忘れられない作品になりそうです。
明日から稽古が始まる“Sunday in the Park with George”も、この作品も、初めて出会う人、そしてかつて別の公演で共演した人たちとの懐かしい邂逅を楽しみにしています。
山猫合奏団が教育音楽という雑誌に紹介されました。
2009-06-21
この一つ前に動画でご紹介しましたが、去る5/3に川崎市の新百合ヶ丘周辺で行われたフェスティヴァルでの演奏について、音楽之友社から出ている音楽教師向けの雑誌「教育音楽」に予想外に大きく写真入りで紹介されました。小学校版と中学・高校版があるらしいのですが、両方ともに載っている様です。
中身はここではご紹介できませんが、どうぞ興味のある方は、本屋さんに行ってご購入ください。
もしかしたら、来年もこのフェスティヴァルにエントリーすることになるかもしれません。この日のことは、この記事でも書きましたし、ますます、ヴァーチャル広告のページも頑張って更新したいと思います(爆)。
この日の事についての山猫合奏団オフィシャルページでの言及は、ここと、ここと、ここにあります。
“注文の多い料理店”の動画
2009-06-20
去る2009/5/3に神奈川県の川崎市の最北部の新百合ヶ丘のそばで弾いてきた、“注文の多い料理店”のごく一部です。
山猫合奏団の関連記事は、ここ。
エンコードしたらとても画質が悪くなりましたが、上記のオフィシャルサイトでは、小さいですが、もうちょっとましな感じで見ることができます。
このブログでの関連記事は、ここ。


![Sondheim: Sunday in the Park with George [Original Cast Recording]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51rJHSZVatL.jpg)
![Sunday in the Park With George [DVD] [Import]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51CY5AYYQQL.jpg)

★来る2009年7/5(日)より、8/9(日)まで東京渋谷のPARCO劇場で上演される宮本亜門演出でソンドハイム作曲の作品、

